保存鉄道車両巡りの旅2

鉄道車両の静態保存車を紹介するブログです。

【和歌山】和歌山市 岡公園の車両たち

2013-10-20 12:56:00 | 和歌山


場所:和歌山県和歌山市岡山丁 岡公園
保存車両:C57-119、南海321
(2013年10月13日訪問)

和歌山城と道路を挟んだ南側の公園に保存されている車両たちです。
C57-119は、末期は和歌山に配置され紀勢本線で活躍しました。


後述の南海321もそうですが、上屋根付きで周囲は柵があるなど厳重に管理されています。大阪、和歌山界隈はこのような保存スタイルが多いように感じます。


このC57-119は、鷹取式集煙装置、重油タンクを装備した特徴的な外観です。集煙装置の引棒もよく分かります。
田辺市で保存されているC57-7にも同様の集煙装置が付いていました。


南海電鉄和歌山軌道線321です。上部2灯の前照灯が特徴でした。和歌山軌道線は和歌山市や海南市を走った路面電車でしたが、1971(昭和46)年に全線廃止されました。
車内が公開される事もあるようですが、時期は分かりません。


1963(昭和38)年に製造された電車ですが、わずか8年間の活躍で廃線になりました。
同型の324号車は和歌山軌道線の廃止後、伊予鉄道松山市内線へ譲渡されましたが、1987(昭和62)年に廃車されています。


C57-119と321号は直角になるように配置されています。

この岡公園へのアクセスですが、鉄道利用であれば和歌山駅(JR・和歌山電鉄)、和歌山市駅(JR・南海)、田中口(和歌山電鉄)からいずれも2km程です。僅かな差ですが一番近いのが和歌山市、次に近いのが田中口かと思われます。公園付近に路線バスも走っていますが、系統や時刻等は不明です。


【和歌山】那智勝浦町 駅横のC58

2013-10-15 22:32:00 | 和歌山

場所:和歌山県那智勝浦町築地7丁目2 築地公園
保存車両:C58-353
(2013年10月13日訪問)

那智勝浦町役場の隣の公園に保存されている機関車です。JR紀伊勝浦駅のホームからも見えますが、駅前広場からは見えず300m程離れています。


屋根および柵があり厳重に保存されています。
この機関車は製造以来、王寺、奈良、亀山など奈良周辺で活躍しました。


機関車の横には木があるため全体をすっきりと撮影できません。

この機関車は、かつて全国で最も保存状態が悪いだろうと思われるほど荒廃していました。柵がある事から盗難や破壊行為ではなく、海が近いための塩害ではないかと思います。赤錆びて鉄屑と言っても過言ではない状態を晒していました。
しかし2012年に有志と町役場により改修作業が行われ、現在はきれいな姿で展示されています。機関車を蘇らせた事に頭が下がる思いです。
→以下は、改修作業前のC58-353の様子です。(※当方のサイトではありません)
http://kugai.hima.jp/rail/20090111_C58-353/

【和歌山】新宮市 児童公園のC11

2013-10-12 09:53:00 | 和歌山

場所:和歌山県新宮市熊野地1丁目15 あけぼの児童公園
保存車両:C11-96
(2013年10月11日訪問)

新宮市のJR新宮駅から徒歩15分程の場所に保存されている車両です。周囲には住宅や団地があり、その一角の小さな公園に置かれています。


上屋根付きで保存されていますが、窓ガラスやライト類のレンズが全て無くなるなど状態はあまり良くありません。画像では分かりづらいですが、車体裾に錆で穴が開いています。
このC11-96号機は、1936年に97・98号機と共に紀勢中線(後の紀勢本線。当時は他路線と接続せず独立していた)へ新製配置された車両です。後年に新宮を離れることになりますが、現在は新宮で余生を送っています。


機関車の周りには説明板がありませんが、横の遊歩道に埋め込まれたブロックがあります。
なおこの遊歩道は、1982年に廃止された新宮~熊野地間貨物支線の専用線だった場所です。C11-96も現役当時はここを走ったのでしょうか。

【和歌山】田辺市 会津児童公園のC57

2013-10-11 23:30:00 | 和歌山


場所:和歌山県田辺市高雄1丁目17 会津児童公園
保存車両:C57-7
(2013年10月11日訪問)

田辺市の市街地に保存されている車両です。田辺市民総合センター向かいの会津児童公園に置かれています。


屋根が付き周りは柵で囲われて立ち入り出来ないようになっています。正面のヘッドマークは、さよなら運転で使われた物のようです。
砂箱後方に重油タンクが付いていますが、現役当時は集煙装置も付いていました。今は集煙装置が外された状態で保存されていますが、短く切られた煙突はそのままです。


このC57-7は、製造以来広島や門司などを転々としていましたが、晩年は紀勢本線で活躍していました。さよなら列車を牽引するなど紀伊田辺とは縁の深い車両です。


保存状態は、塗装が若干カサカサになっており可も無く不可も無くといったところです。
テンダーの後部標識灯が変則的に2灯付いていますが、現役当時からこうだったのでしょうか?