毎月の「十地経講義」
その行き帰りに
洛南高校の前を車で通られる
それだけなのに
安田先生は実によく
観察しておられました
「大乗というのは
内が広いという意味です。
大乗というのは仏教の精神を
いうんであって、
精神界というものは内にある
ものです。
大乗というのは内の広さです
外からいえば、
自分の分に安んずるという。
職業といったようなものに
不平をいわんです。
高い位置とか低い位と
いうようなことは、
問題でないんだ。
門衛でも誰でもいいんだ。
校長だけが偉いという
ことはないんだ。
だからして、
門衛でも掃除番でも、
誰でもいいんだ。
その分に安んじて内面を
開くんだ。
その内面は校長以上の
ものですわね。
その同じ内面の広さをもって
各自が分担しとるんだ、
校長の役目も用務員の役目も
平等ですわ、そこで。
そういう世界にはや
共同体というものは
できてくるのですね。
そういうものが一番基礎に
なるんだ。
月給とかそういうものでは
ないんですわ。
そういうものが分からんから
月給に迷うんだ。
月給も悪いことはないのです
けどね、
月給一大事と思うんだ。
それが、
えらい大きな誤りで、
一大事というものでは
ないんです。
ほんのわずかな利益です。」
若い頃はこの言葉に
救われたのです
こういう言葉が共同体の
中心にあって
それぞれの立場でそれぞれの
役割を果たしたのです
この時代すべてが順調に
行っていたようです
日々の掃除に明け暮れる
ということでも
何かしら堂々と明るく
やっていたような気がします
不平不満が解消されたのです
通りすがりに
車の中から用務員さんの
姿を見て
ああいう姿がいい学校の
形ですね、と
仰っておられました
松浦さんという兄弟子のもと
掃除している様子を
眺めておられたのでしょう
ただ講義だけ
というのではなく
その場の様子を実によく
見ておられたことに
驚いていました
講義の会所となった東寺の
ありようを見とどけて
おられたのです
そのことが講義のなかで
このように生かされて
話されたことを思い出します
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