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inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

猫のストレス

2005-09-16 08:30:33 | 出版記事
近頃ニュースで事件後の子供達の心理上のケアについてよく見聞きするようになりました.ストレスというすっかり日本語の中に定着してしまった感がある言葉ですが、このストレスに対処する道筋の複雑さが人間の心理症状の複雑さを生み出しているような気がします.我が家のシマネコちゃんのストレスの発生時から消滅時までの状況をつぶさに観察する機会に恵まれたために、はっきりとその思いを深くしました.

それは四年余り前、孫がすっかり歩けるようになって我が家にきてくれた時のことです.子供は好奇心の固まりですから、シマネコちゃんに対しても好奇心と嬉しさ丸出しで、あらんばかりの表現力でシマに迫ります.大体猫というものは子供が嫌いです.猫は自由が好きで、子供に対して譲るのが苦手なのですが、そこは飼い猫の身多少人間社会にもなれて人間との接触を調節して生きています.猫は通常我慢の限界まで我慢して、度を越すと一撃に転じ逃げ出します.でも我が家のシマネコちゃんは、じじばばの孫可愛さをよく察してひたすら逃げてくれたのです.

でもどんな動物にも油断できる場所というものが必要です.飼い猫はあのお腹を丸出しにしてひっくり返って寝る場所が必要なのです.これが飼い猫の長生きの秘密です.
そんな我が家をシマネコちゃんは奪われてしまいました.孫に見つからないようにと多少の配慮はしたのですが、シマネコちゃんもまたテリトリーを主張したかったのです.孫の目のいく範囲で寝ることに固執しているかに見えました.シマネコちゃんは一日に何度も孫の大歓迎に会い、日々やつれていきました.やせ細り毛は落ち毛色はあせて明日にも死ぬかとさえ思われたのです.

孫が帰京する日になりました.じじばばは寂しさに襲われていましたが、シマネコちゃんは途端に元気になりました.あのやつれ様は跡形もなくすっかり消えてしまいました.こんなに猫のストレス回路は短かったのです.思いは体に直結し、良きにつけ悪しきにつけ問題の展開は早いのです.原因がなくなった途端心身ともに解決します.人間と猫は何処が違うか、それは大脳の働き以外にありません.ストレスを振り返ってその機序を認識することに、人間のストレス対処法の糸口があるような気がします.

孫は段々大きくなって猫に対する思いやりも身につけシマネコちゃんに遠慮するようになりました.今ではあの台風のようなストレスもシマネコちゃんは覚えていないと思います.マクロビオティックの観点からいうとストレスも食べ物(取り入れるもの)の一つなのですから、私達は自分達でその対処法を見つけなければなりません.ちょうど良いストレスは生きるために必要なものです.その良い範囲の広さには個人差があります.ストレスについていろいろ考えさせられた孫とシマネコちゃんの思い出でした.
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大事なのはその後どうするか

2005-09-13 09:37:13 | 出版記事
昨日の話題の断食セミナーで排泄物は自分の大便から言語に至るまで全て美しくなければいけないというお話をしました.前にもちょっとふれましたが、糞転がしは誰かの糞を一生懸命探し回っているし、かくいう私達人間も植物の排泄した酸素がなければ一分も生きていられません.世の中って逆から言うと排泄物の循環で成立しているのです.ですから自分のものと思っているものにも一つとして厳密に自分のものはありません.

人間の文化は各人の所有を認めていますが、それだって宇宙の真理から言うと殆んど根拠がありません.こうなってくるとユートピアを目指した共産主義みたいになってきますが、残念ながら共産主義を実現する政治機構や社会組織は出来ません.ユートピアは絶対世界のものであり、社会は相対世界のものだからです.もしどうしても実現したいと思ったら、個人を投げ捨てて黙々ときめられた責任を果たさなければなりません.蟻の社会のように!!働き蟻は女王蟻になりたいとは絶対に思いませんよね.女王蟻もまた働き蟻のように自由にあちこち歩き回りたいとは思いません.

元に戻りますが、だから自分の排泄物は自分と同じようにきれいにしなくてはいけません.昔(?)シャンプーが毎日の行事になり始めた娘達に、「自分だけきれいにして汚い泡だらけの排水で地球を汚して」、と言って嫌われたものです.人間社会はなかなか還元できないゴミを大量に作り出して科学技術の進歩だとか言ってきましたが、循環のサイクルの中から勝手に一部を引っ張り出して元に戻るのに人間の時間の枠からはみ出したものを作ってしまったために、今自分たちが困っているという始末になりました.人間の排泄物を美しくしなければ、自分達が困る事態になったのです.今までは他の動物や生命のことを気にしている振りでよかったのですが、とうとう「地球に優しい」などとの奇麗事ではすまなくなってきています.

これはとても喜ばしいことで、此処にきて私達は自他の区別のない世界であることを認識しようとしています.もともと私達は全てがひとつだったのですから、その心をまた私達の生活に取り返すことができたら世界はもっと楽しくなるのではと思います.昨夜たまたまテレビで銭形平次を見ていたら、誰でしたか、笹野様(?)とかいう与力(これまた?)が
女の子に言っていました.「間違いは誰でもする.大事なのはその後どうするかだ」って.
マクロビオティックを知る事は大変にありがたいことです.でも大事なのはやはりその後どうするかなのだと思います.
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排泄とアトピー

2005-08-24 09:37:45 | 出版記事
マクロビオティックを始めると、病気が排泄の異常症状であることを学びます。そして女性のほうが長生きしやすいのも、男性に比べて排泄の方法を生理的に多く持っているからだと知ります。つまり、月経、出産、授乳です。そして生まれながらのアトピーの赤ん坊を思います。自分の最も愛するものが自分の排泄だなんてと嫌悪感を訴える方もいます。

でも、皆さん考えましょう。この世にあるものはただ二つ、自分の内と外、それだけです。排泄は外に出す事であって汚いものではありません。ごみを汚いものにしたのは人間だけです。誰かの排泄物がまた誰かを養うのが私たちの自然の仕組みです。糞転がしという小さな虫がいるではありませんか。

そしてこの内と外とは符合していて外を汚すと見えない内も汚れるのです。食事の準備にたくさんごみを出していませんか、お台所を油でべたべたにしていませんか。たとえ洗って流しても外を汚している事に変わりはありません。自分のしていることを見て、自分の体内を思いましょう。外食をしてそのお店のごみを思いましょう。

排泄物は美しくなければなりません。自分の子供の健やかさを願うならば、心と行いとを一致させなければいけないのです。この事を学んで実行するのが、マクロビオティックの道です。そして皆にこの事を教えてあげるのが、久司先生の願いであり、平和運動なのです。外に平和を唱えても、自分の内と外が平和でなければ,平和は実現しないだろうと思います。自分の内なる平和は食べ物によって支えられています。宗教が食べ物を厳しく制限する理由はここにあります。
コメント (1)
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