本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

世から世へ、人間は一世では決まらない

2018-03-06 18:04:28 | 十地経

私たちのことを考えてみると

自分一人では解決できない問題が

ああるようです。

 

十地経講義の中では

「白紙で生まれてくることはない

人間が生まれてきて

歴史や社会をつくるのではない

歴史や社会の中に生れてきている

人間というものは一世だけでは

決まらん

世から世へ行く

ということが実存という意味です」

というように出てきます。

 

世ということも

仏教ではとても大切な言葉です。

漢和辞典には

「世」という字はもともと

三十、十・十・十、十が三つ

から出来ている言葉で、

昔の中国では30年が一代と

考えたのです。

仏教では

「世」ということはローカという

インドの言葉の訳で

壊れるべきもの、うつろいゆくもの

真理に背いたそらごと

といいう意味があります。

 

世という字は世間、世界という

熟語でよく使われていて

どちらも仏教語です。

 

世界というと

世とは三世、過去現在未来

界とは東西南北上下を意味して

これで、時間と空間(場所)を

表し人間の住む世界のことです。

 

世間というと

簡単には世の中ですが

これも二つあって

衆生世間と器世間(きせけん)です

衆生世間は私たち生きもののこと

器世間はその生きものたちを

生かしている山河大地、器のことを

意味しています。

 

私たちが生きるといいますが

こういう時間と場所をもって

生きているということです。

 

そして、それが一代ではない

連続していると、

よくよく思いおこしてみると

自分という存在は

両祖父や両親そして

それを取り巻いている環境

そういう中で育ち

今の自分を振り返ってみると

少なからずその影響下にいることを

感じとれます。

 

身近な例で

家内が発見したのですが

私に以外な姿が孫に似ていると

少しゾッとしたのですが

いいところではなく

妙な癖というか仕草が

そっくりだというのです。

孫たちは自分一人で育つのではなく

祖父や祖母、両親の影響を受け

育っていくということを

思い知りました。

 

こういうことが

実存ということでしょう

現実存在です

私たちがあるということは

歴史を持ち、社会の中に

生かされているということです。

 

案外

何気なくしていることを

子や孫たちは

密かに受け取っていて

それを受け継いでいくという

努々(ゆめゆめ)

日々の行いあだや疎かにできない

ように思います。

 

いいところを

まねてくれたらいいのですが

意外や、

真似て欲しくない所を

しっかりため込んでいるようです。

自分がしていることは

自分一代では済まないということ

なのです。

 

 

 

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