huiziさんに教えていただいて神保町の手芸の本の専門店art-bookshop&cafeに行きました。
3月26日(木)
この日は青森の手仕事展ーこぎん刺し・裂織ーの初日。
弘前こぎん研究所の成田さんによる、刺し方、歴史についてのレクチャーが行われました。
神保町の本屋さんの連なりが途切れた辺り。
こんな、可愛いお店があったのですね。
中に入ると、フロアが3層に分かれていて、手芸に関する本がぎっしりとならんでいます。
ただし、私の勝手な想いなのですが
展示スペースが、期待していたより小さく。
多くの作品をじっくりと観て~という訳には行きませんでした。
博物館ではなく、本屋さんなのですから、当然ですが。。。
弘前こぎん研究所の成田さんのトークショーは
主に、こぎん刺しの歴史についてでしたが、とても興味深く、楽しいお話でした。
特に印象深いのは
布目を拾って直線的な文様を刺す、というのは世界各地に伝統的な刺繍の文様としてみる事ができるが、補強と保温の役割も備えているのは、日本(青森)のこぎん刺しと菱刺しだけであること。
西こぎん・東こぎん・三縞こぎん・菱刺し。と
地域的な特徴がはっきり見て取れる事。
また、それ以外の地域(近県)では全く刺されていなかったこと。
~不思議です。~
そして、明治以降、こぎん刺しの作り手が減少していったこと。
理由は木綿布が多く流入するようになったこと等で
手をかけなくとも暖かな衣服を手にできる様になったから。
しかし、刺し文様がそれまでより多様化し広がっていったのも
同じく明治以降であったとか。
非常に興味深いお話です。
他所から入ってきたデザインに多少なりとも影響を受けたとも考えられますが
必要に駆られた手仕事であったものが衣服となる布の調達に余裕が出来て。
こぎん刺しは、それを楽しむ人だけが刺すようになり。
それゆえ新しい刺し文様が生み出されていったとも考えられるのです。
「こぎん刺しが生まれた時代背景や歴史的な意味合いを置き去りにして、装飾の部分だけが残るのではいけない。
でも、技術を伝えていく為には経済的な自立も大切な事。
今の時代にその二つの要素をバランスよく整える事は難しい。」と成田さんは話されていました。
藍地に白糸でなければ「こぎん」ではないという意見もある中、色鮮やかな製品を作るようになったというお話も。
確かに、確かに、難しいことですね。
そして
「こぎん研究所で製作している女性はみな、こぎん刺しの歴史的な部分を伝承していこう、というおもいで作っている人はいない。ただ刺すのが楽しいから、という人ばかりです。」とつぶやくような成田さんの言葉が最後に心に残りました。
制限を強いられた厳しい生活の中で針を動かす人は、辛さの方が大きく勝っていたかもしれません。
それでも静かな動作の繰り返しの中に生まれるリズムを心地よく感じられる時間があったに違いない。
昔の女性たちも、現代の製作者の方々も、そして私のような超初心者も少しだけ、
同じ楽しさを共有しているように感じられて。
「こぎん」の魅力を確かめたようにおもいました。
青森のお土産、いただきました。
中にはとても美味しい皮付の紅玉が。
ご馳走様でした。
3月26日(木)
この日は青森の手仕事展ーこぎん刺し・裂織ーの初日。
弘前こぎん研究所の成田さんによる、刺し方、歴史についてのレクチャーが行われました。
神保町の本屋さんの連なりが途切れた辺り。
こんな、可愛いお店があったのですね。
中に入ると、フロアが3層に分かれていて、手芸に関する本がぎっしりとならんでいます。
ただし、私の勝手な想いなのですが
展示スペースが、期待していたより小さく。
多くの作品をじっくりと観て~という訳には行きませんでした。
博物館ではなく、本屋さんなのですから、当然ですが。。。
弘前こぎん研究所の成田さんのトークショーは
主に、こぎん刺しの歴史についてでしたが、とても興味深く、楽しいお話でした。
特に印象深いのは
布目を拾って直線的な文様を刺す、というのは世界各地に伝統的な刺繍の文様としてみる事ができるが、補強と保温の役割も備えているのは、日本(青森)のこぎん刺しと菱刺しだけであること。
西こぎん・東こぎん・三縞こぎん・菱刺し。と
地域的な特徴がはっきり見て取れる事。
また、それ以外の地域(近県)では全く刺されていなかったこと。
~不思議です。~
そして、明治以降、こぎん刺しの作り手が減少していったこと。
理由は木綿布が多く流入するようになったこと等で
手をかけなくとも暖かな衣服を手にできる様になったから。
しかし、刺し文様がそれまでより多様化し広がっていったのも
同じく明治以降であったとか。
非常に興味深いお話です。
他所から入ってきたデザインに多少なりとも影響を受けたとも考えられますが
必要に駆られた手仕事であったものが衣服となる布の調達に余裕が出来て。
こぎん刺しは、それを楽しむ人だけが刺すようになり。
それゆえ新しい刺し文様が生み出されていったとも考えられるのです。
「こぎん刺しが生まれた時代背景や歴史的な意味合いを置き去りにして、装飾の部分だけが残るのではいけない。
でも、技術を伝えていく為には経済的な自立も大切な事。
今の時代にその二つの要素をバランスよく整える事は難しい。」と成田さんは話されていました。
藍地に白糸でなければ「こぎん」ではないという意見もある中、色鮮やかな製品を作るようになったというお話も。
確かに、確かに、難しいことですね。
そして
「こぎん研究所で製作している女性はみな、こぎん刺しの歴史的な部分を伝承していこう、というおもいで作っている人はいない。ただ刺すのが楽しいから、という人ばかりです。」とつぶやくような成田さんの言葉が最後に心に残りました。
制限を強いられた厳しい生活の中で針を動かす人は、辛さの方が大きく勝っていたかもしれません。
それでも静かな動作の繰り返しの中に生まれるリズムを心地よく感じられる時間があったに違いない。
昔の女性たちも、現代の製作者の方々も、そして私のような超初心者も少しだけ、
同じ楽しさを共有しているように感じられて。
「こぎん」の魅力を確かめたようにおもいました。
青森のお土産、いただきました。
中にはとても美味しい皮付の紅玉が。
ご馳走様でした。
昨日から、この記事拝見してもうびっくりしているのです!!
だってだって、一昨夜、このお店の前を通りがかったんですもの。
もう閉店していて真っ暗でしたが、ウィンドウ越しに
とてもかわいいものが見え惹かれて、しばし立ち止まり
お店の中を覗き込んでいた怪しい人です(笑)
奥の方に、アイヌの衣装のようなものとかが見えましたが
それがこぎん刺しだったのですね、きっと。
洋書屋さんのようにも見えたし、気になりながら帰ったのです。
あっ、私は何しに神保町へ行ったかというと・・・
その日入荷すると情報を仕入れた豆本がちゃぽんを求めて行ったのですが
残念ながら、また売り切れでした。
次回は20日というので、今度は昼休みにダッシュ!と意気込んでおります。
神保町、久しぶりでしたがとても楽しい街ですね。
そうですか!はらぺこさんも
こちらの本屋さんと遭遇?していたのですね!!
そうなんです。店内には洋書も沢山ありました。
少しですがスターターキットのようなものとか、可愛らしい手芸作品などもありました。
時間を気にしないで、ゆっくり見てみたいお店です。
そうそう、はらぺこさんの記事を読んで、豆本のがちゃぽんが品切れなのは知っていたのですが・・・
この日、私もあの本屋さんに行ってしまいました・苦笑
すごい人気なのですね~~
さすが、神保町☆ですね。