本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

捨身の蟷螂(カマキリ)

2020-06-19 20:12:08 | 住職の活動日記

捨身ということは

仏教の話の中によく出てきます

「捨身の誓願」ということも

ありますし

弘法大師の物語にも

幼い頃の話に出てきます。

捨身が岳という山が今でも

ありますが

この山に登り、身を投げて

自分自身が世のため人のために

なるであろうか、と誓われた

すると天女が現れて

その身体を受け止めた

ということです。

 

「身を捨てて浮かぶ瀬もあれ」

というこもあります

もがいていたら沈むだけで

かえって、力を抜いて

身を任せたら身体も浮く

ということのようです。

また、

「身を捨てずに何ができますか」

ということもあります。

自分の身をかばっていたのでは

何もできないということです。

 

教えを聞くために

自分の身を羅刹に捧げるという

雪山童子(せっせんどうじ)の

話があります。

さらに、

飢えた虎を見た修行者が

当に自分の子どもを食べようと

している母親の虎に

修行者が自分の身を捧げるという

物語です。

 

また、

月のウサギの物語も

同じような捨身の説話です

修行者に何も捧げるものがない

ウサギは思い余って

修行者に火を熾してもらい

燃え盛ったところで

その火の中に飛び込んで

自分の身を捧げたというのです

その時帝釈天が現れ

ウサギの身体を受け止めて

そのウサギの行いに報いて

須弥山を絞り

その出てきた汁で

月にウサギの絵を描いたという

説話です。

 

仏教にはたくさんの

捨身という物語が出てきます。

 

さて、

カマキリ君ですが

交尾の後メスに身を捧げ

食べられてしまう。

これを性的共食いといいます

メスがオスを食べる

これがカマキリの世界では

当たり前のことのようです。

これによって

メスはお腹いっぱいになって

たくさんの卵を産むことができる

自然界においては

野垂れ死にするより

愛する妻に食べられ

たくさんの子孫を残すことが

摂理なのでしょう。

 

しかし、

カマキリの世界も微妙なところが

あって、

雄もただ食べられるだけではなく

やはり考えるのでしょう

自分の身を捧げて雌を太らし

たくさんの子を作るより

二匹の雌と交尾して

2倍の子を作るのでは

その方が子孫を残すうえでは

効率がいいのです。

 

ですから、

雄は攻撃的な雌より

おとなしい雌を探す

また、

痩せた雌よりも太った雌を

探すということです。

 

まあ、こういうことを研究

しておられる方もあって

よく観察すると

経験豊富な雄はよく見極め

すぐには近づかず

ゆっくりと近づき

離れたところでじっと待つ

そして、

共食いされないよう慎重に

振舞うということです。

 

逆に経験の少ない雄は

これぞチャンスとばかり

身を捧げるのを厭わず

雌にプロポーズして食べられる

ということです。

 

生きるということは

それほど厳しいということを

教えてくれるようです

生きるということが

ぼやけているような今ですが

生きものたちの生き様をみると

生きることがただ事ではない

ことを教えてくれるようです。

 

捨身という

命を捨てても悔いない

というものを見つけていくのが

生き様のように思います。

 

 

 

 

 

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