極和ファシリテーションで活き・粋・自分らしく輝いて生きよう♪

活き・粋・自分らしく生きるためのマインドアップ!!
相手と自分と組織の満足アップ!!

『夢なし君へ』

2003年09月25日 19時04分19秒 | 起業志援
2003.9.25

「夢がないならお金を貯めておけ!

 夢が見つかったらお金がかかる。

 夢がないなら旅行に行け!

 夢が見つかったら忙しくなるから、旅行に行けなくなる。

 夢がないなら夢のあるヤツの近所におれ、少しは夢に近づける。

 夢がないなら暇やろ?勉強しておけ!勉強に無駄はない。

 夢がないなら友達を作っておけ。

 お前の夢を最初に支えてくれるのはその友達だ。」

今私が事務局を引き受けている

経済産業省のプロジェクト「ドリームゲート」の

総合プロデューサーの吉田さんが夢なし君に対して行ったアドバイスだ。

素晴らしいアドバイスなので、

夢の無い人はこの中のたったひとつからでも実行して欲しい。

『親と子』

2003年09月24日 19時20分15秒 | MAMIの哲学的思考
2003.9.24

あるとき、岐阜に住む親友が「親と子、どっちが偉い?」と、質問してきた。

彼女が聞いてくるってことは、答えは単純に「親」じゃないことは確か。

裏を書いて「子供」と答えた。

答えは、「親も子もどっちも対等。

だって、子供が生まれた瞬間に親は、その子の親になるわけだから、

どちらも親1年生、子供1年生なのだ。」と言う。

兄弟が居たとしても、その親子関係においては、常に1年生。

なるほど!!と思った。

そして、私の中にある「人間皆対等」と言う考え方にもマッチしているので、

以来、この考え方は「イタダキ」だ。

我が家の親1年生は同級生である子供1年生に教わることの方がはるかに多い。

『フリーター』

2003年09月24日 19時03分13秒 | 社会との関わり
2003.9.24

1990年に183万人だったフリーターが2001年には417万人と、

10年で倍以上になっているそうだ。

今は、もっと増えているかも知れない。

昔のフリーターは、本来なりたい仕事・・・

例えば、俳優やタレントを目指している間、

食べるためにアルバイト生活をしていたかも知れない。

今はどうだろう?

「会社に縛られたくない」

「豊かでなくても気ままに暮らしたい」

「仕事につく自信が無い」と言うのが大きな理由らしいが、

志を持って、それを目指すための途中過程としてのフリーターならば

応援したいと思う。

早く夢を見つけてそれに向かって走り出して欲しいと思う。

夢を持てないとしたら、そんな悲しいことはない。

『対等』

2003年09月22日 19時02分05秒 | MAMIの哲学的思考
2003.9.22

人と人は対等だ。

先に生まれた方々は、人生の先輩として敬いたいが、

尊敬することと、人間として対等なのは別だと思う。

ノアの箱舟に乗っている

赤ちゃん、学生、社会人、会社の社長、総理大臣・・・・。

もしも、誰か一人がこの舟から降りなければ全員が助からないとしたら、

誰が降りるべきだろう?

命のレベルで考えたら、どの命も同じように大切で、

優先順位など付けられるはずがない。命はみな対等だ。

強いて順番を決めるなら、若い命の方が将来の可能性があるかも知れない。

そして次の命を宿すためには男女が居なければならない。

年齢や男女の区別はあっても差別することはできない。

『出過ぎた杭は打たれない』

2003年09月18日 19時00分57秒 | MAMIの哲学的思考
2003.9.18

『出る杭は打たれる』けど、

『出過ぎた杭は打たれない』そうなので、

どうせ出る杭であるならば、大いに出過ぎて、

誰もが打つのを諦めるようにしてしまいたいものだ。

この文章を読んだ誰かに、

「とっくの昔に出過ぎて、抜け出てますよ!!」なんて、言われそうだ。

出過ぎて抜け出た杭は、もう杭の役割を果たさないわけだが、

私の場合は周りの誰かが、

必ず私が果たすべき杭の役割を担ってくれているような気がする。

そんな影で支えてくださる人たちが居るおかげで、

私は出過ぎた杭で居られるのだと思う。

そんな支えて下さっている皆様に日頃はお礼も申し上げておりませんが、

ここで感謝させて頂きます。(合掌)感謝!感謝!!

『人すべて師なり』

2003年09月18日 18時59分29秒 | MAMIの哲学的思考
2003.9.18

『人すべて師なり』私の好きな言葉だ。

例え赤ちゃんでも、年下の学生でも、フリーターでも、あるいは犯罪者であっても、その人から学ぶことがある。

そこから如何に学ぶかは自分次第だ。

もちろん、悪いことをした人から学ぶのは、その悪いことではない。

また、例え悪いことをしたからと言って、その人の全てが悪いわけではなく、

どこかに何かよいところがあるかも知れない。

「罪を憎んで人を憎まず」は、そんな考えから生まれた言葉だろうか?

最近は、そんな悠長なことを言ってられない社会になりつつあり、

憂うばかりだが、それでも「その人から学ぶものはあるはず」と思って

人と接したい。