保存鉄道車両巡りの旅2

鉄道車両の静態保存車を紹介するブログです。

紋別市上藻別 鴻之舞鉱山の車両たち

2013-10-30 14:55:00 | 網走〔オホーツク〕(北海道)


場所:紋別市上藻別 旧上藻別駅逓
保存車両:鴻之舞鉱山バテロコ、人車、鉱車など
(2013年10月30日訪問)

紋別市の山奥、道道305号線沿いにある旧上藻別駅逓で保存されている車両です。鴻之舞(コウノマイ)鉱山で活躍した車両たちです。
屋根の下に保存されています。早朝に訪問したため駅逓の公開時期は不明です(冬期は閉鎖されていると思われます)。


鴻之舞鉱山は、かつて東洋一の金山と称されたほど金を始めとする鉱物の採掘で賑いました。鉱山は1973(昭和48)年に閉山しましたが現在でも山から有毒物質が出続けているため、浄化施設のみ稼動しています。
人車は8人乗りです。バテロコは協三工業製で「3006」という番号が付けられており、現在丸瀬布で保存されている3005と同型と思われます。


鉱車は3台あります。手前2両は「グランビー」というタイプで、荷台を傾ける設備を通過する際に中の積荷を走行中に降ろせるものです。奥の1両は鉱車ごとひっくり返して降ろすタイプかと思われます。


さらに後ろには、坑道内で使うであろう機材が載せられた貨車があります。これらの車両は全て軌間508㎜のナローゲージです。国内では非常に珍しくなった狭い線路を実見できる貴重な場所です。
なおこれらの車両は鉱山内で働いていたため、かつて存在した鴻紋軌道の車両とは別物だと思います。


バテロコから少し離れた場所に、木製の遊具のような車両があります。どうやら観光客や子供向けの足こぎトロッコのようで、ここから100m程伸びた線路を走らせることが出来るようです。
下回りは、当時の鉱車かトロッコのものを利用していると思われます。


旧上藻別駅逓は当時の駅逓を復元しただけではなく、鴻之舞に関する資料が展示されたり、サイロや水車も復元されるなど当時の生活を今に伝えています。

上藻別駅逓保存会のHPです。当時の鉱山の様子や鴻紋軌道の写真も展示されています。(※当方のサイトではありません。開くと音楽が流れるページがありますので周りを確認したうえでご覧下さい。)
http://www.h2.dion.ne.jp/~cha2/nature/kounomai/index.htm

2015年8月23日 現存を確認


【大阪】大阪市 交通科学博物館の車両たち(その3)

2013-10-27 22:42:00 | 大阪・兵庫


場所:大阪府大阪市港区波除3丁目11番10号 交通科学博物館
保存車両:多数(画像と共に紹介)
(2013年10月10日訪問)

その2からの続きです。
※2013年10月に訪問した時点での様子を紹介しています。


日本を代表するSL、D51とC62が並んで保存されています。
D51-2は初期タイプのなめくじドームが特徴です。1936(昭和11)年に製造され、当時最も運転操縦が難しいと言われた北陸本線旧線を受け持つ敦賀機関区に配置されました。


C62-26です。言わずと知れた国鉄最大の旅客用蒸気機関車ですが、26号機は1954(昭和29)年に狭軌では世界最速となる129km/hを記録した車両です。


キハ81-3です。全国に気動車特急網を整備するきっかけとなった車両です。また、横型エンジンなど走行システムは後にキハ58等多数の車両に採用されました。
通過駅でのタブレット(通票)授受のため運転台の高さが抑えられ、独特の風貌です。


ナシ20-24です。20系寝台車の食堂車として活躍しましたが、現在も食堂として営業しているそうです(訪問時は未確認)。


蒸気機関車233です。1903(明治36)年に汽車会社で製造された国産機関車としては最初期に当たるものです。しかし当時は国内で製鉄・加工の技術が乏しかったため、イギリスより鉄材や完成状態の部品を輸入して製作されました。


マロネフ59-1です。個室寝台とプルマン式寝台(後の開放A寝台)を備える客車です。
登場当初はマイロネフ37290という形式で、皇族や貴賓客の御乗用に使われました。戦後は進駐軍に接収されました。


スシ28-301です。
この車号は架空のものであり(スシ28という客車は実在しましたが「300番台」は存在しません)、元はスハシ38-102(スロシ38000形→マハシ49-14からの改造)でした。
交通科学博物館へ搬入される際、食堂として使うために改造されたようです。


クハ86001です。1950(昭和25)年に東海道本線で「湘南電車」としてデビューした車両です。
80系電車と言えば正面2枚窓の「湘南顔」をイメージするかと思いますが、これは初期に20両のみ製作された3枚窓タイプです。
当時では珍しい電車による長距離運転を行った車両で、長距離乗車に耐えうる車内設備を備えた最初の電車でした。


モハ80001です。当時では日本初の中間電動車でした(それまでは「モハ」は、増解結や1両での走行が可能なように全て運転台が付いた車両でした)。

以上、3回に分けてご紹介した交通科学博物館でした。
日本の鉄道史に名を残す多数の貴重な車両が保存されています。今後は京都への博物館統合により車両の移転が発生しますが、全ての車両が引き続き保存される事を願っています。


【大阪】大阪市 交通科学博物館の車両たち(その2)

2013-10-26 00:56:00 | 大阪・兵庫


場所:大阪府大阪市港区波除3丁目11番10号 交通科学博物館
保存車両:多数(画像と共に紹介)
(2013年10月10日訪問)

その1からの続きです。
※2013年10月に訪問した時点での様子を紹介しています。

EF52-1です。先頭のデッキに上がる事が出来ますが、運転台へは立ち入り出来ません。この車両も狭い場所に収容されているため撮影に苦労します。


アメリカ・サンフランシスコのケーブルカーです。1959(昭和34)年にサンフランシスコ市から大阪市へ寄贈され、交通科学博物館で展示されるようになりました。


ここからは屋外展示になります。
DD54-33です。DD54は1966(昭和41)年より製作されたディーゼル機関車です。詳しい事は皆さんご存知かと思いますので省きますが、頻発する重大故障により非常に短命だった機関車です。しかし西ヨーロッパを思わせる流麗な外観からか今でも根強い人気があります。
現存するDD54は、この33号機のみです。


DD13-638とDF50-18です。どちらも後にDE10、DD51へと発展を遂げるディーゼル機関車の歴史を語る上で不可欠な存在です。
DD13-638は「重連型」で、総括制御用のジャンパー栓や元空気ダメ管、釣り合い管が装備されています。


7105「義経」です。北海道の幌内鉄道が1880(明治13)年にアメリカから輸入した機関車です。通常はガラスケースの中で大切に保存されています(ガラスの外からの見学になります)。年に数日のみケースから外へ引き出され展示されるようです。
なお、この機関車は現在でも重油専燃ではありますが動態保存可能となっています。

(その3)へ続く。


【大阪】大阪市 交通科学博物館の車両たち(その1)

2013-10-23 23:19:00 | 大阪・兵庫


場所:大阪府大阪市港区波除3丁目11番10号 交通科学博物館
保存車両:多数(画像と共に紹介)
(2013年10月10日訪問)

大阪市のJR大阪環状線弁天橋駅に隣接する博物館です。長い歴史を持ち、多数の貴重な車両が保存されています。
博物館の概要及び名称の変遷については省略します。また、鉄道車両以外の収蔵品の紹介も省かせて頂きます。
なお交通科学博物館は2014年4月6日をもって閉館しました。今後は京都府の梅小路蒸気機関車館に移転・統合される形で「新鉄道博物館(仮称)」として生まれ変わる予定です。

※2013年10月に訪問した時点での様子を紹介しています。


リニアモーターカー・ML500の実物大模型です。ML500は1977年に試作された無人運転車両で、実験で500km/hを越える速度を記録しました。実物大模型の手前には、おそらくGスケール程度の大きさのリニアモーターカーの模型があり、実物通り電磁石の極性反転で走行します。


0系新幹線が4両保存されています。4両編成を組む形で置かれていますが、狭い建物内なので十分に引いた写真が撮れません。これは22-1です。


35-1で、在来線では「モハシ」に当たります。実物の解説については、詳しいサイトや書籍が多数あるでしょうから省略いたします(私が0系についてほとんど知らないためでもある)。


グリーン車の16-1です。


21-1です。手前にはゼロキロャXトも保存されています。


1801蒸気機関車です。1881(明治14)年にイギリスのキットソン社で製造され輸入されました。当初の番号は「40」と付けられていましたが1909年に「1801」へ改称、その後は高知鉄道や東洋レーヨン滋賀工場などを渡り歩き、80年近く働き続けました。
その後国鉄へ寄贈され、日本の鉄道草創期を語る貴重な車両として保存されています。


151系ですが、これは実物大モックアップだそうです。乗務員室扉のすぐ後方で切られたカットモデル状になっています。


この101系もモックアップです。車内の車掌スイッチ(ドアスイッチ)を操作して側引戸を開閉させる事が出来、ドアシリンダーの動作や構造も分かるようになっています。

画像が多いため3回に分けてご紹介します。以下その2へ続く。


【和歌山】和歌山市 岡公園の車両たち

2013-10-20 12:56:00 | 和歌山


場所:和歌山県和歌山市岡山丁 岡公園
保存車両:C57-119、南海321
(2013年10月13日訪問)

和歌山城と道路を挟んだ南側の公園に保存されている車両たちです。
C57-119は、末期は和歌山に配置され紀勢本線で活躍しました。


後述の南海321もそうですが、上屋根付きで周囲は柵があるなど厳重に管理されています。大阪、和歌山界隈はこのような保存スタイルが多いように感じます。


このC57-119は、鷹取式集煙装置、重油タンクを装備した特徴的な外観です。集煙装置の引棒もよく分かります。
田辺市で保存されているC57-7にも同様の集煙装置が付いていました。


南海電鉄和歌山軌道線321です。上部2灯の前照灯が特徴でした。和歌山軌道線は和歌山市や海南市を走った路面電車でしたが、1971(昭和46)年に全線廃止されました。
車内が公開される事もあるようですが、時期は分かりません。


1963(昭和38)年に製造された電車ですが、わずか8年間の活躍で廃線になりました。
同型の324号車は和歌山軌道線の廃止後、伊予鉄道松山市内線へ譲渡されましたが、1987(昭和62)年に廃車されています。


C57-119と321号は直角になるように配置されています。

この岡公園へのアクセスですが、鉄道利用であれば和歌山駅(JR・和歌山電鉄)、和歌山市駅(JR・南海)、田中口(和歌山電鉄)からいずれも2km程です。僅かな差ですが一番近いのが和歌山市、次に近いのが田中口かと思われます。公園付近に路線バスも走っていますが、系統や時刻等は不明です。