保存鉄道車両巡りの旅2

鉄道車両の静態保存車を紹介するブログです。

札幌市 札幌市電の213号

2024-05-29 18:36:49 | 石狩・後志(北海道)

場所:札幌市北区屯田9条12丁目6-1

保存車両:札幌市交通局213

(2024年5月27日訪問)

 

事業者の敷地で保存されている車両です。

道路のすぐ横にあり、歩道上から観察出来ます。

 

1958(昭和33)年に道内の会社で製造された「道産電車」です。丸みを帯びたヨーロッパ型車両を思わせる外観が特徴です。

2021年に廃車され、ここへ保存されました。

 

廃車時の塗装のまま保存されています。

側面窓の「抗菌・消臭・抗ウイルス施工済み」のステッカーは、新型コロナウイルス流行時に貼られたものでしょうか。


札幌市 黒部峡谷鉄道の保存車

2024-04-04 22:43:39 | 石狩・後志(北海道)

場所:札幌市手稲区曙5条5丁目 NICHIJO本社

保存車両:黒部峡谷鉄道SP1

(2023年10月10日訪問)

 

NICHIJO(旧・日本除雪機)本社の敷地内で保存されている車両です。

NICHIJOで1995年に製造されて黒部峡谷鉄道に納入されましたが、廃車により2016年に里帰りして保存されています。

 

メーカー呼称はHTR170Rだそうです。762mm軌間のロータリー式除雪車です。

 

台枠に360度回転機構があり、折り返し時に方向転換して往復除雪が可能であり作業中にも回転が可能なのでより広い範囲の除雪や雪庇崩しも行えるようです。

運転台は片側にしかありません。

 

運転台の無い側の車端。ナローゲージらしいピンリンク式の連結器が付きます。

 

解説板にも書かれていますが、日本除雪機初の除雪機関車なんですね。なおNICHIJOは保線用のモーターカーや排雪モーターカーを多数製作していますが、それは1995年以降なのでしょうか?

解説板にも書かれていますが、前身の三和興業が1958(昭和33)年に留萌鉄道へDR101CLという除雪用機関車を納入しておりその後に北海道拓殖鉄道へDR202CLを納入していますが、除雪用「機関車」はそれ以来製作していなかったと思われます。

 

こちらは隣で保存されているHTR-700という道路用の除雪車です。SP1よりも大きいです。


小樽市張碓町 繋げられたヨ8000×2両

2022-08-25 22:54:04 | 石狩・後志(北海道)

場所:小樽市張碓町

保存車両:ヨ8000形×2両

(2022年8月24日訪問)

 

国道5号線とJR函館本線の間に存在する車両です。国道からだと崖下になるため発見しにくいです。「小樽市張碓町411」付近ですが、当該住所はこの車両とは別の住宅ですのでこの住所へのお問い合わせはご遠慮ください(カーナビや地図アプリ等での検索にのみご活用ください)。

 

公道沿いに置かれています。車体は全体を黄色に塗装したようですが、剥がれ落ちて元の黒色が見えています。

 

下回りはヨ8000が2両なのですが、このように連結器を撤去してくっ付けられています。上回りはデッキ部分を埋めて一つの部屋にしているようですが、この埋めた部材はおそらくもう1両のヨ8000の側面を調達してはめ込んでいるようです。

まるで「ジャンク状態の模型を切り継いで適当にでっち上げました」と言わんばかりの改造です。

 

もう一つ特異な点として、この車両はどうも住居として使用されているようです。

電気メーターやテレビアンテナが設置され、入口には郵便受けも設置されています。一つ前の画像にあった大きなガラス窓部分はリビングのようで、ソファや家具が見えました。あまりジロジロ見ることも出来なかったのでこれ以上詳しいことは不明ですが、廃車体の珍しい活用例かと思います。

 

1両分の下回りには銘板が残ります。

 

そしてJR北海道の銘板まで残っています。国鉄からJR北海道へ引き継がれたヨ8000形のうちの1両かと思われます。現車からは番号の読み取りは不可能でした。

この車両の設置時期は不明ですが、2011年9月のグーグルストリートビューではすでに存在しています。


石狩市 札幌市営地下鉄の試験車01

2020-04-01 17:34:00 | 石狩・後志(北海道)


場所:石狩市八幡2丁目71-17
保存車両:札幌市営地下鉄試験車
(2020年3月30日訪問)

石狩市の石狩川河口に程近い場所に保存されている車両です。
解体業者の敷地内にあり、休憩所として活用されているようです。
かつてこの車両は石狩市花畔(ばんなぐろ)で保存されていましたが、2010年前後にこの場所へ移転したそうです。


この車両は札幌市営地下鉄東西線の開業に先立ち、試験のために製造された車両です。番号は無かったようですが「試験車01」と呼ばれています。
1973(昭和48)年に製造され、東西線はまだ開業していなかったためすでに開業していた南北線で走行試験を行っていたようです。
南北線は車体長13m級の車両が運行されていましたが、東西線では18m級の車両を運行することになりその試験のためだったそうです。大型車体の試験以外にも電機子チョッパ制御の試験も兼ねていたそうで、これらの特徴は東西線6000形に反映されています。


営業運転に使用することは考えていなかったようで、前面は平面で貫通路はありません。1両で走行したようですが、乗務員扉は無く客室から運転室に出入りするようです。側面は6000形中間車によく似ています。
前面窓と側面扉に「試験車」のステッカーが残っています。
この場所では、車両をかさ上げして下部は物置に利用されているようです。床下機器や台車は失われています。


試験車01は南北線で走行試験を重ねていましたが、東西線が開業した1976(昭和51)年に役目を終えて廃車されました。東西線を走行することは無かったと思われます。

この試験車01については、こちらのサイトで詳しく紹介されています(当方のサイトではありません)。
https://ishikari210.blog.fc2.com/blog-entry-1035.html

2024年5月22日 現存を確認


ニセコ町 ニセコ駅横の9643

2017-10-31 11:24:00 | 石狩・後志(北海道)

場所:ニセコ町中央通 (JRニセコ駅横)
保存車両:日曹天塩炭鉱9643
(2017年10月31日訪問)

かつて北海道札幌市のサッャ鴻rール園で保存されていましたが、2017年6月にこの地へ移転しました。
JRニセコ駅からすぐ長万部方の敷地に置かれています。近くにある給水塔と転車台は、かつてC62-3が動態保存されていた際に使われていたものです。

9643は、1914(大正3)年に製造され関西地区で長く活躍したのちに旭川へ転属し、1948(昭和23)年に国鉄では廃車されました。
その後は北海道豊富町にあった日曹炭鉱天塩鉱業所へ譲渡され活躍しましたが、1972(昭和47)年の路線廃止により廃車されました。

1973(昭和48)年より札幌市のサッャ鴻rール園にて保存されました。そして2017年まで変わらず保存されていましたが、工場内での工事のため移動が必要になり、幸いにも引取先が見つかったためニセコ町に移転しました。
移転に関する話は、モデルスIMONの井門氏のブログで詳しく紹介されていますのでご参照ください(→http://train.ap.teacup.com/yoshihiro/1568.html)。

2017年10月に訪問した際は、機関車の再塗装はほぼ終わった状態ですがまだ一般公開はされていませんでした。
冬季はシートを被せられるでしょうから、一般公開は2018年4月以降と思われます。

(2018年10月17日追記)
2018年10月15日時点で、車両はブルーシートに覆われていて非公開となっています。
2018年10月15日 現存を確認

以下は移転前の様子です。2011年3月3日に撮影しています(撮影場所:札幌市東区北7条東9丁目2-10 サッャ鴻rール園)。