先日、本蔵院住職訪れたおり、
乗ったタクシーが「MKタクシー」
ここのタクシーとても丁寧で親切
対応も感じも良いので、
乗る時はいつも利用します。
話は別のことですが、
スティーブ・ジョブズもこのタクシーを
利用されたようで、
亡くなる前の家族旅行で
古美術の「凌霄」(りょうしょう)さん
を紹介したのもMKさんです。
その運転手さんの話ですが、
お寺も神社もよく分かりませんが
だれでも頷く一言があるのですよ、
と、わかりますか?
さあ、と言っていたら、
それは、
石庭で有名な竜安寺の蹲ツクバイ
に彫ってある
「吾唯足るを知る」
という、足るを知る
ということです。
このことを言うと外国の方でも
分かっていただける。
ということでした。
吾唯足るを知る
英語でいうと
「I learn to be contened」
となるようです。
「足るを知る」
なるほど皆さん頷かれます。
しかし、
そのことを本当に知って
足ることを知って生活される方
どれだけいらっしゃるのでしょう。
他人事としては
「足るを知る」
とても大切ですよね!!
でも自分はというと … ??
道を走っていると
7億円とか10億円とかの
宝くじが目に付きます。
人間の欲望は限りがありません。
ショウペン・ハウエルという方は
「富は海の水ににている
飲めばますます喉の渇きを覚える」
といっておられます。
日本の古い歌には
「欲深き人の心と降る雪は
積もるにつけて道を忘るる」
と、
人の欲望が人の心を狂わせる
ことを歌っています。
最初は、
あれが欲しい、これが欲しい
と、自分の欲望だったのが
欲が進んでいくと
欲望が自分自身になっていると
自分と欲望が逆転して
しまうところに怖さがあるのです。
宝くじに当たったら
人生狂いますよ!!
といったら、
狂ってもいいから当たりたい
という返事が返ってきましたが、
本当に足るを知るということは
聞けば、
なるほどと思うのですが
いざ、自分がどうやって
足るを知ることを実践できるか
といえば
甚だ疑問です。
足るということの尺度が
それぞれの人によって違う
ことも問題です。
そこには自分の欲望のあり方を
よく知る、
ということが大切です。
佛教では内観の道ということを
説いています。
今読んでるところでは、
謙譲にして勇気のある道
それは内観の道しかない
それは自己批判を通して
自己を証明してくる道です。
ということが書いてあります。
内観ということは
自分の底に眠っていいる
えげつない欲望まで
見抜いていくということでしょう。
難しい、嫌なようでも、
その欲望を見抜けなかったら
足るを知るということは
成り立たないのでしょう。
足るを知る
簡単なようでも
いざ自分のこととしてみると
難しい問題です。
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