「 言うは易く 行うは難し 」
い やす おこな かた
昔から言い尽くされた言葉ですが、あらためて自分に置き換えて考え直してみると、
本当に難しいことです。
私たちは、いろんな場所でお話しする機会も多く、
言うことだけは立派かもしれませんが、その実践となると、
本当に難しいものです。
今もテレビ 「 ナダル 」 と 「 ジョコビッチ 」 の優勝を賭けた試合が
続いています。
テニスなどしたことのない私が見ていると、
何とはなしに出来るような気になってくるのが不思議です。
当然、ラケットを握ったら振ることすら出来ないでしょう。
ここ数日、試合を観戦しただけで、「 ああだこうだ 」 いうのが
おかしな具合です。
本当に 「 言うは易く 行うは難し 」 なのです。
幸せになる方法を説く方が、必ずしも自分が幸せとは限りません。
経済学者の方が必ずしもお金を儲けをして財産家というわけではありません。
また、
「 沈黙は思想の妊娠期である 」
と、亀井勝一郎さんが述べておられます。
私たちは ( 特に、私は ) 人から良いことを聞くと、
すぐに、エラそうにしゃべりたがるものです。
それを一度、沈黙の中に沈潜させることが必要、とおっしゃっています。
借り物ではなく、自分の言葉とするまでに、噛み砕き、心の底からうなづける
そういう時がいるのです。
どれほど深い 「 沈黙 」 を持ちえるかが、その人の実践と
言葉に味わい深いものを与えてくれると思います。
お釈迦さまが悟りを開かれたとき、
すぐさま、菩提樹の下から立って、悟りの内容を説かれませんでした。
「 梵天勧請 」 という形で表現されています。
お釈迦さまの悟りを聞きつけて、娑婆世界の王である 「 梵天 」 が
お釈迦さまの前にひれ伏し、 「 どうか悟りの内容を説いてください。」
とお願いされます。
しかし、お釈迦様は、「 説かない 」 とおっしゃいます。
最初の七日、次の七日、次の七日 … と
通いづめられます。
「 何故説かれないのですか ? 」
『 私の悟った法は、微かで妙なるものです。
たぶん、自分勝手で欲深い人間にはわからないであろう。 』
「 しかし、世の中には穢れの薄い人間もいます。
必ずや、あなたの教えを受け取ることの出来る人もいます。
どうか、悟った教えを説いてください。」
と、さらに懇願されます。
そして、ついに四十九日目に座を立って、最初の教えを説かれたと
お経には書いてあります。
お釈迦さまも、 四十九日間の 「 沈黙 」 が、その教えをさらに吟味し、
深く深く自分のものとして、具体化されていったのでしょう。
そこからは、
お釈迦さまの説法を 「 獅子吼 」 と表現されるように、
亡くなられるまで、説き続けられたのです。
解るとかわからない、を超えて、説かずにはおれない、
( わかってもらえるから話そう、というのではないのです。)
だから、ライオンが吼えると、喩えられたのでしょう。
自分に対する非難が起こっている村であれば、その村を通り過ぎるのではなく、
わざわざその村に出向いていって、法を説かれた。
という話が残っています。
そこが本当の実践なのでしょう。
そのたとえではないのですが、
東寺にいるころ、お寺の修復事業で、募金活動に回りました。
よく、断られるときもあるのですが、
「 断られても、何回もいくのです。!! 」
と、三浦先生の叱咤激励もあり、
恥ずかしさをこらえて、再度、お願いに行くのですが、
そこから、不思議と色々な展開があったことを思い出します。
最近は 「 沈黙 」 ということも忘れているようです。
「 言うは易く 行うは難し 」
噛み締めなおす言葉です。
い やす おこな かた
昔から言い尽くされた言葉ですが、あらためて自分に置き換えて考え直してみると、
本当に難しいことです。
私たちは、いろんな場所でお話しする機会も多く、
言うことだけは立派かもしれませんが、その実践となると、
本当に難しいものです。
今もテレビ 「 ナダル 」 と 「 ジョコビッチ 」 の優勝を賭けた試合が
続いています。
テニスなどしたことのない私が見ていると、
何とはなしに出来るような気になってくるのが不思議です。
当然、ラケットを握ったら振ることすら出来ないでしょう。
ここ数日、試合を観戦しただけで、「 ああだこうだ 」 いうのが
おかしな具合です。
本当に 「 言うは易く 行うは難し 」 なのです。
幸せになる方法を説く方が、必ずしも自分が幸せとは限りません。
経済学者の方が必ずしもお金を儲けをして財産家というわけではありません。
また、
「 沈黙は思想の妊娠期である 」
と、亀井勝一郎さんが述べておられます。
私たちは ( 特に、私は ) 人から良いことを聞くと、
すぐに、エラそうにしゃべりたがるものです。
それを一度、沈黙の中に沈潜させることが必要、とおっしゃっています。
借り物ではなく、自分の言葉とするまでに、噛み砕き、心の底からうなづける
そういう時がいるのです。
どれほど深い 「 沈黙 」 を持ちえるかが、その人の実践と
言葉に味わい深いものを与えてくれると思います。
お釈迦さまが悟りを開かれたとき、
すぐさま、菩提樹の下から立って、悟りの内容を説かれませんでした。
「 梵天勧請 」 という形で表現されています。
お釈迦さまの悟りを聞きつけて、娑婆世界の王である 「 梵天 」 が
お釈迦さまの前にひれ伏し、 「 どうか悟りの内容を説いてください。」
とお願いされます。
しかし、お釈迦様は、「 説かない 」 とおっしゃいます。
最初の七日、次の七日、次の七日 … と
通いづめられます。
「 何故説かれないのですか ? 」
『 私の悟った法は、微かで妙なるものです。
たぶん、自分勝手で欲深い人間にはわからないであろう。 』
「 しかし、世の中には穢れの薄い人間もいます。
必ずや、あなたの教えを受け取ることの出来る人もいます。
どうか、悟った教えを説いてください。」
と、さらに懇願されます。
そして、ついに四十九日目に座を立って、最初の教えを説かれたと
お経には書いてあります。
お釈迦さまも、 四十九日間の 「 沈黙 」 が、その教えをさらに吟味し、
深く深く自分のものとして、具体化されていったのでしょう。
そこからは、
お釈迦さまの説法を 「 獅子吼 」 と表現されるように、
亡くなられるまで、説き続けられたのです。
解るとかわからない、を超えて、説かずにはおれない、
( わかってもらえるから話そう、というのではないのです。)
だから、ライオンが吼えると、喩えられたのでしょう。
自分に対する非難が起こっている村であれば、その村を通り過ぎるのではなく、
わざわざその村に出向いていって、法を説かれた。
という話が残っています。
そこが本当の実践なのでしょう。
そのたとえではないのですが、
東寺にいるころ、お寺の修復事業で、募金活動に回りました。
よく、断られるときもあるのですが、
「 断られても、何回もいくのです。!! 」
と、三浦先生の叱咤激励もあり、
恥ずかしさをこらえて、再度、お願いに行くのですが、
そこから、不思議と色々な展開があったことを思い出します。
最近は 「 沈黙 」 ということも忘れているようです。
「 言うは易く 行うは難し 」
噛み締めなおす言葉です。
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