何ともわかったようなわからない答弁
ある大臣の記者の質問に答えた
ということですが、
「範疇」
という使い方はどうもおかしい!?
簡単にはカテゴリー、部類とか部門
ということですが、
広辞苑にも
「洪範九疇」という語から
西周が作った訳語とあります。
「洪範九疇」とは
天下を治める九つの大法、
とあります。
それは、
五行(木・火・土・金・水)
五事(貌・言・視・聴・思)
礼節の上で大切なこと
八政(食・貨・祀・司空・司徒
司寇・賓・師)
五紀(歳・月・日・星辰・暦数)
時間を秩序立てるもの
皇極(皇は大、極は中
禍福賞罰は大中至正に基づく)
三徳(正直・剛克・柔克)
稽疑(卜筮ボクセイ・占い)
庶徴(休徴・よししるし、
咎徴・わざわいのしるし)
五福・六極
五福(寿・富・康寧・攸好徳・考終命
六極(短折・疾・憂・貧・悪・弱)
と、まあ難しい言葉が並びますが
何となくわかる言葉も
政をするにはこれだけの要素が
必要だということを
言っているのでしょう。
範疇ということも
ものを成していくにはいろいろの
部門というか要素というか
そういうことから出来ている
ということを
西周(にしあまね)という人は
ギリシャ語の(category)を
苦心の末、中国の洪範九疇から
「範疇」という言葉を
創り出したのでしょう。
西周という方も啓蒙家とあるように
幅広見識があり、
活躍も尋常なものではありません
徳川慶喜の側近として仕え
明治政府では
兵部省・文部省・宮内省にも籍を置き
軍人勅諭にも関わっていて
また、その当時に入って来た
外来語を翻訳というか造語というか
今では
当たり前に使っているのですが
哲学・芸術・理性・科学・技術・
心理学・意識・知識・概念・帰納
演繹・定義・命題・分解
というような言葉も
この方によるものです。
「答える範疇にはありません」
ということから、
調べていくと意外なことが分かり
自分としては納得のいくものが
ありました。
哲学という言葉も
人生を考えたり深く考えることを
なぜそういうのか
腑に落ちないものがありました。
明治という新しい文化が入って来て
その言葉をいかに日本語にするか
御苦労があったのでしょう。
安田先生も
西洋の言葉というフィルターを
通さないと日本語が鍛えられない
ということをおっしゃっていました
やはり、思索ということを
厳密にしていくには
日本語の曖昧さでは
人間の心の深さは解明できない
ということなのでしょう。
たかが言葉かもしれませんが
されど言葉です
言葉で考え言葉が行動となる
ということですから
あだや疎かにはできません。
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