京都の有名な通り 「 新京極 」 と平行して寺町通りが走っています。
ここを歩いてみました。

アーケードがあり、まっすぐ行けば 「 御池通り 」 に突き当たります。
そこには 「 京都市役所 」 があります。
まず出会ったのが、

「 蛸薬師 」 のお寺です。
「 蛸薬師通り 」 という通りの名前にもなっています。
( 小僧さんが母のために蛸を買ってきたら、和尚さんに見つかり、
すると、その蛸がお薬師さんに代わった、という言い伝えがあります。)

当院でお世話になっている 「 安田念珠店 」 です。
寺町六角にあります。
先を急いでおりましたので、外からだけで失礼しました。

「 矢田地蔵 」 さんです。

厄除けでしょうか ? 大きなかぼちゃのお供えです。

ここは 「 其中堂 」 ( きちゅうどう ) という
仏教書の専門店です。仏教に関するものでしたらないものはありません。
学生のころ、時間つぶしもあって、買うわけでもなく、よくお邪魔しました。

うず高く積み上げられた古書です。
これもとても価値のあるものなのです。
しばらく歩くと、かの有名な

「 鳩居堂 」 があります。
店内は、お正月にちなんだ品で、お客さんも一杯です。
便箋など求めました。
それからしばらく行くと、

「 本能寺 」 さんに出てきました。
宝物館で、寺宝を拝見、古地図がとても興味深かったです。
「 東寺 」 の東、堀川通りに面して 「 綜芸種智院大学 」 がありました。
寛延3年 ( 1751 ) に作られいますから、
空海の作られた日本最初の私学も続いていたのです。
しかし、「 西寺 」 はなくなり、西寺跡という記しになっていました。

「 信長公 」 の墓前にお参りして、
戒名は 「 贈正一位總見院殿贈大相國一品泰厳尊儀 」 というような難しい名前でした。
時間の都合で、ここでユーターン
新京極を戻りました。

「 誓願寺 」 ここが我が家の 「 アヤちゃん 」 のふるさとです。
ここの付近で 「 崇正 」 と出会い、我が家の一員になったのです。
寺町というだけあって、もっと行くとお寺もたくさん出てくるのでしょうが、
また、付近にはお寺に関する、念珠店、お香屋さんも軒を連ねているようです。
一説には、秀吉が京都の町を再編したとき、
お寺を一つの防波堤に使ったということを聞きました。
いざ、有事のときは、お寺には水食料はあるし、兵が休むことができる。
いろいろな意味があると思いますが、
京都を訪れたとき、通りを中心に見ていくのもおもしろいと思います。
とてもおもしろかったです。
ここを歩いてみました。

アーケードがあり、まっすぐ行けば 「 御池通り 」 に突き当たります。
そこには 「 京都市役所 」 があります。
まず出会ったのが、

「 蛸薬師 」 のお寺です。
「 蛸薬師通り 」 という通りの名前にもなっています。
( 小僧さんが母のために蛸を買ってきたら、和尚さんに見つかり、

すると、その蛸がお薬師さんに代わった、という言い伝えがあります。)

当院でお世話になっている 「 安田念珠店 」 です。
寺町六角にあります。
先を急いでおりましたので、外からだけで失礼しました。

「 矢田地蔵 」 さんです。

厄除けでしょうか ? 大きなかぼちゃのお供えです。

ここは 「 其中堂 」 ( きちゅうどう ) という
仏教書の専門店です。仏教に関するものでしたらないものはありません。
学生のころ、時間つぶしもあって、買うわけでもなく、よくお邪魔しました。

うず高く積み上げられた古書です。
これもとても価値のあるものなのです。
しばらく歩くと、かの有名な

「 鳩居堂 」 があります。
店内は、お正月にちなんだ品で、お客さんも一杯です。
便箋など求めました。
それからしばらく行くと、

「 本能寺 」 さんに出てきました。
宝物館で、寺宝を拝見、古地図がとても興味深かったです。
「 東寺 」 の東、堀川通りに面して 「 綜芸種智院大学 」 がありました。
寛延3年 ( 1751 ) に作られいますから、
空海の作られた日本最初の私学も続いていたのです。
しかし、「 西寺 」 はなくなり、西寺跡という記しになっていました。

「 信長公 」 の墓前にお参りして、
戒名は 「 贈正一位總見院殿贈大相國一品泰厳尊儀 」 というような難しい名前でした。
時間の都合で、ここでユーターン
新京極を戻りました。

「 誓願寺 」 ここが我が家の 「 アヤちゃん 」 のふるさとです。
ここの付近で 「 崇正 」 と出会い、我が家の一員になったのです。
寺町というだけあって、もっと行くとお寺もたくさん出てくるのでしょうが、
また、付近にはお寺に関する、念珠店、お香屋さんも軒を連ねているようです。
一説には、秀吉が京都の町を再編したとき、
お寺を一つの防波堤に使ったということを聞きました。
いざ、有事のときは、お寺には水食料はあるし、兵が休むことができる。
いろいろな意味があると思いますが、
京都を訪れたとき、通りを中心に見ていくのもおもしろいと思います。
とてもおもしろかったです。

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