末期ガンの告知を受けて一ヶ月と少し。
私の父がこの世を去った
「しんどいねん」と母に訴えて救急車で搬送され、検査結果が末期ガンで治療不可能との宣告
医者も「よくここまで耐えていましたね」と驚く状況だったそうな
家族を失うタイムリミットの宣告。急に家族を失うこともショックと思うが、余命がないという宣告も酷だった
「頑張って一度は家に帰れるようになろうな。」と励ましていたが病の進行は待ってくれなかった
父や母を励まそうと金婚式のお祝い寄せ書きを兄弟の家族で作り、病室で見せる
父はそれを手に取り読んだ数時間後、返事をしてくれなくなった。
父の手を握り、必死に声をかける
わずか一ヶ月の間に弱々しい腕に変わり果てていることも実感
その後心拍数110越えを一昼夜続け、最後は高熱を出してもがいた後、父は息を引き取った
重度の喘息と闘いながら文字通り死に物狂いで働き、家族を養ってくれた父
世の中では小さな存在だったかもしれないが、家族にとってはすごく大きな存在だった
家の隣の小さな工場で働く父の姿に私が大きな影響を受けたことも事実
また父のような人たちが戦後の日本の高度成長期を支える柱であったことも事実
そんな父の働き方にいまだに勝てる気がしない。本当に誇りに思う
葬儀の前に写真を整理していて父の結婚前の写真を初めて見た
仕事でカブに乗っていたことは聞いていたが、二輪でツーリングする時代があったなんで初めて知った
母の話によると、結婚したときにはすでに二輪はなく、私にとっての父は遊びを知らないひたすら真面目に働き通す姿だった
本当はもっと遊びたかったんだろう。 それを我慢して養ってくれたんやね
廃業してから15年になるのだが、それでもかつての仕事関係の方々がすぐに駆けつけてくださったことにも父の人望が伺えた
いいところはきちんと見習いたいし自分の家族に伝えていきたい
今はとにかく母親のメンタル面が心配なので、活動停止は続きます