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AKB48の旅

AKB48の旅

関ジャニの仕分け∞「柔軟女王」

2013年12月16日 | AKB
もともとは、荒川静香さんのイナバウアーをフィーチャーした、オリンピック金メダリストとしての、荒川静香ありきの企画だったという理解で合ってるよね。だから実際に競ってるのは、より過激なイナバウアーだった。

つまり、この奇妙な競技内容はというと、リンボーのようであってリンボーじゃない。スケートがネタ元なんで、床が動く。「柔軟女王」という呼び方自体が後付けというか、取って付け。もともとはイナバウアー女王。

ちなみに、イナバウアーが、氷上のマトリックス技のことではなく、あれは本来「アラカワ」と呼ばれるべき技であること、技としてはポイントが付かないことは、いちおう蘊蓄として書いとこ。

そこに、たまたま須田さんがはまってしまった。これが企画ものの面白さというか、まさかこんな怪物が隠れてるなんて、テレビサイドも思いもしなかっただろうし、須田さん自身、自らの驚異的な身体能力を発揮できる、こんなチャンスに巡り会えるなんて、思いもしなかっただろう。このあたり、チャンスがどこに転がってるかなんて、誰にも分からないの典型だし、今は無きテレビチャンピオンを彷彿とさせる。

「関ジャニの仕分け∞」に須田さんが初登場しいたのが、3月30日。この時の占有時間が20分40秒ほどだった。明らかに、カラオケや太鼓ゲームの方がメインコンテンツであり、「柔軟女王」は、荒川さんのネームバリューにおんぶした、お試し企画のようなものだった。

ところがそこに須田さんがいた。有名どころのアスリートを、「たかが」無名アイドルがなぎ倒した。しかも、そのバーをくぐる姿が、明らかに人間離れしてた。驚異的と言えた。おそらくは、テレビサイドがまったく予想していなかった、瓢箪から駒的な、オモシロネタにして、オモシロ映像だった。

2回目の出演回は、6月22日。占有時間は28分55秒と4割増しになったけど、まだメインコンテンツ扱いではない。このあたり、テレビ業界の劣化というか、スピード感のなさが如実に表れてると見るのは、考えすぎか。

その後、他局の番組「人体科学ミステリー」で、須田さんが取り上げられて、その身体能力の秘密をCTで調べるという、とんでもない内容だった。CTで調べるという方法論自体が論外なんで、この番組それ自体については、徹底的に批判的な立場に立つしかないけど、それでもこれで、テレビ朝日的には、尻に火が付いたということなのかもしれない。

12月14日放送の今回は、実に1時間以上の占有で、完全にメインコンテンツ扱い。ようやくにして須田さんの番組になった、そう当初は思ったんだけど、うーん、見終わってしばらく経ってからの印象としては、それは違ったかも知れない辺り。これまでテレビ局が、須田さんに必ずしも飛びつかなかった理由というのは、けっこう残酷な現実だったのかも知れない、そう次第に思えてきた。

その露骨とも思える編集意図から、今回のメインは、明らかに室加奈子さんだったと言えてしまいそう。オリンピックメダリストを含めて今回の参加者は、須田さん、室さんの二人以外は、明らかに当て馬。というか、何よりテレビ局が刮目したのは、室さんだったという風に見える。

失礼を承知で書いてしまうけど、須田さんの弱点は、やはりアイドルとしての容姿にあるんだろう。容姿的な説得力が無かったから、これだけの超人的な身体能力を示しながら、アイドル枠であるが故に、訴求力が弱かった。

ところが今回、「オーディション」という枠で、室さんが現れた。「オーディション」という説明については深入りしないけど、まあ何にせよ、室さんが須田さんに迫る活躍をした。そこで何より重要だったのが、室さんが、一般的な容姿の見え方として、アイドル枠として極めて説得的なこと。

ここからは、合理的な推測のつもりで書いてみる。室さんの容姿と実力が認知された時点で、テレビサイドとしては、「柔軟女王」をメインコンテンツにできる目処がついたということなんじゃないか。須田さんだと、「アイドル」という本来の看板がむしろ邪魔になる。けれども室さんなら、なんの疑問もない。

そこで強すぎるチャンプとしてのヒール須田と、その須田さんにどうしても勝てない、ベイビーフェイス室というプロレス設定が組める。この戦いに、AKB選抜総選挙を絡めるために、AKB名義の参加者として、横山さんが呼ばれる。一般人は、SKE、NMBと言われても、今一ピンとこないはず。そこはAKBという大看板が必要という判断。AKB選抜総選挙という、分かりやすい順位で表現される下克上。

そして、この「「柔軟女王」がいかに凄いのかを示す、その一般指標として、タレントや芸人に挑戦させ、一方でその超人ぶりのマーカーとして、オリンピックのメダリスト、シルクドソレイユを配す。これで、ゴールデンのメインコンテンツとしての仕込みはオッケーということになり、あとは関ジャニに弄らせ、編集でさらに煽る、そういうことなんじゃないか。

そういう「邪心」な要素は置いといて、内容的には、須田さんが素晴らしかったし、室さんもよく食らいついた。爪痕を残したんじゃないか。そこに尽きると思う。これで室さんにチャンスの順番が回ってくるとしたら、それが何より。

思い出せる君たちへ~旧チーム4版H1st 僕の太陽公演~ 5/19昼

2013年12月15日 | AKB
2013年5月19日の公演ということで、旧チーム4が解散になってから7ヶ月ということになる。そのせいなのか、それとも元々そうだったのかも知れないけど、一番気になったのがチーム感のなさ。全体曲のフリが揃ってないわけじゃない。個々のヴィジュアルレベルは高いし、皆個性的だけど、チームプレー、あるいは意識の統一みたいなものは、まったくと言って良いほど伝わって来ない。

だからなのかどうか、ユニット曲になると何かほっとした。「アイドルなんて呼ばないで」では、島崎さんのアイドル力が際立つし、他の三人も決して負けてない。ついでだけど、バックダンサーは研究生ではなくて、自前なのね。「ヒグラシノコイ」は、竹内さん、大場さんがしっかり聞かせる。山内さんが体調不良とのことで、アンダーに相笠さんだったけど、「愛しさのdefence」で人選の理由が納得される。

後半になっても、一体感は残念ながら一向に感じられない。MCを聞いてても、特別仲が悪いということはないように思うんだけど、それでも公演を楽しんでる感じがしない。そして、そんなこんなが覿面に露呈しまうのが「夕日を見ているか」ということに。

「夕日を見ているか」は、何を今更だけど、言わばAKB黎明期の象徴みたいな曲で、超選抜の突出した個性と物語性、そして堅い絆が感じられる神曲。そんな対比からは、誇張表現で言うなら、煮え切らない個性、チーム4解散という負の物語、そしてバラバラ感が際立ってしまう。

アンコール後のMCは、いみじくもチーム4解散の背景が、透けて見えたかのような内容になってた。もちろんネタ合わせというか、それなりに「台本」でやってるんだろうけど、そんなフィクションにこそ、実態があぶり出てしまう感じ。それはそれで面白かったけど。

なんかいろいろ批難めいた事書いたけど、それでも「BINGO!」、そして「走れペンギン」だけは突き抜けて素晴らしかった。旧チーム4の「BINGO!」は、以前から私的に高評価させてもらってたし、リクアワ2013の「走れペンギン」は神曲以外の何ものでもなかった。この2曲が象徴してるものが、正に旧チーム4の栄光と挫折という感じ。

「鈴懸」MV

2013年12月14日 | AKB
「鈴懸 Music video -Short Film ver-」「鈴懸 Music video」

タイムカプセルから高校卒業10年後の再開。ありがちなネタだし、つい最近にも、似たようなMVを見たような気がするけど、何だったか思い出せない。タイムカプセルの中に、北原さんが携帯を入れたのには驚かされたけど、もしかして今時は、かつての手紙のように、当たり前に行われてることなのかな。10年後にどうやって充電するんだろうとか、考えたら負けなのか。

「広告プランナーとして独立、起業」した松井Jさん、「イタリアンレストランで修行中」の大場さん、「女優」の北原さんは、その姿がそれぞれちゃんと映像化されてる。他のメンバーの10年後も、なかなかよく練られてて納得ものだと思うけど、映像はない。この差別化は、選抜総選挙順かなとも思ったけど、そうなると藤江さんが謎となる。こういうのが、大場さんが「推され」ということ?

「Mosh & Dive」

映像的にはひねりはないというか、MVとしてはスタンダードかな。じゃんけん選抜の共通C/Wらしく、と言って良いのか、ちょっとだけ大人数選抜なところが、面白いかも。「鈴懸」と比べると、さすがに超選抜メンバーのキャラの濃さが、際立つ感じ。

「Party is over」

思わせぶりな、意味深な作り。象徴的な表現が多用されてるけど、その中でストレートなのが、文字として表示される"Starting over"と"Party is over"の部分。それぞれ歌うのは、西野さん、大和田さん、小嶋真子さんと、小嶋陽菜さん、大島さん、高橋さん。

歌唱メンバーと合わせ、"Party is over"という表現が、「PARTYが始まるよ」を意識したものであることは明らか。曲の題名としてはこちらを採用してるけど、1番の歌詞としての"Starting over"の方が表だった言葉と言うことで、なかなか複雑なというか、凝った作りになってる。とは言え、言いたいことは明快なようで、世代交代にして、第1世代の終了ということなんだろう。

「Escape」

かっこいい曲に乗って、激しく踊り倒す。正にSKEど真ん中な感じだけど、フリはどこかEXILEというかE-Girls?キーボードは東李苑さんかな。

「君と出会って僕は変わった」

大阪全開にして、ダンスの振りが揃ってて柔らかくて、これまたNMBど真ん中な感じ。「あさば学園」の由来は何?

「ウインクは3回」

ブレザーの学生服とチェックの衣装、カワイさ満載でアイドルど真ん中の王道路線。こちらもHKTらしさに溢れてる。

以上で終わらせても良いんだけど、余計な一言。今回の姉妹グループ曲には、明快なコンセプトの指定があったように感じる。AKBは、現状に対するかなり穿った内容になってる一方で、SKE、NMB、HKTは、それぞれの個性を強く意識した、強調したものになってるように思う。

これはあれなのかな、じゃんけん選抜という、「一休み」というと語弊があるけど、次の跳躍の前の充電期間とでも言うか、そんなタイミングでの、現状戦力の再確認という感覚なのかな。

「LOVE修行」

新チーム4+ひらるんぽんによる、至極まっとうなMV。経緯を知らないけど、なんでここに入ってきたんだろう。

TBS テレビ未来遺産 逆境を乗り越えたあの人の魂の言葉2013

2013年12月13日 | AKB
「各界の著名人たちが語るお金に対する考え方」という問いに対する秋元氏の解答が、「色鉛筆のようなもの」だった。24色、36色、48色の色鉛筆という例を出して、けれども1色でも描ける想像力が大事なんだと言う主張。ここは48色を言いたかっただけのようにも見えた。

言ってることは分からんでもないし、つまりはお金とは道具に過ぎないと言うことを言いたかったのかも知れないけど、たぶん、テレビ的にはもう少し美味しいことを言って欲しかったんじゃないかと邪推するし、この解答は、ある意味実に秋元氏らしい、食えない解答になってると思う。

「人生に絶望し自ら命を絶とうとしている人に、どんな"命を救う言葉"を投げかけますか」というお題には、「階段につれてって、階段の一段、そっから飛び降りなさい」だった。この解答は「1ミリ先の未来」の系になってるのかな。これは、それなりに秋元氏を追いかけてれば、秋元氏らしい物言いになってるのが分かるように思う。

最後、「Life Word」というお題に対する解答は、「人生無駄なし」だった。これも何とも食えない解答で、問題はそこじゃないだろと。「人生無駄なし」というのはそのとおりなんだろうけど、そう思える、そういう価値観に至れるという、そこんところが大事なんじゃないかなあ。

現実として、人はどのように生きるとしても必ず死ぬわけで、その生き方、死に方も様々。この世に生まれたという事実が、生きると言うことの所与なんであり、そこは「逃れようがない」と見なすこともできる。そんな現実を「人生無駄なし」と言い切れる、その幸せに気づこう、そういう意図なら、分からんでもないのだけど。

けれども、成功者としての秋元氏がそういうことを語るというのは、嫌味と捉える向きもあるかも知れなし、皮肉に聞こえる、あるいは悪意と見なす人がいるかも知れない。うーん、考えすぎかな。

DIAMOND Online 「Perfumeファン」「AKBファン」、あなたはどっち?

2013年12月12日 | AKB
http://diamond.jp/articles/-/45729

のっけから頭が痛くなる展開で、それこそ突っ込みどころだらけだなと思いながら、飛ばし読みしてしまったけど、もしかしてこれは巨大な釣り針だったのかな。もしかして、あっさり釣られた?

まずは冒頭から突っ込み。ある価値観を設定して、それに基づいて物事を2分割した上で語るというのは、物事を単純化して、議論に説得力を持たせる方法論として、定着してるのかな。通常は、その一方を顕彰する、あるいは非難する目的で使われてるように思う。小林よしのり先生なんかが、たぶん多用してる。

そういや対立厨なんて言葉もあるな。とりわけ、非難を目的とする場合が多いんだろうと思うけど、その場合、相手の設定を大げさにすればするほど面白くなるんで、たいていはオーバーシュートして、虚偽の設定にしてまでも貶めることになる。こうなるともう、藁人形論法と変わりない。

次。「愚者は経験に学ぶ」というのは、けっこう使い勝手の良い言葉だけど、これとペアになる言葉は、「賢者は歴史に学ぶ」では必ずしもなくて、実際には、経験にすら学ばない馬鹿、という隠し設定であるような気がしないでもない。

さらに。フェミニズムを語るのは難しいし、正直敬遠したいんだけど、「女性解放」という枠組みとして捉えるのであれば、そこは日本という文化圏を再定義した上で、1から議論を組み上げる必要はないか。上野千鶴子氏等の議論をしっかりフォローはできてないんで、正鵠を射てるかどうか自信はないけど、欧米型のフェミニズム思想を、そのまま日本に当てはめるというやり方は、とっくに破綻してると言い切って良いんではないか。

そっから後は、これら出発点がいろいろ「間違ってる」と思うんで、なんか読んでて辛いものがある。日本型のアイドルが、日本からしか産まれない、少なくとも欧米では、ほとんど理解すらされないという、文明レベルでの差異をまずは論じないことには始まらないのでは。

私としては、出発点として「カワイイ」という概念を定義すること、つまりはそれが子供属性であることから初めて、欧米の価値観と対比させることで、日本型アイドルの正体が逆照射される、そういう手順が説得的なんじゃないかと思う(既述)。