ファシリテーションを
単なるコミュニケーションスキル的なものと捉えていたり、
会議の司会のためのスキルと思っている人にとっては、
ファシリテーションを道徳と比較するなんて
社交ダンスと剣道や柔道を比較するぐらい
異質なものと映ってしまうかも知れませんね。
ところが、ファシリテーションは
単なるスキルではなく、
全体思考であることや
少数意見を切り捨てない、とか
一人ひとりの満足と全体の成果拡大を考えるとか、
物事の考え方、価値観、人間性にまで関わりがあるのです。
もう十数年も前の話になりますが、
私は宮城県の道徳教育審議会の委員をしていたことがあります。
最初に事務局の方が皆さんにとっての道徳とは?と
問いかけられたときに、
大多数の方が仰ったのが、
「道徳とは、人に迷惑をかけないことだと思います。」
ということでした。
確かに、人に迷惑をかけてはいけないけれど、
人間社会において、「人に迷惑をかけずに生きていく」ということは、
「人と一切関わらずに生きていく」と同意語のように聞こえました。
人と関わらずに生きていくなど、無人島にでも行かない限り
できることではありません。
人は、人と関わることで成長し、人と関わる社会で生きています。
ファシリテーションは、人と関わるときに、
お互いに一人の人間として相手を尊重し、
かといって自分を犠牲にするのではなく、
自分を含めた全ての人間を大切にするという考えのもとに
存在するものです。
だから、道徳と比較する場合においては、
「人に迷惑をかけないこと」ではなく
「お互いに迷惑をかけずに成長するにはどうしたら良いか?」を
考え、実行するためのスキルと言えるのではないかと思います。
また、人間は意識・無意識は別として、
お互いに迷惑をかけあって生きているのだから、
それらを受け入れあうことの大切さも説いているように思います。
やはりここにはファシリテーションのルーツが
大いに関わっていることが解ります。
ファシリテーションのルーツは「江戸しぐさ」
そして江戸しぐさの根底には「陽明学」があります。
「知行合一」の流れを汲んだファシリテーションを
表面だけではなく、根っこから理解して活用したいですね♪
単なるコミュニケーションスキル的なものと捉えていたり、
会議の司会のためのスキルと思っている人にとっては、
ファシリテーションを道徳と比較するなんて
社交ダンスと剣道や柔道を比較するぐらい
異質なものと映ってしまうかも知れませんね。
ところが、ファシリテーションは
単なるスキルではなく、
全体思考であることや
少数意見を切り捨てない、とか
一人ひとりの満足と全体の成果拡大を考えるとか、
物事の考え方、価値観、人間性にまで関わりがあるのです。
もう十数年も前の話になりますが、
私は宮城県の道徳教育審議会の委員をしていたことがあります。
最初に事務局の方が皆さんにとっての道徳とは?と
問いかけられたときに、
大多数の方が仰ったのが、
「道徳とは、人に迷惑をかけないことだと思います。」
ということでした。
確かに、人に迷惑をかけてはいけないけれど、
人間社会において、「人に迷惑をかけずに生きていく」ということは、
「人と一切関わらずに生きていく」と同意語のように聞こえました。
人と関わらずに生きていくなど、無人島にでも行かない限り
できることではありません。
人は、人と関わることで成長し、人と関わる社会で生きています。
ファシリテーションは、人と関わるときに、
お互いに一人の人間として相手を尊重し、
かといって自分を犠牲にするのではなく、
自分を含めた全ての人間を大切にするという考えのもとに
存在するものです。
だから、道徳と比較する場合においては、
「人に迷惑をかけないこと」ではなく
「お互いに迷惑をかけずに成長するにはどうしたら良いか?」を
考え、実行するためのスキルと言えるのではないかと思います。
また、人間は意識・無意識は別として、
お互いに迷惑をかけあって生きているのだから、
それらを受け入れあうことの大切さも説いているように思います。
やはりここにはファシリテーションのルーツが
大いに関わっていることが解ります。
ファシリテーションのルーツは「江戸しぐさ」
そして江戸しぐさの根底には「陽明学」があります。
「知行合一」の流れを汲んだファシリテーションを
表面だけではなく、根っこから理解して活用したいですね♪