本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

無窓忌 安田先生三十八回忌

2019-02-19 20:38:16 | 十地経

2月19日は安田先生のご命日

今年で38回忌になります。

ご命日を「無窓忌」(むそうき)

といいます。

こういう命日を何々忌というのです

 

2月は12日は司馬遼太郎さんの

命日で「菜の花忌」といいます。

ちょうど菜の花の咲く頃ということで

この名前が付いたのでしょう。

 

ところが、安田先生のご命日は

「無窓忌」といいます

なぜこの名前なのか分かりません

ずっと疑問なのですが、

先生の残された言葉の中に

ヒントがあるようです

 

「ライプニッツという人が、

これはなかなか独創的な人じゃ

ないかと思うんですがね。

ライプニッツというのは面倒で、

よく分かりませんけども、

モナドというような考え方、

この考え方も非常に独創的じゃ

ないかと思うですね。」

 

ここで「モナド」ということが

出てきます。

モナドというのは、

構成されたものではなく

部分を持たない、

厳密に単純(単一)な実体である。

というような定義が出てきて

「モナドは鏡である」とか

「モナドには窓がない」という

表現が出てきます。

 

『摂大乗論聴記』には

「ライプニッツが根本律ということ

充足理由律という訳語も

当てられおる。

全てのものが存在するには

存在するだけの理由があって

存在しておる。

全てあるものはあるだけの

理由がある。

存在理由。

理性的理由じゃない。

存在理由を因縁という。

理由があるわけですね。

ものが成り立っとるには、

成り立たしめとるだけの理由がある

理由をもって存在しておる。」

 

「Monadologie、

単子という言葉なんです。

単子論です。

何かそこに個性というものがある

龍樹なんかなには、

そんなモナドロギッシュな

考えというものはない。

仏教の中で、

やっぱりモナドロギーというような

考えを持ったのが瑜伽の教学。

非常に特色があるですね、そこに。

一人ひとりが一切をもっとる。

一人一人が人類をもっとる

というようなですね。

だから一人一人だから単子だけど

しかし

それが実は世界全体を持っとると

こういうような考え方ですね。」

 

まあ難しい言葉です。

しかし何回か繰り返し読んでいると

何となくわかるよな?

 

今日のお話の中で、

人間はどっぷり煩悩に浸かっている

煩悩しかないのが人間ではないか

そういう世俗化した世界で

どうやって聖なる世界が

見い出せるのか。

遥か彼方に聖る世界を

見るのではなく、

むしろ世俗の下に見出すような

そういう立場に立つことこそ

そこに聖なる世界が見い出せるのでは

というようなことでしたが、

 

安田先生は

世俗的な一切のことから

離れて生きてこられた。

職にも就かず、お金にも、名誉も

すべて関心がなかった。

若い頃から、ご飯だけ頂ければ

それで充分ですといって

講義をされていた。

結婚されても職に就かなかったので

奥様の内職で生活され

それで夫婦げんかも絶えなかった

ということのようです。

 

淒しい生き方です。

命をかけて求道し聞法された

最後に封筒の中から出てきた言葉

赤鉛筆で

「片肺・老衰・不安に立つ」

と書いてあったということです。

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 檸檬の木がやって来た! | トップ | ご用心!!「スマートキー」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

十地経」カテゴリの最新記事