あらためて見終わって思ったのは、なんとも不思議な作品だなということ。おもしろくない、おもしろい、どっちかと聞かれれば、それはおもしろかったと、ちょっとだけ躊躇してから答える。と言うのも、ストレートに面白い要素と、どうしようもない救いのなさが、ない交ぜになってる。錯綜してる。
けっこう細切れに見たんで、個別の要素とかの話はできないんだけど、物語としてリアルであるべき物事が、なんとも嘘くさく思え、その一方で、虚構でしかあり得ない物事が、奇妙にリアルに思えるという。そして、そんな物語の構成と、佐藤健さん演じる深井平太の目線から見た、前田さんのステレオタイプなロボットぶりが、見事に重なってる。
具体的には、抑揚のないしゃべりと、ぎこちない身振り手振りのロボットのQ10の方が、次第にリアルに見えて来る。そんな姿がどうしようもなく可愛く、愛おしく写る。一方で、リアルモードのデータカード?でリアルな女性としてキスを迫るQ10は、かえってリアリティがなくて、実際に平太は、そんなQ10を拒絶する。
そんな平太を演じる佐藤さんのリアルのように見えるものと、Q10を演じる前田さんのリアルが、あたかもメタ構造のように、そこに被さってくる。それが、二人のリアルな恋愛模様に見えてくる。そんな虚構であるはずの要素が、いちばんリアルに思えてくる。ずっと先のことになるけど、例の後日談を鑑みても、そこは存外にリアルだったのかも。
古めかしい舞台設定や時代背景、斜に構えるようでいて、変則的に真っ正直な青春の輝き、いくつもの、もどかしい恋愛模様、そこにしつこいまでに描き込まれた虚実の反転。そんな「なぜ」の答が、最終的には謎解きという形で明かされる。それが、すべては死期を迎えた老人の懐古だったから、という救済のないものであったことに、何というか、打ちのめされる。Q10のリセットボタンを押す行動が、日本という高信頼社会ならばこそというのも、であるにもかかわらず、Q10との記憶が消えて行くという報われなさが、あまりに救いのない悲劇に思える。
老人には未来はない。そんな老人目線での「努力は必ず報われる」「諦めなければ夢は叶う」そんなスローガンが無に帰す悲しみ。因果地平の向こう側になってしまうという恐怖。そんな思いが時空を超えて、虚実の逆転を演出する。因果の反転を希求する。実際に、この作品の「ハッピーエンド」は、美化された青春の懐古。だからこそ、ラストシーンの「妻」との出会いの前田さんは、そこにだけ光が射したかのように、輝くように美しい。
こんな物語をドラマにしようとしたのには、どんな意図があるんだろう。そして、そこに前田さんを起用したのは誰なんだろう。本当にそこまで前田さんという存在を理解していたんだろうか。それとも青春の輝きを表現するために、シンプルにアイドルというアイコンを求めただけなんだろうか。そんな陰謀論のような「制作意図」を詮索したくなる。やはりなんとも不思議な作品。
けっこう細切れに見たんで、個別の要素とかの話はできないんだけど、物語としてリアルであるべき物事が、なんとも嘘くさく思え、その一方で、虚構でしかあり得ない物事が、奇妙にリアルに思えるという。そして、そんな物語の構成と、佐藤健さん演じる深井平太の目線から見た、前田さんのステレオタイプなロボットぶりが、見事に重なってる。
具体的には、抑揚のないしゃべりと、ぎこちない身振り手振りのロボットのQ10の方が、次第にリアルに見えて来る。そんな姿がどうしようもなく可愛く、愛おしく写る。一方で、リアルモードのデータカード?でリアルな女性としてキスを迫るQ10は、かえってリアリティがなくて、実際に平太は、そんなQ10を拒絶する。
そんな平太を演じる佐藤さんのリアルのように見えるものと、Q10を演じる前田さんのリアルが、あたかもメタ構造のように、そこに被さってくる。それが、二人のリアルな恋愛模様に見えてくる。そんな虚構であるはずの要素が、いちばんリアルに思えてくる。ずっと先のことになるけど、例の後日談を鑑みても、そこは存外にリアルだったのかも。
古めかしい舞台設定や時代背景、斜に構えるようでいて、変則的に真っ正直な青春の輝き、いくつもの、もどかしい恋愛模様、そこにしつこいまでに描き込まれた虚実の反転。そんな「なぜ」の答が、最終的には謎解きという形で明かされる。それが、すべては死期を迎えた老人の懐古だったから、という救済のないものであったことに、何というか、打ちのめされる。Q10のリセットボタンを押す行動が、日本という高信頼社会ならばこそというのも、であるにもかかわらず、Q10との記憶が消えて行くという報われなさが、あまりに救いのない悲劇に思える。
老人には未来はない。そんな老人目線での「努力は必ず報われる」「諦めなければ夢は叶う」そんなスローガンが無に帰す悲しみ。因果地平の向こう側になってしまうという恐怖。そんな思いが時空を超えて、虚実の逆転を演出する。因果の反転を希求する。実際に、この作品の「ハッピーエンド」は、美化された青春の懐古。だからこそ、ラストシーンの「妻」との出会いの前田さんは、そこにだけ光が射したかのように、輝くように美しい。
こんな物語をドラマにしようとしたのには、どんな意図があるんだろう。そして、そこに前田さんを起用したのは誰なんだろう。本当にそこまで前田さんという存在を理解していたんだろうか。それとも青春の輝きを表現するために、シンプルにアイドルというアイコンを求めただけなんだろうか。そんな陰謀論のような「制作意図」を詮索したくなる。やはりなんとも不思議な作品。