四季・めぐりめぐりて

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名細の万葉歌碑(埼玉県川越市)

2020年06月05日 | 歌碑・句碑


碑 名:伝承 名細第一土地改良区記念之碑
所在地:埼玉県川越市鯨井(名細地区)

川越市の名細(なぐわし)地区は、かつては『名細村』でした。
明治22年(1889)4月1日、近隣9カ村が合併して誕生したのが、高麗郡『名細村』で、「名細き」
(なくわしき)とは、「美しい・名高い」の枕詞で、古歌からこの言葉を探して村名にしたとの
ことです。
明治29年(1896)3月29日、高麗郡が入間郡に編入したことにより入間郡名細村となりましたが、
昭和30年(1955)4月1日、川越市に編入合併したことで名細村は消滅しました。明治の大合併で
誕生し、昭和の大合併まで続いた「名細村」。この由緒ある村名を永久に残すために元の名細村
の一画に建立されたのが、この【伝承 名細第一土地改良区記念之碑】です。




【碑文】
 名細第一土地改良区記念之碑
  伝 承  吾等は遠都祖先よリ此の地を
       継承して 報恩感謝以て努力し
       愛護しきたれり これを後世児孫に
       伝承す 冀くは時世に順応しつつ   
       長久に保持されんことを          
         万葉集に
       名細き 稲見の海の おき津浪
         千重にかくりぬ 山跡島根は

と陰刻されています。

上記のとおり、末尾は、
    名細き 稲見の海の おき津浪
      千重にかくりぬ 山跡島根は
と結んでいます。

この歌は、
 万葉集 第3巻 303番歌
 作者 柿本人麻呂
 題詞 柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌二首
で、
《原文》  名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者
《訓読 》 名ぐはしき印南の海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は
《よみ》 なぐはしき いなみのうみの おきつなみ ちへにかくりぬ やまとしまねは 
《 訳 》 その名も美しい印南の海の沖の波が幾重にも重なって、とうとう故郷大和の山々も見え
      なくなってしまった。




この万葉歌が並記された石碑は「川越資源化センター」(川越市鯨井782番地3)の道路を挟んだ東
側角に建立されています。(この場所は地番はあっても、番地はありませんので番地での紹介がで
きませんので写真にしてみました)
なお、この碑の存在につきましては、jikan314 さんのブログに紹介されていたことから知りました。
jikan314 さんにお礼申し上げます。

散策日:令和2年(2020)5月30日(土)

2 コメント

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Unknown (jikan314)
2020-06-05 19:14:18
歌碑はちょっと遠かったかと存じます。3密とは無縁の場所でうっすら汗をかく位ですね。
小生拙blogをご紹介頂き感謝申し上げます。
埼玉を知る上で貴blogは手放せません。この疫病が治まったら、児玉に行く予定です。熱中症対策をして。
拙句
梅雨前に押入れ開けて風入れて
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Unknown (とりち)
2020-06-06 05:11:33
jikan314 さんありがとうございました。
名細の地名については知っていたものの、その由来を知ったのは伝承碑をご紹介いただいたおかげです。
合併、合併で歴史や由緒ある地名がどんどん消滅しています。
しかし、名細村は、こうした形で名を残しています。
また、児玉党との繋がりが深い児玉町にあっては、本庄市と合併しましたが、本庄市児玉町〇〇と児玉の名を残しています。
相変わらずマイナーなところばかり訪ねていますが、これなら3密にはなりませんから(笑)
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