「忍」ということも
いろいろな意味があり
幅広く使われる言葉です
仏教の中では六波羅蜜の一つ
忍辱(にんにく)波羅蜜として
出てきます。
忍辱の「辱」という字も
ニクと読むのは仏教だけでしょう
普通にはジョクと読みます
屈辱とか侮辱とか雪辱をはらす
というような言葉があります。
忍辱波羅蜜も三つに分けて
耐怨害忍(たいおんがいにん)
安受苦忍(あんじゅくにん)
耐察法忍(たいさつほうにん)
ということをいいます
忍はたえしのぶということで
どんなことに出会っても
ジッと忍んで心を動かさない
ということです。
憎しみを受けて害を与えられても
たえしのぶことが耐怨害忍で
どんな苦しみの中でもたえしのぶ
ことを安受苦忍で、
真理をあきらかにみて
心を動かさないことが諦察法忍
ということです。
丁度『十地経講義』では、
このようにでてきます。
「この怨害というのは、やっぱり
人と人との関係でしょう。
人が人に対して辱められて、
怨みをもつということですね。
害を与えるとか、
やっぱり人と人との関係に耐える
どんな屈辱でも耐えていけると。
それから今度は安受苦忍という
安らかに受けることができる
という意味でしょうね。
きついもんでも柔らかに
受け取ることができると、
苦がないわけじゃないけども
苦を柔らかに受け止めることが
できるというような意味ですね。
ならぬ堪忍するが堪忍
というのがあるが、あれですね。
それからしてこの意味が一般に
忍という字なんです。
忍という字にはこういう意味が
あります。
ところが今、無生法忍というのは
もう一つの耐察法忍というのが
これが無生法忍や。
察は観察する、
諦(あきら)かに法を観察する
諦かに諸法を観察する、
してその諸法の真理というものを
認めると。
この場合はですね、認可すると
いうような意味でしょう。
耐え忍ぶというような意味じゃ
ないです。
認可すると。
だからこれはあるいは許可と。
許すことや。
そりゃそうだと、こういうように
認めることですね。
それを認めて承認するんです。」
というように出てきます。
この講義はとても感動したことを
今でも思い出します
忍、認めて許すということは
なかなか
できるものではありませんが
忍ということが、ただ耐え忍ぶ
というだけでなく
忍は言遍の認、認識の忍である
ということがあって
目からうろこのような感じでした
人に陥れられたり
裏切られたりすると
なかなか
許しがたいものがあります。
その時、
お釈迦さまの言葉ではないですが
「うらみはうらみによってやまず
うらみはうらみなきによってのみ
やむ」
という言葉があります。
このこともただ止めよ
といいのではなく
事実をよく認識しなさい
物事を諦らかに見れば
それを認め承認して許す
といことになると思います。
そういうことが智慧だと
先生はおっしゃっておられます。
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