保存鉄道車両巡りの旅2

鉄道車両の静態保存車を紹介するブログです。

【ロシア】ユジノサハリンスク鉄道歴史博物館の車両たち(その2)

2013-08-24 15:40:00 | ロシア


場所:ロシア連邦サハリン州 ユジノサハリンスク市 鉄道歴史博物館
保存車両:多数(画像と共に紹介)
(2013年7月9日訪問)

引き続き、ユジノサハリンスク駅近くに保存されている車両を紹介していきます。
詳細不明ですが、1067㎜線用のタンク車です。「93028」という車号と製造年を示すと思われる「1955」の標記がありますが、その他は一切不明です。短い車体に狭苦しくボギー台車を履いた独特の形態です。


これ以降はナローゲージの車両になります。機関車と貨車が連結され、現役の列車であるかのように展示されています。
これらナローゲージは軌間750㎜(旧ソ連国で多用された規格でした)だと思われます。


ТУ7-015ディーゼル機関車です。ソ連で大量に製造された軽便鉄道の標準的な機関車です。各地の軽便鉄道で活躍すると共に、各都市のこども鉄道にも納入されました。ユジノサハリンスクのこども鉄道でも2011年頃まで同型が活躍していました(現在は新型機に取り換え済)。


ディーゼル機関車の後ろに連なる貨車たち。線路が貧弱なためか軸重の関係からかボギー車ばかりです。これらの貨車はサハリン北部のオハ付近で活躍していたそうです。


こちらはナローゲージの蒸気機関車です。タンク機関車に見えますが後ろにテンダーを連結しています。社会主義国らしい赤い星マークが特徴です。


動輪が異常に小さいながら4軸備わります。

今回の訪問では資料館へ立ち入ることや、屋外展示車両がある柵の内側へは入れませんでした。画像はありませんが、本線から見える場所に操重車のようなクレーン車や貨車が置かれていました。


【ロシア】ユジノサハリンスク鉄道歴史博物館の車両たち(その1)

2013-08-23 23:49:00 | ロシア


場所:ロシア連邦サハリン州 ユジノサハリンスク市 鉄道歴史博物館
保存車両:多数(画像と共に紹介)
(2013年7月9日訪問)

ユジノサハリンスク駅の北側、線路沿いにある博物館です。サハリンで活躍した多数の車両が保存されています。

1枚目画像は、JR東日本から1990年代に無償譲渡されたキハ58です。車号は不明です。サハリンではК1という形式が与えられ、「キハ」の愛称で呼ばれたそうです。
日本から渡ったキハ58は全て非冷房・DMH17Hエンジン車でしたが、サハリンでは数少ない扇風機を装備した車両のため夏は好評だったようです。しかし耐寒装備が不十分だったことと老朽化も進んでいたため次々と壊れ、現在は全て引退しています。
塗装は現役当時とは異なるようで、黄色部分はもっと色が薄くクリーム色に近いものでした。


ПР50形ロータリー除雪車です。日本のキ620そっくりな外観で、おそらく蒸気式ロータリー除雪貨車だと思われます。日本統治時代に製作された車両です。


К1、ПР50、そして貨車です。有蓋貨車も日本統治時代に製造され、ワム50000にそっくりな外観です。


こちらはジョルダン車(除雪車)МОП-10です。これは第二次世界大戦後にドイツで製造されたそうです。


こちらはラッセル車です。日本統治時代に製作されキ100にそっくりです。


こちらはソ連製の車両で、ТГ16-032Аです。ТГ16は日本製のD51を置き換えるために製造された客貨両用本線用ディーゼル機関車で、この車両はロータリー排雪装置を備えたバージョンです。
どうやら新製時は一般的な機関車でしたが、後にロータリー装置を追加したようです。ユジノサハリンスクからホルムスクへ至る路線(豊真線)が一部廃止された時に廃車されたそうです。ТГ16の除雪装置無しバージョンは2013年時点でも現役で活躍しています。


右からТГ16-032А、МОП-10、操重車、К1です。操重車の形態は完全に鉄道用ですが、車輪部分にキャタピラを履いています。状況によっては線路上を走行したのか、鉄道と関係があるものなのかは分かりません。
たくさんの除雪車が展示されていることからもサハリンの冬が厳しい事が伺えます。

この博物館には屋内の展示スペースに鉄道用品が保存されているそうですが、訪問当時は改装中だったらしくそれらの見学は出来ませんでした。よって車両が保存されている柵の内側にも入る事が出来ず、画像は全て柵の外側(公道上)から撮影しています。
車両が保存されているスペースは狭く、全体を収めた写真を撮るには柵の外から撮影するしかありません。
(その2)へ続く


【ロシア】ノグリキ 軽便鉄道の客車たち

2013-07-21 15:38:00 | ロシア


場所:ロシア連邦サハリン州ノグリキ町
保存車両:オハ‐ノグリキ狭軌鉄道線 客車(形式不明)
(2013年7月7日訪問)

北緯52度付近に位置するノグリキにある放置車です。
かつてノグリキから、さらに約230Km北のオハという町まで軽便鉄道が走っていました。しかしトラックやバスに押され2007年に廃止されました。オハは現在、石油開発で賑っている町です。


1枚目の画像は軽便のノグリキ駅があった場所です。客車の辺りと手前の荒れ地が線路だったと思われます。
2枚目の画像はその客車のアップです。ポツンと取り残されたように放置されています。


駅跡から数百メートル離れた所にさらに客車が放置されています。こちらは輪切りにされひっくり返されるなど荒れ放題です。


軽便鉄道は軌間750㎜で、旧ソ連で多く見られた規格です。現存するユジノサハリンスクの子供鉄道も同じです。
客車も旧ソ連の軽便鉄道規格品らしいです。前述の子供鉄道では、これと同じ型の客車が現役で走っています。


こちらは転がされた客車のすぐ横にあるものです。客車か気動車に見えますが、ひょっとするとただの物置かもしれません。錆びたのか焼け落ちたのかベコベコです。


これのみは、現在のノグリキ駅から1km弱離れた市街地の廃材置き場にあります。
ほぼ完全な状態の車体ですが、特に何にも活用されていないようです。車体には「MECT-40」「5133」「АРЕНДА РИТС-2」の標記があります。

これらの車両は保存や再利用という目的ではなく、廃線になったからそこら辺に捨てられているだけのようです。ロシアでは鉄道だけではなく自動車や船も使われなくなるとその辺に放置されることが多いように思います(港で赤錆びたまま放置される船など典型的でしょう)。国民性でしょうか?


【ロシア】ユジノサハリンスク駅前のD51

2013-07-10 00:30:00 | ロシア


場所:ロシア連邦サハリン州 ユジノサハリンスク市ユジノサハリンスク駅前
保存車両:D51-22
(2013年7月9日訪問)

ユジノサハリンスク駅前の広場に保存されている機関車です。
日本から1948(昭和23)年に輸出され、1971(昭和46)年頃の無煙化まで活躍しました。


よく「日本が敗戦賠償のため製作した」との紹介を見かけますが、賠償ではなく正式にソ連へ輸出されたものです。全部で30両が製作されています。
日本国内に在籍した「D51 22」とは別の車両で、「D51-22」とハイフン入りが正式な車号です。製造時から密閉キャブと大きな自動連結器を装備し、デフレクターは本州仕様であるなど北海道型とは外観が異なります。


駅前の広場に置かれて、窓ガラスが一部ありませんが保存状態は良好です。
昼間はこの広場で多くの人がくつろぎ、クヴァス(ライ麦と麦芽を発酵させた微炭酸飲料)を売る屋台も出てきます。