2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に、埼玉県比企地域にゆかりのある武将・人物(比企能員、畠山
重忠、源範頼、木曽義仲・比企尼、丹後局)なども描かれる予定で、比企地域9市町村(東松山市、滑川
町、嵐山町、小川町、川島町、鳩山町、吉見町、ときがわ町、東秩父村)では、2020年12月に『大河ドラ
マ「鎌倉殿の13人」比企市町村推進協議会』を立ち上げて、さまざまな取り組みをしているようです。
ということから、これまでにこれに関連した投稿を何度かしてきました。
上の写真の 『比企三姫』と誉れ高き武士 畠山重忠 のリーフレットは 「嵐山町ステーションプラザ嵐
なび」に置かれているとの嵐山町観光協会のHPで知り、先日、頂いてきたものです。
東松山市の大岡市民活動センターで頂いてきた 『比企三姫』と「令和」のおじいちゃん と内容は全く
同じもので、表紙の仙覚律師のイラストが畠山重忠に変っただけのものです。
嵐山町には、重忠の館跡と伝わる「菅谷館」があることに由来する【嵐山町バージョン】のリーフレット
と捉えてよいかもしれません。
重忠は、鎌倉幕府の「十三人の合議制」(鎌倉殿の13人)には入っていませんが、鎌倉幕府の有力な御家
人でした。讒言により謀反を疑われた重忠は二俣川で討ち死にという最期でしたが・・・
背表紙には、「誰かが探した、比企25選」が載っています。この25選の中に、畠山重忠と仙覚
律師は入っていませんが、見た通り別枠で扱われています。
畠山重忠・菅谷館についてはこのブログで色々な形で何度も扱っていますので今更ではありますが、
上掲のプロフィール(それほど大袈裟なものでありませんが)に合わせて撮ってあった写真から・・・
畠山重忠の館跡と伝わる『菅谷館跡』です。しかし、どの場所に館があったかはわかっていません。
また、現在の館跡は、戦国時代に数度にわたる改築を受けて城郭として整備拡大したものと思われ
ます。
菅谷館跡二郭の土塁上に建立されている『畠山重忠像』
鎌倉方向を向いています
リーフレットのイラストとはだいぶ違いますね
畠山重忠公史跡公園”畠山館跡”(深谷市・旧大里郡川本町畠山)に建立されている『重忠節」碑
『重忠節』 畑和さん(はたやわら・元埼玉県知事)作詞
一 国は武蔵の 畠山
武者と生まれて 描く虹
剛勇かおる 重忠に
いざ鎌倉の ときいたる
二 平家追い討つ 一の谷
愛馬三日月 背に負えば
そのやさしさに 馬も泣く
ひよどり越えの 逆落し
三 雪の吉野の 生き別れ
恋し義経 いまいづこ
静の舞の 哀れさに
なみだで打つや 銅拍子
四 頼み難きは 世の常か
誠一途が 謀反とは
うらみも深く 二俣に
もののふの意地 花と散る
五 仰ぐ秩父に 星移り
菅谷館は 苔むせど
坂東武者の かがみとぞ
おもかげ照らす 峯の月
「重忠節」の二番にも出てくる 『愛馬三日月を背負った畠山重忠公像』 畠山重忠公史跡公園”畠山館跡”
三日月を背負ってヒヨドリ越えの逸話は事実ではなく、これは重忠が力持ちであったことや優しさからの創作と
言われます