本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

今、教育の危機なのか?

2021-07-23 19:14:48 | 住職の活動日記

日本の学力も世界に比べると

段々と落ちている

ということを耳にします

世界の大学への進学の減ってきて

全体からみると取り残されている

ようにも見受けられます

 

聞くところによると

日本の教育は100年前と

ほぼ同じということです

以前は、均一化された人間を

作り出すということで

押しなべて平均化した人を

作り上げるには便利だったのかも

しれません

今日のように個性が重要視される

時にはこの平均化ということは

個が育たなくなり

色々な弊害も出てきます

 

ほんの百年前、江戸時代は

歩いてどこへでも行く

それがわずか100年で

車があり飛行機があり

地球上どこへでも行ける

という時代になってきました

石炭から石油になりこれからは

電気の時代です

そのように科学や社会は変化

しているのに教育だけは

旧態依然として

100年前の教育をしている

ということです

 

先生が教えることを暗記して

設問に答える

それが立派な人優等生という

ことになっています

自分で考え問いを発し

答えを見いだしていくという

教育は少ないようです

 

ある教え方を見ました

自然の中でいろいろの体験をさせ

その中でどのように感じたか

そして

どのような疑問が起こったのか

それを解決するのは

どのようにしたらいいのか

そういう問いかけです

そして

人とモノにしても

その関わり方には

表面的なものでなく

接しているのは氷山の一角で

その見えない水の下にある部分

まで考えさせる

ご飯一粒にしても

それが米となって口に入るには

どれだけたくさんの関係性が

あるのかということを

考えさせる

 

ですから、出てくる答えは

人それぞれ

一つとして同じ答えはないのです

それでいて間違いではなく

全部が正解という

それぞれが問いを学び

そして答えを導き出す

というものです.

 

これからはそういうような

教育方法が求められるような

気がします

 

何だか、仏道修行のようでもあり

それぞれがそれぞれの問いを発し

自分が頷くものを見出していく

といっても

勝手に思い思いが好きなことを

するというのではなく

そこには

氷山の根底にあるものを

教えていくということが

あるようです

 

教育方法はそれぞれあると

思いますが

今一度

古典に立ち返って

先人たちはどのような教育を

目指したのか

そこには

こういう人になって欲しいという

人間像があったはずです

 

弘法大師空海は

日本最初の私学を作られました

その時の願文に

「物の興廃は必ず人に由る

人の昇沈は定めて道にあり」

ということを述べられています

その道(仏道)ということで

(人が本当の人になっていく)

如何に教育が大切か

ということで最初の私学を

建立されたのです

 

同時代に比叡山の最澄は

山家学生式で

「国宝とは何物ぞ

 一隅を照らす

 これを国宝と名く」

ということを述べておられ

それを実践されたのです

 

平安の時代には

こういうはっきりとした

人間像があったのです

それであのような平安な時代が

続いたのでしょう

 

教育を考えるには

どのような人間を作るのかという

人間像が大切なように思います

が、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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