二日間余分に待機したけど、明日は天気が良さそうなので、今から和賀岳登山口(真木林道)に行きます。
明日登る予定だけど、天気次第で明後日になるかも知れませんので、もしも明日の夜にブログのアップが無くても、心配しないでください。
さて今日のタイトルですが、友達が病気になって、極めて悪い状態である事を知りました。
電話で直接本人からその事を聞いたんですが、言葉に詰まってしまいました。
何を言えばいいんでしょう? なんと言うべきなんでしょう?
でも、それを伝えてくれた事には感謝しています。 心の準備が出来ますから・・・
医学が進んだ現代にあっても、不治の病は多く存在します
そしてそんな不治の病に罹病した人の中には「余命宣告」を受けるような場合も多々あります。
その余命宣告を一部の人は「家族しか知らない」場合もあるけれど、現代では多くの場合「本人も知っています」
以前には良く論議されていた「本人に伝えるべきか、隠すべきか」の結論がどうなったのかは知りませんが、(多分病院で最初に質問票で答えた答え通りにしてくれるんでしょうが・・・)僕の意見としては「知った方が準備や心構えが出来るので、余命の少しでも元気な期間を充実して生きれる」から、本人に伝えるべきだと思っています
ただそれに直面した場合、この歳になっていても、どれほどのショックを自分自身が受けるのか、想像さえ難しいです。
「死ぬ」と言う事は、僕にとって漠然と怖い事です
多分多くの人も同じだろうと思います。
解り切った事ですが、人は皆いつかは死にます。
色んな分野の進歩によって、人が死なないように出来たとしても、人は死ぬべきだと思います。
これは僕自身の考えですから、人によって考え方は様々だと思うんですが・・・
もしも「余命宣告」を受けたら・・・
僕自身がその年齢の時に何と思うかは別として、今考えた場合だと90歳を超えた年齢になっていたら、死ぬ事を悲しいとは思いません。
痛くない死に方なら「大往生」の部類でしょうから・・めでたい位です。
80歳から90歳の間だと、少し残念だけど「十分生きてきた」と思えますから、それほど悲しくはありません。
70歳から80歳の間だと「まだまだしたい事もある」ので、辛く悲しいです。
60歳から70歳の間となると、自分自身の現在に当てはまりますが「したい事が一杯で、実際にそれをしている時だから、絶対死にたくない」時です。
だから残念無念で嘆き悲しむでしょう。
50歳から60歳の間なら・・・まだ子育てが残ってる人も居るでしょうから、そんな人は「絶対死んではいけない」と思います。
さて色々書きましたが、僕の友達は同年齢で「余命宣告」を受けましたから、僕と同じ心境だと思います。
そこで、もしも僕が今「余命宣告」を受けたとして、この残念無念で嘆き悲しむ状態から抜け出して、できるだけ穏やかに死期を迎える為に、どの様な心になるようにすれば良いか・・・を、考えていました。
「人はいつか死にます」これは解り切った事ですから、「自分は少し早いけど」と思うのも一つの方法でしょう。
でも残念無念は消えません。
しかしです。死んだ後どうなるのかを知ってる人は居ません。 死んだ後が結構楽しい世界があるかも知れません。
この世にないような「極楽」かも知れません。
そもそも人間と言うのは、前世に悪い事ばかりをしていた動物や昆虫が、罰を受けるために人間にされたと言う人も居る位です。
だからこれ以上に悪い世界は無いのかもしれません。
悪い事ばかりしていた人間は、また人間に生まれるかも知れませんが・・・
死ぬ前に、痛かったり苦しかったりするのは嫌ですが、モルヒネでもなんでも打ってくれて、痛みや苦しみが無く眠ってるような状態で死ねるなら、眠ってる時と同じですから・・・
死ぬ事は楽なもんです。
見る限り・・・・永遠の眠りに付く訳です。
起きてたら・・・怒られたり、辛い事や悲しい事もありますが、眠ってたらホンマに幸せです
その上、死後の世界がこの世に無いような愉しい所なら、言う事はありません
残された人は「楽園への旅に出た」と思えば、それ程無念に思わなくて済むでしょう。
本当は・・・羨むような事なのかも知れません。
もっと早く来たら良かったと思うような所かも知れません。
死ぬと言う事に、正面から向き合ったら、こんな気持ちになれるような気もします。
そして、こんな気持ちになれたら「幸せに死ねる」ように思います。
でも・・・これを口に出して、相手に言うのは難しいです。
「人はいつか死にます」社会の事を考えて、この世でも思い残すことなく愉しく遊びましょう
あの世でも、また楽しく遊びましょう
昼食は、掲示板で教えて貰った「回鮮寿司のさこう」へ行ってきました。
ネタが大きいと聞いていましたが・・・想像以上でした
普通大手100円回転ずしの倍位のやら5割増し、イワシは完全に倍サイズ
三巻100円もいくつかありました。そしてネタも厚い
写真を撮るの忘れてましたが、ホタテ焼きの殻つきは、これで100円は安すぎです。
皆さんも秋田、大曲に来たら是非試して見てください。
明日登る予定だけど、天気次第で明後日になるかも知れませんので、もしも明日の夜にブログのアップが無くても、心配しないでください。
さて今日のタイトルですが、友達が病気になって、極めて悪い状態である事を知りました。
電話で直接本人からその事を聞いたんですが、言葉に詰まってしまいました。
何を言えばいいんでしょう? なんと言うべきなんでしょう?
でも、それを伝えてくれた事には感謝しています。 心の準備が出来ますから・・・
医学が進んだ現代にあっても、不治の病は多く存在します
そしてそんな不治の病に罹病した人の中には「余命宣告」を受けるような場合も多々あります。
その余命宣告を一部の人は「家族しか知らない」場合もあるけれど、現代では多くの場合「本人も知っています」
以前には良く論議されていた「本人に伝えるべきか、隠すべきか」の結論がどうなったのかは知りませんが、(多分病院で最初に質問票で答えた答え通りにしてくれるんでしょうが・・・)僕の意見としては「知った方が準備や心構えが出来るので、余命の少しでも元気な期間を充実して生きれる」から、本人に伝えるべきだと思っています
ただそれに直面した場合、この歳になっていても、どれほどのショックを自分自身が受けるのか、想像さえ難しいです。
「死ぬ」と言う事は、僕にとって漠然と怖い事です
多分多くの人も同じだろうと思います。
解り切った事ですが、人は皆いつかは死にます。
色んな分野の進歩によって、人が死なないように出来たとしても、人は死ぬべきだと思います。
これは僕自身の考えですから、人によって考え方は様々だと思うんですが・・・
もしも「余命宣告」を受けたら・・・
僕自身がその年齢の時に何と思うかは別として、今考えた場合だと90歳を超えた年齢になっていたら、死ぬ事を悲しいとは思いません。
痛くない死に方なら「大往生」の部類でしょうから・・めでたい位です。
80歳から90歳の間だと、少し残念だけど「十分生きてきた」と思えますから、それほど悲しくはありません。
70歳から80歳の間だと「まだまだしたい事もある」ので、辛く悲しいです。
60歳から70歳の間となると、自分自身の現在に当てはまりますが「したい事が一杯で、実際にそれをしている時だから、絶対死にたくない」時です。
だから残念無念で嘆き悲しむでしょう。
50歳から60歳の間なら・・・まだ子育てが残ってる人も居るでしょうから、そんな人は「絶対死んではいけない」と思います。
さて色々書きましたが、僕の友達は同年齢で「余命宣告」を受けましたから、僕と同じ心境だと思います。
そこで、もしも僕が今「余命宣告」を受けたとして、この残念無念で嘆き悲しむ状態から抜け出して、できるだけ穏やかに死期を迎える為に、どの様な心になるようにすれば良いか・・・を、考えていました。
「人はいつか死にます」これは解り切った事ですから、「自分は少し早いけど」と思うのも一つの方法でしょう。
でも残念無念は消えません。
しかしです。死んだ後どうなるのかを知ってる人は居ません。 死んだ後が結構楽しい世界があるかも知れません。
この世にないような「極楽」かも知れません。
そもそも人間と言うのは、前世に悪い事ばかりをしていた動物や昆虫が、罰を受けるために人間にされたと言う人も居る位です。
だからこれ以上に悪い世界は無いのかもしれません。
悪い事ばかりしていた人間は、また人間に生まれるかも知れませんが・・・
死ぬ前に、痛かったり苦しかったりするのは嫌ですが、モルヒネでもなんでも打ってくれて、痛みや苦しみが無く眠ってるような状態で死ねるなら、眠ってる時と同じですから・・・
死ぬ事は楽なもんです。
見る限り・・・・永遠の眠りに付く訳です。
起きてたら・・・怒られたり、辛い事や悲しい事もありますが、眠ってたらホンマに幸せです
その上、死後の世界がこの世に無いような愉しい所なら、言う事はありません
残された人は「楽園への旅に出た」と思えば、それ程無念に思わなくて済むでしょう。
本当は・・・羨むような事なのかも知れません。
もっと早く来たら良かったと思うような所かも知れません。
死ぬと言う事に、正面から向き合ったら、こんな気持ちになれるような気もします。
そして、こんな気持ちになれたら「幸せに死ねる」ように思います。
でも・・・これを口に出して、相手に言うのは難しいです。
「人はいつか死にます」社会の事を考えて、この世でも思い残すことなく愉しく遊びましょう
あの世でも、また楽しく遊びましょう
昼食は、掲示板で教えて貰った「回鮮寿司のさこう」へ行ってきました。
ネタが大きいと聞いていましたが・・・想像以上でした
普通大手100円回転ずしの倍位のやら5割増し、イワシは完全に倍サイズ
三巻100円もいくつかありました。そしてネタも厚い
写真を撮るの忘れてましたが、ホタテ焼きの殻つきは、これで100円は安すぎです。
皆さんも秋田、大曲に来たら是非試して見てください。