音楽や美術の授業はあるのに、演劇に関する授業がないのは、
先進国では日本だけらしいです。
何故かというと、国の思想に反する人材が育たないように
するためだと推察しますが・・・。
そこはさておき、演劇を学ばないことのデメリットとして、
「他の人の立場に立って考える」ということが苦手、
というか、他の人の立場に立って考えるという機会が
ないままに育ってしまうと思います。
演劇をやる、お芝居をするということは、
その“役”になりきって、
本来の自分なら決して言わないような言葉も
発するわけです。
ファシリテーター養成スクールでは、
「お芝居」という言葉こそ使いませんが、
別の“役”になりきるというトレーニングを
行います。
例えば、お子さんが居ないのに母親役を
やったりします。
そのときに、自分の母親はどうだったか?
友達のお母さんはどうだったか?
自分が母親になったらどうするだろう?
いろんな思考を絡み合わせて
自分なりの“お母さん役”を演じます。
それによって見えてくるものが
たくさんあります。
お母さん役になりきれば、なりきるほど
いろんなモノが見えてきます。
ときには・・・ニートの役、大学生の役、
近所のおじさんの役、保育士さんの役・・・
やればやるほど、いろんなモノが
見えてきますね。
立場が変わることによって、
見えたモノは、リアルの自分の記憶に経験として残ります。
それによって本来の自分自身の視野が広かったりします。
今週末は、ファシリテーター養成スクールの
二日間研修です。
スクール生のアクターぶりを楽しみにしています。(^^♪
先進国では日本だけらしいです。
何故かというと、国の思想に反する人材が育たないように
するためだと推察しますが・・・。
そこはさておき、演劇を学ばないことのデメリットとして、
「他の人の立場に立って考える」ということが苦手、
というか、他の人の立場に立って考えるという機会が
ないままに育ってしまうと思います。
演劇をやる、お芝居をするということは、
その“役”になりきって、
本来の自分なら決して言わないような言葉も
発するわけです。
ファシリテーター養成スクールでは、
「お芝居」という言葉こそ使いませんが、
別の“役”になりきるというトレーニングを
行います。
例えば、お子さんが居ないのに母親役を
やったりします。
そのときに、自分の母親はどうだったか?
友達のお母さんはどうだったか?
自分が母親になったらどうするだろう?
いろんな思考を絡み合わせて
自分なりの“お母さん役”を演じます。
それによって見えてくるものが
たくさんあります。
お母さん役になりきれば、なりきるほど
いろんなモノが見えてきます。
ときには・・・ニートの役、大学生の役、
近所のおじさんの役、保育士さんの役・・・
やればやるほど、いろんなモノが
見えてきますね。
立場が変わることによって、
見えたモノは、リアルの自分の記憶に経験として残ります。
それによって本来の自分自身の視野が広かったりします。
今週末は、ファシリテーター養成スクールの
二日間研修です。
スクール生のアクターぶりを楽しみにしています。(^^♪