仏になりたい。
なれないけれど仏になりたい
という気持ちを、
ずっと持ちつづけることが
仏教です。
梅原 猛
『 不動の光 』 の5月号、「 合掌・聞法ー願は叶う 」 を書いてる時に、
梅原先生のこの言葉を思い出しました。
難しくは 「 菩薩の誓願 」 ということを表しているのではないかと思います。
仏さまの願いと、人間の願い、とどこが違うのでしょうか。
「 仏になりたい 」 と、心のどこかで願っています。でも、成れそうにもないとい
うことも、うすうすと感じています。
「 なれないけれど 」 ここからです。
なれないのなら-諦めてやめてしまう。 ( 普通はそうなんですけど )
「 なれないけれど仏になりたい気持ちをずっと持ちつづける 」
出来るならやる、出来ないのであれば辞める、 このどちらかしかないのです。
「 なれないけれど 」 「 なりたいという気持ちを持ちつづける 」
ここに本当の願いが出てくるのではないでしょうか。
『 願い 』 ということは、ただ気持ちの中で思うだけではなく、
「 気持ちを持ちつづける 」 ということは、必ず実践が伴ってきます。
難しい言葉ですが 『 願いは行いを荘厳する 』 ということがあります。
正しい願いを持つと、その人の行動は自ずときちんと正された行いになってくるのです。
『 どうせ ! 』 という言葉がつくと、どうも不純になってくるようです。
出来る・出来ない、ということを超えて、願いつづけるということが、
私たちの日々の行いを決定してくる、というか清めていくような気がします。
仏さまの願いは
『 すべての人々を仏にしよう 』 という、不可能なことを願いつづけておられるの
です。
読み返してみると、どうも言葉が不十分なようです。私も充分にわかっていないのでし
ょう。このことは、また、ずっと考えていかなければいけない問題です。
なれないけれど仏になりたい
という気持ちを、
ずっと持ちつづけることが
仏教です。
梅原 猛
『 不動の光 』 の5月号、「 合掌・聞法ー願は叶う 」 を書いてる時に、
梅原先生のこの言葉を思い出しました。
難しくは 「 菩薩の誓願 」 ということを表しているのではないかと思います。
仏さまの願いと、人間の願い、とどこが違うのでしょうか。
「 仏になりたい 」 と、心のどこかで願っています。でも、成れそうにもないとい
うことも、うすうすと感じています。
「 なれないけれど 」 ここからです。
なれないのなら-諦めてやめてしまう。 ( 普通はそうなんですけど )
「 なれないけれど仏になりたい気持ちをずっと持ちつづける 」
出来るならやる、出来ないのであれば辞める、 このどちらかしかないのです。
「 なれないけれど 」 「 なりたいという気持ちを持ちつづける 」
ここに本当の願いが出てくるのではないでしょうか。
『 願い 』 ということは、ただ気持ちの中で思うだけではなく、
「 気持ちを持ちつづける 」 ということは、必ず実践が伴ってきます。
難しい言葉ですが 『 願いは行いを荘厳する 』 ということがあります。
正しい願いを持つと、その人の行動は自ずときちんと正された行いになってくるのです。
『 どうせ ! 』 という言葉がつくと、どうも不純になってくるようです。
出来る・出来ない、ということを超えて、願いつづけるということが、
私たちの日々の行いを決定してくる、というか清めていくような気がします。
仏さまの願いは
『 すべての人々を仏にしよう 』 という、不可能なことを願いつづけておられるの
です。
読み返してみると、どうも言葉が不十分なようです。私も充分にわかっていないのでし
ょう。このことは、また、ずっと考えていかなければいけない問題です。
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