outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

初蟹罠仕掛けました

2009年08月31日 20時41分39秒 | 日本三百名山に登る旅
家に帰ってくると忙しいです

今日も朝から家庭菜園を鍬で耕しました

10時になると・・・もう暑くてとても鍬を振る仕事は出来ません。

発泡スチロールの箱に白菜とブロッコリーの種を蒔き、昨日耕した一列のウネに大根の種を蒔きました

昼食の後、旅の前に美由紀が書き換えに出してあった運転免許証を受け取るのを送って行って・・・銀行へも行き貸し金庫を開けて貰って当座必要な印鑑などを出して今年最初のモクズ蟹罠を8個仕掛けてきました

餌は数年前から冷凍しているサンマです。

近くの川なので仕掛けるのも見に行くのも簡単ですから一度罠を仕掛け始めると・・獲れていた場合ですが・・・餌を少し補充するだけで数日続けて仕掛けます。(計画では100匹位獲る)

季節的に少し早いので獲れた蟹をすぐに食べても内子も入ってないし美味しくありませんから二ヶ月ほど飼育します

この改造倉庫は井戸を掘っているのでそれが簡単に出来て助かります。

久しぶりに罠を仕掛けたんですが・・・矢張り罠は翌日が待ち遠しい楽しさがありますね

獲れていたらその時はまた嬉しいけど・・・

海が荒れてダメなので・・・八十氏にうなぎ釣りに行こうと誘ってあります

夕方柳田氏が畑の様子を見に寄ってくれ・・・その後大川氏が釣ってきたアジを届けてくれ・・・みかちゃんが内緒ですが・・・夢のある話を持ってきてくれました

今皆が帰ってブログを書いています。

普通なら四国へ上陸する台風が最近は進路を変えていてこちらに来ず日本海へ行ったり直接関東へ行ったり。

来ないこちらはラッキーですが・・・接近している地域の人は慣れないだけに大変と思います

テレビで・・・去年茨城の大澤さん、渡辺さんと潜った「大洗」が映っていましたが・・高い波が打ち寄せていました。

皆さんご注意くださいね。

忙しくて山旅の写真を整理する時間がありません

済みませんがしばらく猶予をお願いいたします

明日の朝の蟹罠成果に期待しつつ

今日の写真は日本百名山の「五竜岳」と小屋を下山途中の遠見尾根から写したものです。

こんなのを見ると・・・又山に戻りたくなりますね。

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政権交代と会計報告

2009年08月30日 22時11分20秒 | 日本三百名山に登る旅
世の中は政権交代で騒いでいますが・・・

交代しないよりはしたほうが良かったかな?と思うけど・・・どこまで将来の日本や世界の事を考えて舵取りしてくれるのか疑問は多々ありますね

僕が何よりも良かったと思うのは議員の平均年齢が20歳近くも若返ったことです

年寄りはどちらの議員さんも考えは浅いけど欲ばかり深く、老眼なのに近くしか見えなくていけませんから・・・

話しは変わりますが・・・徳島はとても暑いです。

昼間なんか何も出来ません

そんなんで朝から朝食も摂らず畑仕事

昼は丁度篠原夫妻が寄ってくれてお話し休憩

そして夕方は鍬が見えなくなるまで人間耕運機してました。(でも少ししか出来ていません。あれは重労働です)

来年のスキー&山旅出発の3月末までに満足行く「冬野菜」を栽培したいんです

目標の第一は・・・いつも持ってきてくれる柳田家の特大白菜に負けない白菜を育てること

そんなんでホームセンターへ行って苗床用の土を3袋と各種の種(白菜、大根、太ネギ、キャベツ、サニーレタス、ブロッコリー、春菊、ほうれん草)を買ってきました

夜になってイッパイ呑みながら考えたら・・・柳田家の白菜はもしかしたら種が違っているかも??と心配になって

柳田家へ電話。

少し我が家の分の苗を立ててくれるように頼みました

後は愛情と努力で結果を待つだけです。

山旅の会計報告です。

七月10日から八月10日までの一ヶ月分は前回報告しているので今回は八月10日から八月29日(帰着)までとなります。

この間に山小屋で5泊しましたが・・・山小屋も久しぶりに泊ると愉しいですが・・お金が余るので頑張ろうと思ったんですが・・・正直なところ余り続くと決して快適なところではありませんから・・・

月に二~三泊が愉しい限度のように思いました。(水が無いから顔も洗えないし体も拭けない。寝る場所が狭いなど)

外食・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10735円

食料品(スーパー、コンビニ、道の駅)・・・・27896円

山小屋宿泊弁当など五泊・・・・・・・・・・・93900円

交通費(バス代、ロープウェイ、高速料金)・・20440円

通信費(携帯電話、AU通信カード)・・・・・・・9620円

コインランドリー・・・・・・・・・・・・・・・3300円

燃料代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30000円

その他(ビール、本、歯医者、等)・・・・・・21645円

以上の合計・・・・・・・・・・・・・・・・217536円でした。

そんな事で今回の山旅の予算は全部で60万円を計上していましたが・・・

前月消費金・・171605円プラス今月で総合計・・・389141円となり

前月が雨で殆ど山に行けず、大幅に余った予算を今回頑張りましたが消費し切ることが出来ませんでした

そう言えば・・・バスの電気系統?(排気ブレーキが効かない。用もないのに余熱する。水温計が上がらない)が少し壊れてたので修理代が必要ですがこれは含まれていません。

明日にでも修理工場へ持って行きます













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久しぶりの倉庫ハウスは

2009年08月29日 23時40分12秒 | 日本三百名山に登る旅
50日ぶりに戻ってきた阿南市の倉庫ハウスは・・まだけなげに立っていました(僕はもうたたないけど

畑は・・・野菜が成長?して一見「藪」になっていますがこれまたけなげに食べられそうなナスがいくつかなっています

雑草は誰が抜いてくれたのかそれほどありませんでした

そして多分・・・さんが入れてくれたと思うモミガラが

花壇の方も成長著しくでも原形を留めていました。

良かった良かった

さて今日の朝、7時半に岐阜県中津川市近くの道の駅「きりら坂下」を出発。

岐阜の高橋氏と待ち合わせの「養老サービスエリア」へ

久しぶりに会った高橋氏は会社の景気は余り良くないと言っていましたが・・・

昔から多かった髪の毛が全く減っていませんでした僕は日々減っているのに

二時間ほど「現在過去未来」の話をして来月には徳島で一緒に潜ろうと誘って別れました。

徳島に着いて一番に見たかったのが・・・我がヨットクラブ「阿波クルージングクラブ」のクラブハウス前に設置された「浮き桟橋」(ヨットを繋いだり人が乗り降りする為のもの)でした。(僕が旅に出てから設置された)

「ええな~・・・」と見ていたらテク近藤氏より電話が入って一緒に阿南へ

早速デッキでビールを呑みながら・・・

ここ数日前から近藤氏の友人「森田氏」がヨットを買うと張り切っています

張り切るのは良いんですが・・・張り切りすぎと言うか・・・狂った状態に二人揃ってなっているんです

数枚の写真しか見てないのに・・・乗って帰ってくる準備と相談をしきりにしています。

まあ最終的には見てから決めるんですが・・・「5ノットで走るのが条件だ!」とそれ以外の考えに及んでいないから

それは・・・泥舟でも買ってしまいそうな勢いだから・・・「クールダウン」するように言ったんですが・・・効果があるのかどうか

そんなことでヨットクラブの三谷夫妻と近藤氏森田氏とで先ほどまで呑みながら話しておりました。

明日はバスの中の片付けをして・・・今月の山旅の会計報告もしたいと思っています

ただ・・・残念ながら今月も予算が使い切れなかったことが明白です。日数的に10日短かったこともありますが・・・

後半殆ど自炊もせずに弁当と外食で過ごしたんだけど

詳しくは明日ね









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2009年度の山旅を振り返って

2009年08月28日 17時45分54秒 | 日本三百名山に登る旅
今年は倉庫ハウス周辺及び家庭菜園の試栽培や整備の為当初から二ヶ月と短い計画の山旅でした。

それがまた野暮用の発生で10日程短くなったんですが

振り返ってみれば

今年の梅雨は長かったですね~(宣言は早かったけど)

天気が安定したのはお盆終盤でしたから・・・

それでも・・・合間を縫って登りました

最初に登ったのは「七面山」早く脚を造ろうと標高差1500メートルを登ったんですが・・・二人共筋肉痛に泣きました

次の「毛無山」では目の前の富士山、南アルプスの姿に感動

それからの数日は雨に泣きました・・・トムラウシ山で事故が起きたのもその時でした。

待ちに待って二日続きそうな天気に北岳、間ノ岳、農鳥岳の縦走を計画し北岳まで登った翌日は雨

キタダケソウを見て下山

それから又・・・天気待ちが続いたんですが

仙丈岳、甲斐駒ケ岳、針ノ木岳、蓮華岳、斑尾山、飯縄山と登れました。

天気が安定して唐松岳、五竜岳の縦走、続いて蝶ヶ岳、常念岳、大天井岳から槍ヶ岳の縦走

そして中央アルプスに移動して木曽駒から空木岳、南駒ケ岳の縦走

その後・・恵那山と今日の奥三界岳

全部で19座に登り愉しい思い出ができました

行った先々で色々な情報をくれた皆さん、また驚くような出会いなど多くの方々のお陰です

有難うございました

僕の長期の計画で集中的に日本の山に登るのは来年が最後です。

今年の山旅を終えた現在、だいたい日本の山について来年の山旅が終れば卒業できる自信も出来ました

以後は年に一度か二度本州に渡って好きな山に短期的に登って愉しみたいと思えるようになっています

僕の生き方でもあるんですが・・・一つの事を集中的にします

これは・・その方がマスターできるのが早いと思うのと「軸足」を変えて次のことに集中したいからでもあります。

そして2003年から始めて七年の山旅(来年を加えると8年になる)でマスターできた事は多々あるんですが・・・

一番嬉しい事は「コースタイムで歩く方法が解った」ことです

「な~んだ・・」と思うかも知れませんが・・・・

今日の写真は・・・大槍(槍ヶ岳の天辺)から下山する美由紀です。

どんな急な崖も平気で上がり降りします

やっぱり魔物かも

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男女の産み分け方法

2009年08月27日 17時26分32秒 | 日本三百名山に登る旅
タイトルが「アウトドアライフ」なのになんで産み分け方法が出てくるのかと思われることは百も承知です

その上に日本国の平均年齢同様にこのブログを読んでくれている人も殆どが「畑は荒野と化し種は衰弱」しています

しかしホンの少しではありますが・・「これから」の人もいます。

そして過去の人が振り返れば・・・人によっては「なるほど」と思えると思います。

普通の夫婦というのは「よなべ」をしていていつの間にか子供を授かるようですが

我が家の場合は男を作ろうと思って男を作り、女を作ろうと思って女を作った実績があります

ところが・・・どんな本を読んでもこの簡単な産み分け方法を書いてあるのを見たこともなければ一般常識として知られてもいないようです

多分お医者さんなら僕が言うことを信じれると思うんですが・・・

いずれにしても・・・僕は自分が知った事や考えたことをたとえ間違っていようと正しいと信じ思った事はとりえず伝えてみるべきだと思って生きています

そいて僕が生きている上で常に思い考えている事は何度も書いていますが「結果には全て原因がある」と思っています

そんなことから男が産まれたり女が産まれたりすることにかなり興味を持っていました

そして思いついたのが・・・これから書くことなんですが・・・簡単すぎて本にはなりませんが医学的に考えても間違っていないと思います。

それは射精をする場所にあります。

ただ女性の場合も男性の場合も性器が付いている位置が人によって上下があります。

それと女性の場合には子宮の位置が奥にあったり手前にあったりもします。

男性の場合も陰茎の長さに多少の長短があります。

しかしこれらは殆どが体位の工夫などで解決できます。

一番大事な事は子宮の極く近く、または子宮に突き当てて射精をするか少し離して射精するかにあります

食事療法などが言われていますが全くと言えるほど関係ありません。

色々な体位を試して陰茎の先端が子宮に触れる体位(カップルによって違う)を知ることです

そしてそこで射精をすれば男の子が生まれます。

他に女性が絶頂を迎えると子宮が下がってきますからその時にできるだけ奥で射精しても男の子が生まれます。

女の子が欲しい場合は射精するときに少し腰を引くか子宮から遠い体位ですることです。

これを思いついたのは随分昔のことですが・・・動物は子孫を残す為にメスが多く生まれるように造られています。(オスは何尾のメスとでもできる)

その結果沢山の精子の中でオスの元となる精子はメスの元となる精子ほど強くない
のです。

手前の方で射精されると受精するまでに弱ってしまったり死んでしまったりする訳です。

これは簡単ですが確実な方法です。

是非覚えておいて試してみてください

ただし間違って男の子が産まれようと女の子が産まれようと責任はもてませんが・・・まづ間違いは起きないと思っています

経験者の方々はどう思いましたか?

多分・・・覚えていたら・・・なるほどと思われたと思いますが

ところで・・今日の僕達は道の駅「きりら坂下」で目覚め隣のスーパーが開くのを待って弁当他食料品を買出しして奥三界岳の登山口「夕森公園」へ移動

緑に囲まれた沢沿いの駐車場で弁当を食べて午後は小説を読んで過ごしました。

今回の山旅で最後の山になります。

天気が少し心配ですが・・愉しんできます

今日の写真は中央アルプス空木岳から下山した池山尾根の登山道脇にある巨岩です。

空木岳に限らず巨岩がそこらじゅうにある山は多いですが・・・

割れてはいるものの積み木を積んだような形だったので写しました。

人を横に置いて写せばよかったんですが・・・

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オトコとオンナについて

2009年08月26日 17時02分10秒 | 日本三百名山に登る旅
極めて偏見的視野から見ているのかも知れません

そしてそれをこのような場所で書くとどのような攻撃を受けるか心配なので

僕の感性が狂っていると思って読んでください。

「オンナはマモノ」と言うのは男も女も認めるところであります

これは余りにも多岐にわたっているのですが・・・「見た目と違う」と言う様なことから「騙した、騙された」など数え上げると限がないんですが・・・

今日僕が書くのはそんなことではありません。

山で会うオンナの多くは・・残念ながらどのような贔屓目にみてもオンナを終った「婆さん」です

そしてオトコの多くは・・薬でもなければオトコを終った「爺さん」です

どちらも「終った人達」なんですが・・・

大きく違う二つの面に気付いたのでそれを書いてみます

全員がそうと言うのではありませんが・・・

旦那が死んだ婆さんは旦那が生きている婆さんより非常に明るく元気です

そして旦那が残してくれた預貯金や保険金を非常に有難がって時には新しい彼氏(爺さん)と愉しそうに過ごしています(先進国の普通の婆さんのように)

そして「死んだ爺さんはケチで面白く無かった」などとのたまう婆さんも多々居ます

ところが・・・爺さんは奥さんが死んでいようと生きていようと元気と明るさが欠けています

そこで・・・なぜ・・そうなっているのかを僕なりに考えてみました

そして現時点で「多分そうだろう」と結論したので今日こんな事を書いているんですが・・・

オンナと言うのは自分で感じているかいないかは別として潜在意識の中に・・・

多分・・・「股を開けばなんとかなる」と思って生きてきたのではないでしょうか??

その意識が・・婆さんになっても抜けない・・・ように思うんです

しかし・・・オトコは・・・「自分の力と考えで家族を守らなければならない
」と実力以上に頑張って生きてきた癖が抜けない

それで「堅実」言い換えればケチになり・・・楽しめず・・お金を残して最後に婆さんに感謝されるように思うんですがどうなんでしょう

ほんまに婆さんは元気です。オンナは婆さんになってもマモノだと思いました。



今日の僕等は日本百名山の一つ「恵那山」に登っていました

残念ながら遠望はダメでしたが・・・以前は「日帰りは難しい」と思っていた長くアップダウンを繰り返すコースを五時四十分に出発し午後二時に戻ってこれました

脚力がついてきて・・・体調も申し分なし

腹も少しへこんだし・・・喜んでいます

写真は恵那山頂上の僕です。

腹がへこんだ?でしょ

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不思議な縁

2009年08月25日 16時48分38秒 | 日本三百名山に登る旅
長く旅をしていると「不思議な縁」を感じる事が時々起こります

ヨットホロホロで世界を回っていた時ですが・・・

地中海のサントリーニ島で美由紀がA型肝炎に罹り20日間ほどアテネの病院に入院しました

退院したけど体力的に不安もあって「誰かいないかな~」と岸を見ていたら一人の日本人の若者を見つけました

一緒に乗って行かない?と誘ったらすぐにOK。

九州出身の板前さんで3ヶ月の予定でヨーロッパをバックパック旅行している三井君でした。

それで地中海の島を幾つか一緒にまわり途中潜ってウニを獲ったりして料理も良くしてもらったんですが・・・間もなく東欧へ行くと下船しました

それから二ヶ月ほどしてホロホロがフランスだけどモナコ近くに錨を下ろして数日シャモニーの方へ旅行に行きました

その時フランスからモナコへ向う列車に乗っていた三井君が何気なく外を見ると・・・浮かんでいるホロホロを奇跡的に発見。

すぐ下車したそうです

ところが・・・僕らは旅行中

どうしようかと三井君が迷っている時にこれまた奇跡的に丁度僕らが旅を終えて帰ってきたんです。

不思議な縁でしょ

「また乗せてくれる?」と言うから喜んでOK

何しろ三井君は調理師でも会席の職人だから日本の本格的な料理が何でもできるんです

それから20日ほどのホロホロはプロの板前が乗っているので市場の買出しに力が入って・・・様々なネタを三井君が選んでご馳走の日々となったのでした

今日の写真の高橋夫妻は神戸の人なんですが・・・

初めて会ったのは2003年の東北の山「岩木山」でした

それが・・・2005年に九州の「大船山」に登っていて再会したんです

高橋氏は僕より年上ですが92年からキャンピングカーを使って三百名山に登ってはいるんですが・・・

そして二度会った人は他にも何人かいます。

それが・・・次は2006年に「戸隠山」に登ろうと駐車しているところで又偶然に会ったんです

三度目になるともう親戚のようなもので住所や電話番号を交換して一緒に呑んで次回は打ち合わせて一緒に回ろうと約束までしたんですが・・・

2006年10月からフィリピンのホロホロへ行った僕らは携帯電話を「休止」にしていたんですが・・・ホロホロを日本へ乗って帰る事になりました

そして・・・2007年6月、14年ぶりにホロホロは出港した日本の橘湾へ戻ったんですが・・・

休止にしていた電話は6ヶ月を過ぎて居た為番号が変更

それだけなら良かったんですが・・・間もなく突然全てのデータが消えてしまったんです

高橋氏は何度か電話をくれたそうです。でも番号が変わっていた

僕は時々思い出していたんですが・・番号が解らない

そんないきさつがあったんですが・・昨日南駒ケ岳から空木岳へ引き返していると

南駒ケ岳へ向う夫婦に出会ったんです

忙しくお互いが喋って無事と再会を喜び電話番号を交換したのに・・・

そして今年の秋に徳島へ来てくれることになったのに・・・

電話番号を書いた紙を僕は失くしてしまったんです

多分高橋夫妻から連絡をくれるとは思うんですが

日本は狭いと言っても一億三千万人が暮らしています。

近所の人ならともかく神戸と徳島は離れています。

お互いキャンピングカーで山に登っているとはいえ、何の相談も無く4度も会うとは・・不思議な縁としか言い様がありません

朝駒ケ根高原を出て「通勤割引」を利用してあの長い「恵那山トンネル」を抜け岐阜県の中津川市へ

台湾食堂で昼食後、食料品を買出しして長く急な林道を登って海抜1600㍍の恵那山登山口「神坂峠」に来て寒さに震えながらブログを書きました

今から日本酒でも呑みます

写真は高橋夫妻と美由紀です。

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野麦峠の怨み?

2009年08月24日 16時51分26秒 | 日本三百名山に登る旅
昨日の朝4時に起きて朝食を済ませ一番のバスに乗ろうとキャンピングバスを出ると

駐車場の係員が来て・・・

「ここは小型車しか停めてはいけませんから出て行ってください」と

前回木曽駒ヶ岳に登った時は係員が出勤するまえに車を離れたから

仕方なく美由紀を並ばせて僕はバスを移動。

でも四時半から並んで乗れたのは二番目のバスの最後の二人でした。

バスとロープウェイを乗り継いで何の苦労もなくハイヒールででも海抜2600㍍まで行けるから・・・凄い人気なんです。

千畳敷に着いてカールの急斜面を登りきると

肌を刺すような冷たい北西風が吹き付けていました

手は凍えるし顔は冷たいを通り越して痛いんです

慌てて上着を取り出して着込み・・岩峰の宝剣岳へ

そこから空木岳へ向うんですが・・・岩場でなかなか危険なのです。

僕は以前に行ったことがあるんですが美由紀が行ってなかったので行きましたが・・・

そして安全な所まで降りて・・・今晩泊ろうと思っている「木曾殿山荘」へ予約の電話を掛けたら・・・

番号が変わっているとの事で繋がりません

脚を早めて追い越す人に電話番号を教えて貰いました

そして電話をすると・・・

「今晩は満員です」と非常に冷たい返事

そこで頂上直下にある「駒峰ヒュッテはどんな具合ですか?」と聞くと・・・

「人も居ないし閉鎖してます」との事

それでは・・もう少し下の避難小屋はどうですかと聞くと良く解らんな~・・との事

ならば・・・もしかすると・・・今日中に縦走して下山までしなければ・・・凍え死ぬ

それからと言うのも・・・右手に御嶽山、左には南アルプスが端から端まで見える尾根道を超特急で追い越す追い越す

前に居た数十人を追い越して今日の先頭に立ったんです。

そして前から来た始めてすれ違う人に「どこで泊っていたんですか?」と聞くと「駒峰ヒュッテ」と言ったんです

山荘の人が「誰もおらず閉鎖している」と言ったのに

でも・・・山荘の人が嘘を言うはずが無いと思っているので・・・

もしかしたら土曜日だから開けていたのかも

と・・誰でもそう思うでしょ。

ところが・・・空木岳に登ってみると

駒峰ヒュッテのドアは開いていて寝袋が幾つも干してあったんです。

ヒュッテに着くと管理人さんがお茶を入れてくれました

そこで思ったんですが・・・・

木曾殿山荘は岐阜県です。

そして駒峰ヒュッテは地元長野県の山岳会がしているんです。

これは僕の想像ですが・・・・時は明治時代に戻ります

薩長連合が新政府を開いてまだ20余年。

当時の日本は外貨の獲得に必死でその中心となったのが生糸の輸出でした。

そして・・・日本国の外貨獲得の6割を生糸が占めていたんですが・・・

その生糸の生産のそれまた6割を長野県が生産していた訳です

今の愛知県のトヨタどころでは無かったんです。

そして・・・蚕の繭から生糸にする女工さんは近隣諸県の貧しい村々から「口減らし」として最初の頃は殆ど無給で来ていたようです。

これが・・・小説や映画の「野麦峠」となるわけですが・・・

木曾殿山荘の経営者の曾婆さんが野麦峠を越えた女工さんでその頃の辛かった事を代々話継がれてきていて・・・怨んでいる・・・としましょう。

そして駒峰ヒュッテを運営する「駒峰山岳会」の会長の祖先が・・・

当時何十もあったと言う生糸会社の中で特にあくどい経営をしていた子孫だったとしましょう

そこで・・・殺人が起きると・・・推理小説になるんですが・・・

単なる嫌がらせ?営業妨害?に留まっているから・・・余り面白くないんですが・・・

考えすぎかも知れません。

でも・・・嘘はいけませんよね~・・・3千m級の山小屋の主人かスタッフかは知らないけど・・・命に関わります。

確かに事前確認せず思いつきのように登る人間も悪いですが

予約をしていない客は泊めない主義のようですが・・・僕より後でヒュッテに着いた石川県の女性(単独行)は僕と同じコースを歩いてきた人でしたが・・・かなり疲れていたのに・・・予約をしてなかったので宿泊を断られて下山し始めてヒュッテが開いているのに気付いて泊りました。

なにしろその山荘から下までのコースタイムは7時間を超えるんですから

なにはともあれ無事「駒峰ヒュッテ」に草鞋を脱いだ僕らは今朝6時にヒュッテを出て・・・数センチにも延びた霜柱をバリバリと砕きながら空木岳に登り返し南駒ケ岳まで縦走

右手に御嶽山がどっしりと座っています

左には北は鋸岳から延々と続く南アルプスの名峰ははっきりと区別できる嬉しい視界を愉しみながら幾つもの峰を越えて山頂へ

引き返して・・・空木岳から菅の台まで標高差2000㍍を下山しました

無理をして早く歩いたので少々疲れていますが明日は休養と移動。

明後日にはどこかの山に登りたいと思っています

突然ながら野暮用が発生したため今月中に徳島へ帰る事になりました

今日の写真は駒峰ヒュッテから写した夕焼けの中の御嶽山です。

雲海から出ている頭がどっしりしているでしょ

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林道通行止め

2009年08月22日 18時48分35秒 | 日本三百名山に登る旅
気合を入れて空木岳登山口へ行く林道に入ったんですが・・・すぐにゲートがあって

落石の危険があるとかで通行止めになっていました

せっかく脚力が付いてきたからコースタイム9時間55分、標高差1500メートルを日帰りしてみようと張り切っていたのに

仕方がないので・・・駒ケ岳ロープウェイで千畳敷まで上がって駒ヶ岳に登った後縦走して空木岳手前の木曾殿山荘で泊り翌日空木岳を経由して菅の台に戻ってくるコースに変更しました。

話は変わって

三泊四日の蝶が岳から常念、大天井、槍ヶ岳と回った感想を・・・

平日でもありお盆を過ぎて花も少なくなっているにも関わらず山は大勢の人達で溢れていました。

今年はずっと天気が悪かったので「好天を待っていた」と言う人達が多かったです

僕らもその一員なんですが・・・皆さんこの天気に山に来れた事に顔を輝かしていて本当に嬉しそうでした

登っている人は矢張り老人が主ですが人気の山であり夏休みなので学生や家族連れも結構います。

僕が受けた感じですが・・・

60歳以上の老人は6割ほどでその中で夫婦連れが3割ほどいます。

男だけのグループは殆ど見かけませんが男単独や二人は時々います。

ところが・・・オンナだけのグループは結構いるし男と女の混合グループでも7対3位で女が多いのに驚きます

そして女単独も男単独より多いです

これは北アルプスに限らずどこの山でも同じような傾向にありますが「爺さんが山へ柴刈りに」行く時代は完全に終っています

今や「山は婆さんの舞台」なのです

そして・・霧が出たり雨でも降ろうものならそんな婆さん達が赤や黄色、ピンクのカラフルな合羽を着るので後から見るとつい追い越して顔を見たくなってしまうのです

そんな事を続けているから「脚が強くなった」訳ですが・・・追い越して振り返ると

無駄骨です

でも話しをすると声も若々しく何より元気で弾んでいて「女は強い」と感心し長生きする理由もわかります。

いつか書きますが・・・

堅実な男がガッカリするような考えで女は生きているようです

今日は道の駅を早く出発して塩尻の西友に付帯しているコインランドリーで洗濯

食料も買出しして駒ケ根に移動。

僕も美由紀も今回の旅に出て初めての散髪をして駒ケ根高原に上がってきました

いい天気です

そして夏は信州やな~・・・と涼しい自然の風が吹き込んでくるバスの中で北アルプス縦走の写真を整理したり本を読んだりしながら過ごしました

日本のスイス、長野県はほんまにええとこですね

今日の写真は蝶が岳から見た穂高連峰です。

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ホームページの登頂済み山リストに先日登った唐松岳がアップできると思いますので見てください

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次は空木岳だ!!

2009年08月22日 17時15分10秒 | 日本三百名山に登る旅
脚の調子が今まで経験したことがないほど快調なんです

その上に天気も良いので今は中央アルプス、駒ケ根の駒ケ岳ロープウェイ駐車場まで移動して来ました

これから林道の終点まで移動します。

そこで電波が入れば新たにブログ書きますがもしもダメならゴメンナサイ

それから脚を過信?して以前の僕らには難しい「空木岳日帰り」(普通の人は普通にしているけど)に挑戦しますが

もしも疲れたら山頂小屋で泊りますのでご心配なさらないでくださいね。

では今から移動します
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人間の脚

2009年08月21日 16時35分02秒 | 日本三百名山に登る旅
四日間のうち今日だけはガスに包まれ視界がありませんでしたが三日間は上天気で本当に愉しい雲上の旅が出来ました

初日、上高地に入って蝶ヶ岳山頂近くまでは樹林帯の中をひたすら登る行程でしたが・・・抜け出ると目の前に穂高連峰が「これ以上の角度は無い」姿を見せてくれました

二日目は尾根道を南の端の蝶ヶ岳から北に向ってアップダウンを繰り返しながら歩きます。左手には常に穂高連峰と槍ヶ岳が突き上げています

右手には八ヶ岳から遠くは富士山まで見えました

後を振り返れば焼岳、霞沢岳、少し離れて乗鞍岳から御嶽山まで

そしてすぐ前には百名山の常念岳とその向うに大天井岳。

でも常念岳への登りと下りは結構厳しかったです。

それからもひたすら北へ歩いて横通岳から東天井岳そして大天井岳へ

コースタイム八時間四十五分を歩いて大天井ヒュッテに到着

その頃より雲が湧いて来て

天気予報を見ると翌日は曇りでした

ところが・・・朝起きたら晴れ渡っていました

そんな嬉しい予報違いの中、常念岳と槍ヶ岳の間を南北に伸びる連峰上にある喜作新道を西岳に向って歩きます。

その喜作新道から見た槍ヶ岳の姿が今日の写真です

右についている小槍、そこから右に延びる北鎌尾根、左に延びるのはこのあと登る東鎌尾根

鋭く切れ込んで天上沢へ落ちる雪渓。

槍ヶ岳が「一番槍ヶ岳らしい」と僕が思っている場所からの写真です

そして西岳から一旦下って東鎌尾根を登っていくとドンドン大槍の穂先が迫ってきます

息を切らしながら大槍ヒュッテに出て見上げる槍は穂先で蟻ほどに見える登山者の姿がありました。

槍ヶ岳山荘に荷物を置いてカメラと水だけを小さなザックに入れて穂先へ

その昔、播隆上人が拓いたといわれる穂先への道は険しいながら今は幾つもの鉄梯子と鎖で誰もが登れるようになってはいますが一つ間違えば即死間違いなしの崖

慎重に登って周りを見ると

白馬から立山、薬師、黒部五郎、笠、三俣、鷲羽、赤牛、針ノ木、蓮華に鹿島槍などなど

充分に視界を愉しんで慎重に下り・・・

イッパイ呑みながら日が暮れるまで・・・自分達が自分達の脚で歩いてきた蝶が岳から常念、大天井、西岳から鎌尾根のルートを目で追って「よくもここまで来たな~」と脚を褒めてやりました

一般的な人間の足は哺乳類の中で早くもなければ持久力もありません。

そんな人間の中でも極めて軟弱な僕でも一日に七時間も八時間も歩けば「こんなに」と思えるほど歩けます

今回の縦走で「まだいける」と自信をつけることが出来ました

今日は山荘から上高地までガスに時々小雨が降る中を合羽を着て下山しました。

本当に愉しかった山旅でした

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「上高地」と言う言葉

2009年08月17日 18時55分39秒 | 日本三百名山に登る旅
山登りをする人にとって(僕だけかも知れないけど)「上高地」は特別の場所のように思います

北アルプスにも有名な登山口は他に幾つもあるんですが・・・上高地と聞くと何故か他よりウキウキするんです

僕が始めて上高地に入ったのは16歳の時ですから今から44年も前です

その時は七月で先輩と穂高に登ったんですが涸沢に雪渓が沢山残っていました。

涸沢ヒュッテと奥穂山荘で泊った時小屋の前に高い雪の壁があったことを今でも覚えています

梓川、大正池、河童橋・・・山に登らない人でも知っている上高地。

そんな上高地へ明日入ります

最後に行ったのは三年前。 

懐かしく楽しみな上高地に入って穂高を見上げ、徳沢から蝶が岳へ

蝶槍を越えて常念岳へ

横通岳、東天井岳を越えて大天井岳へ

喜作新道を赤岩岳を越えて西岳へ

水俣乗越へ大きく下がって大きく登って槍ヶ岳へ

そして槍沢を下り長い道程を上高地へと帰ってきます。

七面山の登山口で傷めた右足首を昨日五竜岳の下りで軽いながら再度傷めたので無理をせずゆっくり愉しみながら歩きたいと思っています

今年のメイン企画だった今回の縦走。

天気が悪くてどうなることかと心配してたんですが・・・遂にその日がやってきました

愉しんできます

写真は唐松岳へ向う八方尾根から写した白馬三山です

右から白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳です。

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さすが北アルプスです

2009年08月16日 16時21分02秒 | 日本三百名山に登る旅
天気予報の通り晴れ渡った北アルプスを愉しんで14時頃に下山しました

昨日の朝です。

五時に起きて六時に八方尾根の一番のゴンドラに乗ろうと切符売り場へ行くとすでに100人程が並んでいました

一番のゴンドラは七時で切符を売るのは45分からなのに

そして並んで待っている間に列はドンドン長くなって・・・

その上「手分け」(切符を買う人とゴンドラに乗る列は別で一人が切符に並び一人がゴンドラに並べば良かった)しなかったから・・・

乗れたのは200番目より遅れてしまいました

とにかく四国人には想像できない人出です。

八方尾根は唐松岳の登山口ばかりでなく八方池周辺まで花を見ながら歩く人も多いから・・・

ゴンドラを降りてリフトに二回乗ると第一ケルンに到着

そして登り始めるんですが

写真の通り延々と登山者の行列。

ラッシュで前になかなか進めまないほど

そして後を振り返ると一つの空きもなく次々リフトを降りる人が

それでも・・・二時間ほど登ると少しづつ隙間が出来てきましたが・・・

これでは今日の小屋は一畳に三人

と心配しながら・・・右手に白馬三山(白馬、杓子、鑓)を左に五竜岳を見ながら八方尾根を唐松山荘まで来ると目の前に唐松岳が聳えていました

その唐松岳の山頂で立山や剣岳を眺めながら昼食

唐松山荘から尾根伝いに五竜へ向い始めると・・・

急激に人が減ってきました

結構険しい崖山を鎖に掴まったりしながら登ったり降りたりを繰り返しながら五竜山荘に到着。

玄関に「混雑しており一畳か一畳半に二人寝ることになります」と書かれていましたが・・その程度なら・・と一先ず安心

そして決められた部屋「コマクサ」に寝床を確保して・・・外で景色を見ながら呑み始めました

この時間が小屋泊りの良い所です

寝付ける様にと思って少々余分に呑みました

晩飯は・・・期待していたのに・・・一片の牛肉も入って無かったけど牛肉フレーバーのカレーと味噌汁でした

五竜山荘では毎日そうなんだそうですが・・・

でもラッキーだったのは小屋が予想したほど人が来ずなんと一畳に一人のスペースで寝れました

朝五時に朝食。荷物を小屋に置いて水とカメラを持って五竜岳へ

さすが100名山ですね

大きくてそこに見えていてもなかなか辿りつきません。

厳しい岩場が結構あって「滑落事故多発」の看板を見ながら

頂上到着

目の前の鹿島槍ヶ岳、そこへ続くキレット

向いに立山、剣、鹿島槍の右肩に槍ヶ岳や穂高岳、赤牛、黒岳?

大満足の頂上で記念写真を写して遠見尾根をゆっくりゆっくり下りました。

振り返ると五竜や鹿島槍

降りるのがモッタイナイ景色でした。

小遠見山で弁当を食べゴンドラに乗ってアルプス平に降りたら・・・八方行きのバスが出たばかり

仕方なくタクシーを頼んでバスまで戻ってきました

バスの窓から見上げると白馬三山や小蓮華山が見えます

長野県人は日本で一番自分の県に誇りを持っているそうでそれが証拠に「長野県歌」を歌えない県人がいないそうです。

僕は徳島県人ですが誇りを持ったことも無いけれど徳島県歌がどんなものか聞いた事すらありません

「県歌」が歌える県民は長野県だけだそうですが・・・

僕も長野県に生まれていたら・・・海は無いけれど・・毎日こんな山を見てたらきっと誇りを持つだろうと思いました

写真は八方尾根を登る登山者の行列です。

凄いでしょ

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唐松岳、五竜岳へ

2009年08月14日 16時50分07秒 | 日本三百名山に登る旅
早朝から登った飯縄山は頂上付近は雲の上で北アルプスが端から端まで見えました

御岳や富士山、中央アルプス、南アルプスから浅間山などなど360度の展望は本当に嬉しかったです


9時過ぎより雲海だった雲が上がり始めて次第にガスの中になりましたが

天気がしばらく安定しそうな気配なので隣りの黒姫山は次回にして北アルプスへ登ろうと戸隠高原からクネクネ道を下山

しかしビックリするほどの人出で・・・あんなところに渋滞があるとは思いませんでした。

飯縄山でもでしたが老人が少なく圧倒的に「家族連れ」で特に戸隠忍者村では家族連れが入れないほど来ていて駐車場で間に合わずはるか離れた林道の脇まで車でした

さすが夏休み、さすが本州と四国人は驚きました。

そしてやってきたのは八方尾根スキー場です

先ほどゴンドラ乗り場まで様子を見に行っていたんですが・・・ここも凄い人出でした。

みやげ物屋さんやレストランがイッパイあって賑やかです。

明日明後日は土日になるから山小屋も混雑するだろうけど・・・天気が安定しているうちに北アルプスに登ってきます

美由紀の歯がまだ少し不安があるのでとりあえず唐松岳と五竜岳へ(五竜山荘泊)一泊二日です

視界がいい事を願って

写真は後立山連峰で中央に双耳峰の鹿島槍ヶ岳、それから左に爺ヶ岳、先日登った針ノ木岳、蓮華岳、右に今回行く五竜岳が聳えています

端から端までカメラに入らず残念ですが・・・

では明日から行ってきま~す


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戸隠森林植物園

2009年08月13日 16時34分19秒 | 日本三百名山に登る旅
斑尾高原スキー場を出て野尻湖の湖畔を抜ける「トウモロコシ街道」とも呼ばれる道を道の駅「しなの」へ

産直でトウモロコシ、桃、キューリ、キャベツなどを買って戸隠高原へ戻ってきました

戸隠高原は標高1200メートルにあってトイレがある駐車場は4箇所。

前回は中社近くに泊っていたんですが・・・今回はキャンプ場前で昼過ぎまでいて今は森林植物園に来ています

ここにも広ーいトレッキングコースが何本も整備されていて涼しい森の中を小鳥のさえずりを聞きながら高山植物を見て歩く人が大勢居ます。

入り口近くには森林学習館があって戸隠の映画の他森に住む動植物の事を詳しく説明してくれています

そんな学習館を見たり周辺の散策をして過ごしていました。

先ほどから雨が降り始めました。

明け方には止む予報なので明日は北信五岳の一つ飯縄山に登ります

キャンプ場を覗いて来たんですが・・・道路を挟んで両側にあるキャンプ地は子供連れや若者、老人などそれはそれは・・・驚くほどの人出で子供達は網を持って川遊びに夢中になっていました

元気な子供を沢山みると嬉しくなりますね

この子供達に「安心して暮らせる社会」を残さなければ・・・と責任を感じます

政治のことは余り書きたくないけど・・・

どの政党も「餌」をぶら下げて票を集め自分の議席を守ることしか考えてないようで情けないですね。

信念もなければ将来の日本や世界のどうすれば良いかというきちんとした考え「骨?」も無い

まあ選挙の度に政権が変われば・・・それより良くしようと思って少しづつは良くなるのかな~・・と微かな期待はしているんですが・・・

大人も子供もが安心して昼間街中や山中を歩ける事の有難さ、夏の暑い夜に家の窓を開ける事が出来る有難さ

何度も書いていますが我々が子孫に残さなければならないものはお金や財産でなく、安心して暮らせる社会であり、残していけないのは借金だと思うんです。

その為には子育てが終った老人が欲を減らして・・・どうしても食べる為に、結婚し子供を育てる為に働かなければならない人達が働け充分な収入が得られるように「席を譲る」しかないんですよ。

ここ数年食べていけない人達が無差別殺人的な犯罪を犯しています。

これは初歩段階だから無差別ですが・・今に目的と方向を持ち始めます。


少しばかりのお金より安心して暮らせる歓びが遥かに上ですから子育てが終った人は欲張らずに席を譲ってお金を社会に循環させるよう愉しく遊びましょう

但し計画的にですよ

理想は生まれてきたときと同様に死ぬ時もゼロだと思うんですが・・・何時死ぬか解らないから難しいですね









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