AKB48の旅

AKB48の旅

AKB第2章

2016年07月02日 | AKB
こじはる、AKB第2章発言に待った
http://www.asahi.com/and_w/interest/entertainment/CORI2074309.html

映画の中では、高橋みなみの卒業コンサートで総監督の横山由依が「AKB48の第1章が終わったと感じました」と話すシーンがあるが、節目のたびに使われる「第2章」の解釈は諸説ある。小嶋は「由依ちゃんが第2章って言った瞬間、“えっ?”て思いました」とぶっちゃけて待ったをかけ、「私は1期生なので、当初の目標だった(2012年8月の)東京ドームコンサート、あっちゃん(前田敦子)の卒業が第1章(の終わり)だったかなと思った」と笑顔でツッコんだ。

第1章、第2章のちゃんとした定義がなされてないんで、この辺り人それぞれでいいんだろうけど、私的には小嶋さん同様、前田さんの卒業をもって第1章の終わりと受け取ってるのは既述の通り。

その時点で前田AKBは終了し、必然的にその前田AKBからの脱学習が試みられることになる。やはり私見だけど、それを能動的に引き受けたのが島崎さん。脱学習というのはその性質上、労多くして益少なしとならざるを得ない上に、ある種「リハビリ」とも通底する苦しさ、痛みを伴うことになる。それは外形的にも「混迷」とか「低迷」として映ることになる。そんな火中の栗を拾うような責務を負い、たぶん因果関係を見ても良いと思うんだけど、島崎さんは病に倒れてしまうこととなった。

そんな脱学習と再学習の混乱の中で、高橋さんの卒業による動的組織の脱構築と再構築が、これまた当然の如く並行して進むこととなった。こちらを担ったのは、言うまでもなく横山さん。図らずもというか、半ば必然的に「ゆいぱる」という静的構造での比喩が、ここに現れてくることになる。これは因果とかではあり得ないんだけど、AKBというか秋元氏の強運ぶりの表現とも受け取れる。

その上で再学習と再構築が成し遂げられた時を、第2章の始まりと見るのが妥当なんだろうと思う。それがいつになるのか、どういう形になるのかは決して予測できないけど、おぼろげながらも目鼻立ちが見えてきたのが、今回の選抜総選挙の結果ということになるんではないか。