「 過去が
咲いている今
未来の蕾で
いっぱいな今 」
河井 寛次郎
過去から現在へ、そして未来へと
時間というものは流れていきます。
しかし、仏教では 「 時 」 ということの
流れを別な見方をします。
『 過 ・ 現 ・ 未 = 同時 』
というのです。
過去と現在と未来が同じ時に存在する、
そんなバカな、と思います。
過去はとっくに過ぎ去ったもの、
未来はこれからやってくるもの。
しかし、 『 今 』 ということの内容を
深く捉えていくのです。
よくよく考えてみれば、
今ある、自分というのは
過去の蓄積の結果ではないでしょうか。
一つの考え方にしても、
いろいろ積み重ねてきた考えが
その価値基準になっているのです。
今突然、こういう考え方をする自分が
出来上がったものではありません。
そして、本当に夢を持った人は
今のあり方が変わってきます。
以前、クラブ活動の子どもたちと
寝食を共にしていたことがあります。
中には、隠れてやんちゃする子、
いろいろでした。
叱っても叱っても、なかなか直らない。
その時、次の試合での
優勝という目標が身近に見えてきたのです。
そうして、
「 よし !! 優勝を目指そう。 」
と決めた途端、
今までの悪い癖がピタット止んでしまったのです。
優勝という、未来の夢が
今この時に、その子の心の中に
芽生えてきたのです。
未来が 「 今 」 に宿ったということです。
口でどんな理想を語っても、
今という 「 時 」 が変わらなかったら
何も出来ないという証拠です。
未来ということを
真に願い続けることができる人は
今、というこの一瞬が変わってくるのです。
ですから、仏教では未来ということは
現在という自分がしている時の中に、
すでに内包されている、というのです。
確かに、未来に願いを持っている人は
「 今 」 という時の過ごし方が
違ってきているはずです。
そして、顔は明るく輝いています。
このことは 「 心 」 というものを
貯金箱のようなものと考えても
面白いと思います。
今の自分がしていることは
過去からの貯金の利息のようなものです。
「 わかっちゃいるけど止められない ! 」
という歌がありましたが、
頭では解るのに、過去からの貯金が
よくありませんので、
止めることができないのです。
また、反対に、
「 今 」 という一瞬一瞬の願いを持った
積み重ねが、未来の自分を
一歩一歩作り上げていってるということです。
心が怖いのは、
「 嘘をついた 」 ということは
それはその時で何とか誤魔化して
うまく切り抜けたとしても、
しかし、嘘ついて誤魔化した、ということが
心に刻まれていくのです。
何気なくしている、自分の行いが
自分の知らないところで
ちゃんと心のデーターバンクに
記録されていっている、ということが
恐ろしいことなのです。
『 今でしょう !! 』
というコマーシャルも流れているようですが、
本当に、 『 今 』 という一瞬を
どう生きるかということがとても大切なのです。
それはとりもなおさず、
未来に対する夢と願いが
自分を作り上げていっているということです。
そういう意味で、
河井寛次郎先生のこの言葉を
かみしめて、考えて見るのも大切なことではないでしょうか。
自分のことして、受け止められたことは
何よりも嬉しいことです。
これからもよろしくおねがいします。