■ 国指定史跡 小田城跡

常陸(茨城県)の城攻め3ヶ所目は、これまた国指定史跡であるつくば市の『小田城跡』となった。初めに攻めた「関城城跡」のある筑西市には
これ以外にも城跡があるし、次に攻めた「真壁城跡」の桜川市においても同様であった。ならば、同じ市内の城跡を攻めたほうが時間の無駄も
ないし、効率的であることは十分承知していたが、飛び飛びの城攻めとなったのも成り行きであったし、ある種の必然性があったためである。

この『小田城』は、鎌倉期から戦国期まで小田氏の居城として使われていた平城である。



写真3枚は、いずれも「曲輪1(主郭)」の状況である。城域はこれの何倍もの広さである。
曲輪内を斜めに走る道ようのものが、これは、筑波鉄道筑波線(廃線)の線路跡だそうです。




小田城跡は発掘調査を終え、現在は、城址公園とすべ区整備工事を行っております。あと何年かしたらまた攻めてみたいですね。
細々と書けばよいのでしょうが、詳しくはHP等で調べてください(興味ある方はですが)
散策日:2010年(平成22年)3月13日(土)

常陸(茨城県)の城攻め3ヶ所目は、これまた国指定史跡であるつくば市の『小田城跡』となった。初めに攻めた「関城城跡」のある筑西市には
これ以外にも城跡があるし、次に攻めた「真壁城跡」の桜川市においても同様であった。ならば、同じ市内の城跡を攻めたほうが時間の無駄も
ないし、効率的であることは十分承知していたが、飛び飛びの城攻めとなったのも成り行きであったし、ある種の必然性があったためである。

この『小田城』は、鎌倉期から戦国期まで小田氏の居城として使われていた平城である。



写真3枚は、いずれも「曲輪1(主郭)」の状況である。城域はこれの何倍もの広さである。
曲輪内を斜めに走る道ようのものが、これは、筑波鉄道筑波線(廃線)の線路跡だそうです。




小田城跡は発掘調査を終え、現在は、城址公園とすべ区整備工事を行っております。あと何年かしたらまた攻めてみたいですね。
細々と書けばよいのでしょうが、詳しくはHP等で調べてください(興味ある方はですが)
散策日:2010年(平成22年)3月13日(土)