かつての国鉄釧路管理局、現在のJR釧路支社管内の貨車改造駅舎です。
広いエリアを持ちますが貨車改造駅は東部に集中しており、十勝地方には存在しません。
◆根室本線(花咲線)尾幌駅
1986(昭和61)年頃に貨車改造駅になりました。駅舎には絵が描かれていますが、定期的に塗り直し(絵柄の変更)が行われているようです。
釧路支社の貨車改造駅舎にはトイレが付きますが旭川支社のものとは違い、駅舎の外側から出入りするようになっています。しかし現在はほとんどの駅で鎖錠され使用出来なくなっています。尾幌駅は臭突も撤去されています。
◆根室本線(花咲線)別当賀駅
かつては尾幌駅のように絵が描かれていましたが、現在はシンプルな塗装です。かつてのデッキを活用した出入口は中央部のみ原形の開口部を生かし、左右を埋めています。
両脇に手すりが付いた鉄製の階段も釧路支社標準のようです。
妻面の小窓部分がトイレですが、別当賀駅ではトイレドアが完全に埋められています。
妻面も改修したような形跡があり、釧路支社で多く見られる妻面の尾灯が全て撤去されています。
◆根室本線(花咲線)西和田駅
釧路支社の標準的な形態ですが、西和田駅はデッキ妻面の開口部を3カ所とも埋めずに生かしています。しかし尾灯と連結器部分は埋められているなど施工の基準がよく分かりません。
花咲駅が2016年3月26日に廃止されてからは、西和田駅が日本で一番東にある貨車改造駅になりました。
トイレ側には尾灯が残ります。
なお釧路支社の貨車改造駅舎は、台枠にあった銘板が例外無く撤去されています。
(この画像のみ花咲駅で撮影)
釧路支社の標準的な室内です。椅子は片側に作り付けられています。壁にあるドアは用具入れになっており、室内からトイレへ至るドアはありません。
◆釧網本線美留和駅
近年塗装されたのか、きれいな姿になっています。
側面に見えるオレンジ色のホースは、雨樋の縦管です。原形のものが破損したためと思われます。雨樋は貨車時代のものが流用されていることが伺えます。
釧路支社管内の貨車改造駅は、全て統一された形態になっています。こまめに補修や塗装が行われているようで大切に使用されている様子に好感が持てると同時に、国鉄貨車の頑丈さを思い知らされます。
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場所:愛媛県西条市大町798番地1 四国鉄道文化館
保存車両:多数
(2016年3月7日訪問)
JR予讃線伊予西条駅に隣接する鉄道博物館です。現役の予讃線を挟んで北館と南館に分かれています。
0系新幹線は21-141で、1976(昭和51)年に製造された側面窓が大きい初期型です。2000(平成12)年に廃車され、JR西日本からJR四国へ譲渡されました。
当初は多度津工場で保管されていましたが、この施設が開業した際に移設されました。
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本来は車体長26mですが、四国へ渡ってきた時点で約半分の12mに短縮されています。
客室や運転室を見学出来ます。
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DF50-1です。DF50は1957(昭和32)年から製造された電気式ディーゼル機関車で、四国ではDE10と並ぶ代表的なディーゼル機関車でした。
この1号機は製造後は敦賀に配置され、長野、米子を渡り歩き四国で最後を迎えました。
ここでは運転台も見学出来ます。期間限定ながらエンジンルームも公開することがあるそうです。
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0系が置かれているのは北館でしたが、ここからは南館の車両をご紹介します。
こちらも客室や運転台の一部が見学可能であり、下回りに柵等が無いため間近で観察出来ます。
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C57-44です。かつては西条市内の公園で保存されていましたが、2013年にこの地へ移設されました。
C57は日本全国で活躍した機関車でしたが、例外的に四国では全く走ったことが無いようです。この44号機は長く北海道で活躍し、最終配置は岩見沢第一機関区でした。現在でもスノープロウと正面のコの字型の手すりと北海道装備を残しています。
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キハ65-34です。1970(昭和45)年に高松に新製配置され、2009(平成21)年に松山で廃車されるまで四国を離れることがありませんでした。
最晩年は四国で最後まで残った急行型気動車の1両として、国鉄急行色に塗り直されて各種リバイバルトレインに使用されました。
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DE10-1です。現在も全国で活躍するDE10の1号機です。
1966(昭和41)年に松山に新製配置され、四国で活躍を続け1987(昭和62)年に廃車されました。廃車後も長らく多度津工場で保管されていましたが、2014(平成26)年に四国鉄道文化館へ移設されました。
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四国にはDD51の配置が無かったため、SL全廃後はDE10の独壇場でした(DF50も細々と活躍していましたが)。
少しマニアックな話を。DE10の大多数は短いボンネット側のキャブ扉の窓は縦に長いものとなっています。鉄道模型もほぼ全てこの形態ですね。これは入換の際に誘導手の入換合図を確認しやすくするためです。
しかしこの1号機では、通常の大きさの窓と正方形の小さな窓に分離されています。これは実質的な試作機だったため、前年(昭和40年)に製造されたDD20-2の影響を受けているためだと思います。DE10-1~2号機がこのような形態だと確認しています。おそらく4号機までこの形態だと思われます。
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こちらは屋外展示です。フリーゲージトレインの第2次試験車両です。2007(平成19)年に落成し、四国や九州で試験走行が繰り返されました。
2013(平成25)年に第2次試験車両での試験が終了し、保存されています。
この四国鉄道文化館で特筆すべきこととして、一部の線路が現役の伊予西条駅構内と繋がっていることです。それにより車両の入れ替えが出来ることから、現在DF50が置かれている場所にキハ32「鉄道ホビートレイン」を展示したこともあります。
今後も様々な車両の展示が期待出来る施設です。
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場所:岡山県津山市昭和町2丁目73-1 南小学校
保存車両:C11-80
(2016年3月8日訪問)
※現在は移転したため、上記の場所にはありません。
JR津山駅から800m程離れた国道53号線沿いに保存されている車両です。
道路からもよく見えますが、車両は小学校の敷地内にあります。
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戦後間もなく津山に配置され長く活躍しました。1963(昭和38)年にはお召列車の牽引、1971(昭和46)年には津山線のSLさよなら列車の牽引も行いました。
その後は会津若松へ転属して日中線で活躍しましたが、1974(昭和49)年に廃車されたため津山へ里帰りしました。
屋根付きで周囲の柵が低いにも関わらず状態が良く、大切に保存されていることが伺えます。
※この保存車は、2016年8月9日にJR津山駅前へ移転しました。
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場所:香川県多度津町栄町3丁目3
保存車両:58685
(2016年3月6日訪問)
JR多度津駅前に保存されている車両です。この機関車の裏手は現役の線路があり、多度津駅のホームからもよく見えます。
比較的プレーンな形態で保存されています。四国と言えばC58と並び8620が多数活躍しました。
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新製当時は関東に配置されていましたが、戦後四国へ移ってからは廃車まで四国で過ごしました。
屋根付きで大切に保存されていますが、塗装は若干痛み気味です。定期的に保守されているかと思います。
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キャブの窓部分には金網が取り付けられています。運転台へ上がる階段がありますが、柵があり運転席へは立ち入り出来ません。
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場所:岡山県岡山市南区海岸通2丁目1
保存車両:岡山臨港鉄道102
(2016年3月7日訪問)
かつて宇野線大元駅と岡山港を結んでいた岡山臨港鉄道で活躍した機関車です。
保存されているこの地はかつての南岡山駅に近く、岡山臨港鉄道の後身である(株)岡山臨港本社前に置かれています。
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1953(昭和28)年に汽車会社で製造された20tディーゼル機関車です。DMH17エンジンを1基搭載する出力150馬力と入換用機関車ほどの性能しかありませんが、1960年にDD13が入線するまでは本線牽引機として活躍しました。
1984(昭和59)年に鉄道が廃止されたため、廃車されました。
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キャブ横には、臨港鉄道のロゴと製造銘板が残ります。
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下回りは2軸のB型機関車で、右側には動力を伝えるジャンクロッドがあります。製造当時はエンジン出力を振り分ける減速機や推進軸の技術が未熟だったため、ロッド式のディーゼル機関車が多数誕生しました。