埼玉県加須市礼羽に所在したとされるする鎌倉幕府の御家人礼羽氏の館跡を訪ねてみました。(礼羽=らいは)
礼羽館に関する詳細は不詳で、館跡と言っても伝であり特定された場所があるわけでもないようです。伝・館跡は畑と宅地で
遺構はありませんが、標柱が建っています。城館探訪にとって遺構がないだけに標柱はありがたいものです。
標柱の側面に説明が書かれているのですが直ぐ脇に電柱が建っているために正対して読んだり写真を撮ったりすることができ
ません。書かれている説明は次の通りです。
「吾妻鏡」によると建保元年(1213)5月2日に和田義盛が挙兵し鎌倉幕府を襲撃しました。その際、義盛の3男義秀の乱
入を防ごうとして義秀に討たれた武士の中に礼羽氏の礼羽蓬乗の名がみえます。礼羽には番場、早道場、沖坊など礼羽氏に関
する地名がみられます。このあたりは礼羽氏の館があったところと古くから言い伝えられています。礼羽氏が館を構えたので
その地名がついたのか、地名をとってその姓にしたのかは不明ですが、礼羽氏とこの地は深い関わりがあります。
平成元年3月 加須市教育委員会
※「建保」と改元されたのは1213年12月6日ですから、この5月2日はまだ「建暦3年」の筈ですが?
ここから100m有るか無いかの所にもう一つ「伝承 陣屋跡」の標柱があります(黄色の丸印)
徳川家康の旗本設楽氏の陣屋がこの地に置かれたとあります。これについては別記事にしたいと思います。
更に、この「伝承 陣屋跡」標柱のある付近に「石皿」のことが書かれた説明板があるとの事前情報から付近の歩いてみまし
たら、標柱の建つ一角の南側にある旧家の屋敷前の堀の中に、「加須市指定有形文化財 石皿」とある標柱を発見。
説明板は外からでも見れば見えるのですが、屋敷の庭に建っていました。幸い当屋敷の奥さんと思われる女性が堀の中の芹か
何かを摘んでいましたので、説明板を見せて下さいとお願いしました。説明板だけではなく、「石皿を見せるよ」と予想外の
言葉が返ってきました。このお宅に石皿の現物が保管されているとは全く考えもしていなかったからです。
奥さんは野草を摘むのを中断し、私を玄関先まで案内し、旦那さんに石皿の話をすると、旦那さんは一旦部屋に入り、石皿と
土器の破片を持ってきて、玄関先の椅子の置いてくれたのです。
石皿の説明板
見せていただいた石皿と土器の破片
同上
ほんとに貴重な思い出となりました。
散策日:平成30年(2018)4月17日(火)