outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

伯方島、伯方港入港

2010年10月31日 17時50分53秒 | 退職生活
雄鶏のように早起きの奥原氏に四時過ぎに起こされました

宴会の疲れか、先日の長浜港の疲れが尾を引いていたのか

本調子でない体調ながら、徳島に帰るのに半月以上も掛かっていたのでは、後の計画に支障をきたしますから・・・頑張って出港

港を出たのが五時で周りは真っ暗でした

曇り空でなければもう少し明るいんですが・・・その暗い海面に網などの浮きがあると、プロペラに撒き付くので油断できません。

目を凝らして明るくなる6時まで懸命の見張り

日本の海は網が多いから・・・でも障害物に出会う事無く夜明けとなりました

最初全く向かい風、向い潮だったんですが・・・途中ではセールも出せてスピードアップ

昼前から潮の流れも変わって・・・連れ潮

来島海峡を通らず、大三島と大島、伯方島の間の狭い水路に掛かる「しまなみ海道」の橋を潜り、伯方港に到着

疲れが出て、一刻も早くヨットを繋ぎたいと・・港内を探し・・・警察の桟橋に緊急繋留しました

早く横になりたいのに・・・いろいろあって・・・でも先ほどまで一眠りしたので、ブログが書ける程度に復活?しています。

奥原氏が作ってくれた餅入りラーメンも食べたし、今晩眠れば完全復活するでしょう

しかし、人として最も尊重しなければならない「人命」を、一般人ならともかく、国民の命を守らなければならない職業の人間が、理由も体調も聞かずに排除しようとした事は決して許される事ではないと思います(最終的には許可されたが)

先日台風で避難した伊予郡中港の自衛隊桟橋での対応が適切であり、事故を防ぐ当然の対処です

まして海の上は陸上の様に何処にでも停めることが出来ない場所で、世界中のどの国でもどんな国の人でも、何の手続きをしなくても、最善の場所に受け入れなければならない状態での入港です。

海の事は知らなくても「人命」は何事より優先されるべき問題です。全ての基本です

この人命軽視は愛媛県人のみならず、日本国民に極めて不利益です。

これを放置するれば、社会の秩序さえも狂わせてしまいます。

そんな事で明日は上層部へ抗議したいと思っています

実は他にも理由があるんですが・・・明日は伯方島で過ごす事になります。

徳島に着くのはいつなんでしょう

今日の写真は辻井さんが案内してくれた「伊予八景」の一つ、山の上の巨大展望台から見下ろした伊予市街です。(溜池が多いのに驚いた)

松山市街まで見渡せます

もう少し天気が良ければ・・・瀬戸内海の島々から山口、広島方面まで見えたんでしょうが・・・

写真をクリックすると大きく見えます

とにかく、早寝して体調を取り戻さなければ
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伊予郡中港最後の日

2010年10月30日 20時55分05秒 | 退職生活
愛媛県に伊予市があることは、同じ四国島人だから知っていました

でも「郡中港」なんて・・・今回台風が来なければ生涯知ることも無かった場所に違いありません

そんな郡中港に今晩で四泊目となるんですから・・・人生は不思議であり、面白いものです

さて・・・三度目の朝(今朝ですが)ここ数日「雄鶏」のような早起きの奥原氏と寝起きを共にしているんですが・・・今朝はその雄鶏を超える時間から起き出した人が二人いました

年寄りは朝が早いと言うけれど、一番年寄りの僕が普段なら爆睡している時間なんですが・・・

丁度オシッコがしたくて、起き出したら・・すでに中野氏は居ませんでした

そして辻井氏は寝袋を畳んで、家に帰ろうとしていました

そこに奥原氏も起きてきて・・・まだ5時なのに・・・全員が起きているホロホロは「空襲警報」でも出たんかい

「春眠暁を覚えず」と言うけれど、今の時期だってよく眠れる季節なのに・・・

でも僕はオシッコを済ますと・・・再熟睡

血圧が低いんですから

昨夜最接近して通過した台風14号は郡中港に殆ど風も吹かせず、去ってくれました

皆さんの所はどうだったでしょう? 多分被害は無かったと・・・思っているんですが・・・

話は戻って、無事に台風が通過してくれたので、明日は出港しようと奥原氏と準備を始めました

ヨットでの生活(キャンピングカーも同じ)で最も大切で重要な三大問題は「水、電気、ゴミ(最近はプロパンガスも加わった)」です。

これは「いつでも、どこでも、誰とでも」の吉野家三拍子男とは全く異なる問題です

出港となると、先ず水の補給となり、幸いすぐ前の漁業組合倉庫前の水道を使わせてくれるの事になっていたので・・・運んで入れました

そこへ・・・早朝帰った辻井氏がモンキー(ホンダの小さなバイク)に乗って

「水が要るなら運びましょう」と

では・・水でなく買い物が多いのでお願いできますか?と頼んで(最終的にゴミの処分もしてくれた

一緒に「おかずや?」「ごはんや?」のどちらか忘れたけど・・・全国チェーンの飯屋で昼食

人口4万弱の伊予市に不釣合い?な巨大ショッピングセンターで買い物

どのレジを選ぶかで奥原氏と4度も行ったり来たりして、奥原氏曰く「化粧が濃い」オンナを僕は選び清算

確かに化粧は濃いけど・・それは下手だから目立つだけで・・・素材は一番

二言10言、もしかすると20言ほど話したけど23歳独身で気のいい彼女は・・・名前は書けないけど・・・ゴミ袋に必要なレジ袋を余分に沢山くれて・・ちょっとだけ手も触ってくれて・・ニッコリしながら手も振ってくれました

ホロホロに戻ったら・・・

これまた早朝に帰った中野さんが仕事を抜け出して来てくれました

これで・・・昨夜の宴会メンバー勢ぞろい

一緒にお茶を飲んでお喋り

実は中野さんも・・・途中で水の補給をしてくれる人がいると知らせに来てくれたんです(仕事が嫌だったのかもしれんけど

いずれにしても・・・台風、強風、向かい風で泣いたり、苦労しながらも皆さんに元気付けられて、愉しい航海をしています。

明日は大三島か伯方島まで進もうと奥原氏は張り切っています

そんなんで5時の出港。

早寝します

今日の写真は郡中港が萬安港と呼ばれた江戸時代に遡る歴史ある灯台で、今は移築され五色が浜公園にあります。(近くに辻井氏のヨット「バレンタイン」もある)

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只今62歳

2010年10月29日 22時16分21秒 | 退職生活
最近話していて良く感じることは、62歳と言うことです

41歳で仕事を辞めて21年。

ヨットで世界を周り、キャンピングカーでスキーと山登りをしていたら、余りの愉しさに瞬く間に過ぎてしまいました

この過ぎてきた21年を、これから先で考えると・・・83歳になります

幾ら欲目に考えても・・・83歳は83歳だから・・・

最近は15年先を見ることにしています

15年先は77歳なんですが・・・

ここまでなら、半年程度の旅行なら海外にも行けるだろうし、ヨットも30フィートサイズなら一人で乗れるだろうし、北アルプスや南アルプスを歩く事も出来ると考えています

その15年に僕がしたいことは車で世界を周る事とバックパック旅行で世界を周る事に14年(毎年約半年を旅行し、半年を自宅周辺で今の様に過ごす)

最後の一年は人生の「振り返り旅行」として客船で世界を周りたいと思っています

今年も山旅から戻って早ニケ月が過ぎました

来年三月末から出発する、スキーと山登りの旅は次の計画実行の為「最後の年」になります。

今回、ヨットで別府に来て、ヨットでの生活をしていると、またヨットで世界を周りたい・・・と・・思ってしまうんですが・・・

時間がありません

車で世界を周るのに七年、バックパックで世界を周るの七年掛ける予定だからです。

これも、やってみたらどれ程愉しいか・・・

未知の世界を訪ねる愉しさはワクワク、ドキドキの連続です

ヨットで世界を周り始めて一年が過ぎた頃、美由紀が言った言葉は・・・

動けば一年でこれ程の経験が出来る。この一年の事を話すのに五年は掛かると・・・

これはそれまで20年近く(会社を始める前はハワイに一年居た)殆ど徳島から出ることも無かった美由紀だから特に強く感じたとも言えるんですが・・・

何もしなければ、一年は何事も無く終わり、一生も何事も無く終ります

長い旅をしてみれば解りますが、その年、その年にはっきりした「モノ」が確実に残り、一年でこれ程色々な事が感じられ、経験できる事に驚くはずです。そしてそれは積み上げられます

多くの退職者の人達を見ると、せっかく自由になりながら(社会や後輩達の事を考えて、席を譲りながら)その自由を無駄に使い、人生を無駄にしているように思えてなりません。

これについて最近思うんですが・・・「自分が無い」人が多いんです。

「自分が無い」とは「計画が無い」事であり、「夢が無い」事でもあり、そんな人は社会に対して「責任感」もなく「生きている価値もない」状態に思えます

それなら一日も早く死んでくれれば日本の緊迫した財政の助けになるんですが(60歳を過ぎて年金を受け取りながら後輩達、特にこれから結婚し子供を育てなければならない人達の邪魔をする輩よりは遥かに価値はあるが)・・・

死なないようにと、毎日しっかり歩いて一日でも長く年金を受け取り、何もせず(畑などをして)貯金しています

世界広しと言えど年金を貯金する人が居るのは日本だけでしょう。

60歳を過ぎて生命保険を掛けて「死んでも稼ごう」とするのも日本人だけでしょう

僕が知っている限り、その様な国はありません。

話しが外れてしまいましたが・・・社会の為に計画を持ってしっかり遊んで社会に奉仕して欲しいと願っています。

思い切って一歩飛び出してみれば、自由の価値、年金の価値も解ると思います

邪魔をしないだけでもマシではありますが、若い人達に生きる勇気や、夢を与えて上げる事が今の日本の社会が必要としている60歳を過ぎた人の存在ではないでしょうか。

人が育たない社会はやがて終焉を迎えます。

若者達を育て、自分もまた新しい自由な世界で役目を果たすべく、色々な計画に挑戦して欲しいと思います

人生は短いです。 体が二つに分けられたらどれ程愉しく色々なことができるかと・・いつも考えるほどしたいことがあります。

でも・・一つしかないから、選択し配分するから濃密になって面白いのかもしれません

しかし、いつも思う事ですが・・・丁度良い人と言うのは・・・少ない

遊びたい(計画を持っている)人は周りが経済的に心配するほど遊ぶし


話は変わって
今日はヨットを少し移動(より安全な元の位置へ)

間もなく、辻井さんが来てくれてお喋り後、一緒に外食に

ヨットに戻ってきたら・・中野さんが陣中見舞い?に寄ってくれて、最近氏のブログで「はまっている」と言う台湾で覚えた餃子を作るので「鍋をしよう」と決まり

手分けして買い物など準備

四人で先ほどまで宴会してました

今日の写真は、ウネリが入って、ヨットが揺れ泣いていた長浜港に係船しているホロホロです。

この時は・・波も無く別府より良いと喜んでいたんですが・・・

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伊予郡中港の休日

2010年10月28日 21時43分28秒 | 退職生活
現在の日本の場合、陸上生活者なら安心して眠れる夜は普通かもしれません

しかし、ヨットの旅となると安心して眠れる夜は非常に嬉しい夜なんです

北浜マリーナと長浜港で厳しい夜を過ごした僕らは、久しぶりに疲れがとれる夜を得て、朝には体力、気力も回復していました

朝食の後は自由行動として、奥原氏は市内の探索と買い物に出かけました

僕も出掛け、市場を見学。

そこでハマグリを発見して「焼ハマグリで一杯やろう」と購入

一旦ホロホロに戻って冷蔵庫にハマグリを入れて再出発

地元徳島県に私鉄も市電も無いけれど・・・四国4県のうち他の三県にはあります

その愛媛県の「伊予鉄道」郡中駅に行って、駅員のオバサンと世間話。

「知らない町を何の予備知識も無く歩く」と言うのは、死後の世界に迷い込んだようなものではないのだろうか?と時々思ったりするんですが・・・

それなりに少しの感動があったり、首をかしげる疑問があったりするものです。

まあ日本ですから、国中のどこに行っても年寄りは「てっぱん」を見ているし、水戸黄門か相棒も見ている場合が多いから、大した変化も無いんですが・・・

それなりに・・・屋根の端の鬼瓦の顔が違っていたり、何処と無く野良猫の顔が違ったりと、些細ながら違いを発見することができます

違ったからどうか成る訳では無いんですが・・・ちょっと嬉しかったりもするから、人は不思議です。

さてそんな探索を二時間ほどしてヨットに戻る途中、船を上架している人に、「伊予に来て見ておくべき所は何処?」と聞いたところ・・・

「ホロホロの溝田さんですか?」と問われて

インターネットで見てくれていたそうで、その辻井さんが後ほど少し案内しましょうと言ってくれました

辻井さんはY21-C(ヤマハ21フィート、クルージングタイプ)のオーナーでした。

伊予八景である山の上に連れて行ってもらって、伊予市街から松山市外を一望

その後、県営ハーバーに繋いでいるヨットを見せてもらい、古い灯台や伊予の写真コンテストの写真を見て回りました。

僕は44フィートのヨットに乗っているけれど、小さなヨットにも憧れを持っています

21フィートのヨットは小さいけれど、4人が寝ることが出来、料理も作れるようになっていて、テーブルを広げれば6人が宴会も出来ます

小さいからこそ大きな夢が見れるような気がするから・・好きです。

しばらくキャビンに座って、ちょっぴり夢を見て、ホロホロに戻って焼きハマグリで僕と奥原氏はお酒を辻井氏は運転があるからジュース。

そして・・・海外クルージングの話を・・今までしていました

していたと言っても・・・何時も通り僕が殆ど喋ってるんですが・・・

相変わらずここは良い泊地と喜んでいます

台風は日本列島に上陸せずに行きすぎようとしているみたいだし・・・

寒いけれど平穏な愛媛県伊予市の一日は終りました。

今日の写真は自衛艦の横に繋いでいるホロホロ三世です

自衛隊が旭日旗を掲げたので、ホロホロも負けじと日章旗をあげました

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舫い綱が切れた!

2010年10月27日 18時46分44秒 | 退職生活
昨夜ブログを書いた後も風は全く弱まらず、東北東へと方向を変えて吹き付ける強風は長浜港内にウネリを作ってホロホロの船腹に体当たり

長浜港は北や東寄りの強い風が吹くと、横付けできる場所はありません(他の風や穏やかな日ならOK)

今回ホロホロは北西から北北東の風なら防げる岸壁に、艫(船尾側)からアンカーを入れて「槍着け」していました

そして舳先から二本のロープで岸壁に繋いでいたんですが・・・

東北東の風になると・・この港は東が開いているのでウネリが入るんです

艫から入れているアンカーロープはギリギリ音を立てて細く絞られる状態。

岸壁に繋いでいるロープも東側のはピンピンに張っていました

この辺は徳島や太平洋岸からは考えられない程の干満差があります(大潮で5メートル、今で3メートル位)から前のロープは潮が引くと急角度になります

だから・・ロープに負担が掛かっているとは思っていたんですが・・・

夜中に何度も確認もしてたんですが・・・

早朝起き出してみると

船の角度が変わっていました

東側のロープが切れたのに・・・風下の一本のロープだけで、どうにか保っていました

しかしこれが切れると・・・隣のボロボロの廃船に当りますから・・慌てて奥原氏を起こして、丁度散歩していたオジサンにも手伝って貰って、太いロープを張りました

書けば簡単ですが・・・10メートル以上の風が吹き、波に揉まれながらの作業だから・・・結構大変だったんですよ。

一息ついて、僕が朝食を準備しかけたら・・・奥原氏は「朝食要らん」

では・・・とバナナだけでもと・・食べて・・・

この港で台風は過ごせないと判断

強風波浪注意報で貨物船も避難している中を出港

先日マカナ品川氏より送ってもらった「簡易港湾案内」と、貨物船の人に聞いた情報を総合して、「伊予郡中港」を目指しました

風は正面からだけど、丁度連れ潮で予想外に進め、17マイル走って昼過ぎに群中港に到着

一番安全と思える奥に入って行くと・・・自衛隊の桟橋があって、片側が空いていたのでそこに繋がせてもらいました

郡中港はほぼ全方向からの波が防げています

そして自衛隊の桟橋は、台風でも全く心配なさそうで、今も今朝までが嘘の様に静かで揺れが全くありません

電話情報によると、北浜マリーナは北東風でウネリが入り、何隻かの舫い綱が切れたそうです

でも奥原氏の海翔は無事とのこと

でもこの台風14号はまだ発達しそうな上に、室戸岬に上陸しそうなので心配です

今ホロホロの二人は温泉から戻り夕食も済ませてゆっくり寛いでいます。

ここは安全で桟橋だから乗り降りもしやすいので、台風が通過するまで(多分31日)ここでゆっくりします

ほんとに良い場所が確保できて良かったです

今日の写真は、ホロホロを上架した「マリンピア武蔵」の入り口にある像です。

イルカに乗った裸女の股間は・・・しっかり見たけど書きません

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強風波浪注意報発令中

2010年10月26日 20時10分06秒 | 退職生活
日本の海が「船遊び」に適していない事は何度も書いていますが・・

台風になりそうな熱低があったので、瀬戸内海を帰る事に決めたんですが、いきなり冬になってしまうとは想像していませんでした

今日、町営温泉「なぎさの湯?」に行って、現地人に聞いたんですが・・・この辺の気候は殆ど秋が無く、夏からイキナリ冬になるんだそうです

そして北東から北西に掛けて「北寄りの強風」が長~く続くそうです

まあ今年の場合、全国的にいきなり冬になったとは思うんですが・・・

北東から、海を荒らして非常に強い風が堤防を越えて吹き付けています

ヨットのマストはヒューヒュー、ゴーゴーと風を切り、風に吹き上げられたフェンダー(ヨットの船体を守るための空気が入ったゴムの袋のようなもの)がゴトゴトと船体に当って騒々しいです。

堤防を周り込んだ波が港内でウネリとなってホロホロを揺らしています。

北浜マリーナの揺れた日のように船酔いを起こしそう

季節外れのコースをとっている台風が北上しているのと、強力なシベリア高気圧が下がって来ているから、この北東風はしばらく止みそうもありませんね

徳島に帰れる日がいつになるのか??

こんな揺れと風をクルージング中に経験したら・・・多くの人達は二度と海に出たくなくなるような気がします

だからでしょうか??殆どの日本のヨットは繋いだまま放置されている

14年間世界を周って、ずっと海の上で暮らしていて、千ヶ所以上の自然の入り江や島影で停泊、眠っていて、タダの一度もこんな風も揺れも経験したことが無いんですから・・・

それが・・・港の中で起こるんだから・・・僕が常に言っている事も解って貰えると思います。

そう言えば・・沖縄クルージングに二度行ったんですが・・・

前のヨットで行った時は、帰路で台湾坊主に追いつかれ、二晩暴風雨の中で糞小便を垂れ流した辛い思い出があります

今のヨットが新艇の時、シェイクダウン(慣らし)に沖縄に行った時は、石垣島で台風に会い、太いロープを余分に400m買い、ヨットを繋いだけど・・・よそ者だから安全な場所には入れず、半ば新品のヨットは諦めて、地元の人達がヨットに居ては危険との事でホテルに逃げて三日ほど泊りました。何とか無事だったけど・・・

帰路、奄美大島でも台風に遭い、地元ヨットマン達に助けて貰ってヨットを漁港内に入れ、ヨットマン(東氏)の家に泊めて貰った事もあります(漁港内へよそ者を入れたと後で苦情があった)

二度も台風に遭って・・もう来ないだろうと思ってたんですが・・・高知で台風に追いつかれ・・・須崎に入って・・・作業船(台船)に繋がして貰ってやり過ごした事があります

この時はヨットで過ごしたんですが・・・非常に運良く?風は当ったけど波は殆ど立たず、船酔いも無く、身の危険もそう感じなく終りましたが・・・

日本をヨットでクルージングするのは・・・「罰ゲーム」もしくは「懺悔の旅」なのです

でも・・そんな中にも愉しい事は時々あります

しかし今は辛いな~









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愛媛県長浜港まで来ました

2010年10月25日 18時13分11秒 | 退職生活
雄鶏のように早起きの奥原氏が僕を起こしたのは三時

「目が覚めたから」だそうですが・・・その時大雨が降っていました。

昨日寝る前に五時に出発しようと言っていたのに

それで僕も四時半に目覚まし掛けて寝てたのに

でも低血圧の僕は朝は苦手だから・・・「四時半まで寝させて」と寝ました

出発の五時には雨も殆ど降ってなくて

波も穏やか

でもまだ暗い海を、ホロホロは夜光虫を切り分けて一路四国へと向います

間もなく風が出てきたんですが・・・今日は北西の風

ホロホロの得意な横風を受けて7~8ノットで気持ちよく帆走

トローリングの獲物は一匹目がカンパチ

二匹目はシイラ

予定の三机港の前に着いたのは昼前だったから・・・欲張って

もう一つ進んで長浜港に入りました

艫(船尾側)からアンカーを入れて、岸壁に前をとっています。

瀬戸内海は干満差が大きいので、岸壁から上陸するのが難しいんですが・・

丁度階段がある前に付ける事が出来たので上陸も簡単にできます

早速揃って上陸。

長浜の町は佐多岬の入り口みたいなところですが・・・

商店街もあるし、歯医者さんも外科内科さんも、葬儀屋さんもクリーニング屋さんも、活き魚屋さんも、カラオケ屋さんも、ラーメン屋さんも、他にも色々ある町です

一時間ほど歩いて・・・目当ての若い女性は見ませんでした

ホロホロに戻ってパソコンで天気予報を見て

台風になるだろうとは思っていたけど・・・日本に向っている

29日頃ホロホロに最接近?

大陸から大きな高気圧が降りて来てるから・・・上陸しなければいいんだけど

ヨットで移動中に、知らない土地で台風に遭遇するのは、怖いもんです

風がどのように吹くのか、周るのか?

そんなんで慌てて再上陸して、二人から台風時の港の様子を聞いてきました

この長浜港はしっかり囲まれているので、殆ど大丈夫なんだそうです

でも今ホロホロを停めている場所は駄目だそうです

長浜港の他の場所に移って台風の通過を待つか、他の港に移動しようかと思案してます。

明日はどうにか動けば動けそうですが・・明後日からは北風が強くて動けそうにありません

そして台風

日本を周るのにヨットを使う人がいますが・・・日本国内はキャンピングカーですね。

やはりヨットは天気がしっかり安定している外国へ行く乗り物です。

そんな事を思いながら・・・台風の進路を考えています

今日の写真は・・別府「竹瓦温泉」前でのものです。

10月1日、到着した日の初温泉

左から森田、奥原、溝田、近藤、撮影は芹田氏でした。

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出港準備完了

2010年10月24日 21時30分41秒 | 退職生活
朝食を済ませた後、近藤氏は帰路につきました

船酔い克服を目指してのリベンジだったんですが・・・先日出港した日は大船酔い

おまけにマリーナの中でも船酔い

夢タウンではだったけど・・・

頑張りながらも船酔いに関してはリベンジを果たせませんでした

でも・・陰でも努力する人だから、そう遠くない日には克服すると思います

話は変わりますが・・・

先日出港して間もなく逃げ戻ったので、二度目になるんですが・・・先ほど出港準備が整いました

前回と違って、今回は二人でディセーリングなので順調に進んでも8日掛けるつもりです

別府から徳島阿南市まで8日も掛かる乗り物はヨット位、のろいですね

急げばもう少し早く行けるんですが・・・朝早く出て、昼過ぎには次の泊地に入ってゆっくりすると言う世界標準移動だからそうなります。

と・・言っても現実に阿南市橘港到着までに、荒天もあり、掛かる日数は10日を超えるでしょう

ヨットとはそんな乗り物です。

だからタップリの食料を買い込んで来ました

それでも途中で補給が必要になると思いますが冷蔵庫はかなり一杯です。

食べ物が多いと「豊かな気持ちになれる」性格だから

それはさておき・・今日は朝から大須賀さんに頼んでヨットを見せて貰いに行ってました

車で一時間ほどの所にある売りヨットなんですが・・・

僕が買い替えを考えている30フィートです。

このヨットが僕の思うように改造できるかどうかを先ず知りたかったのと、程度と値段が合えば、買っても良いと思ってたんですが・・・

残念ながら程度と値段で「飛びつく様なヨット」ではありませんでした

ただ思っている様に改造するのは非常に簡単であり、今後の僕が近くの海を短期間(1~2ヶ月)クルージングするには、天気を見てしか移動しないし、充分だろうと思います

「ホロホロは売らないで!!」と言う声も多いんですが・・・

考えています

慌てなければ「飛びつく様なヨット」は見つかるでしょうから

明日は五時に出港、目的地は佐多岬の三机港です

今日の写真は先日「マリンピア武蔵」に上架しているホロホロと、少し見難いですが、下に居るのは大活躍してくれた木原氏です

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船酔いマリーナ

2010年10月23日 22時56分21秒 | 退職生活
船が揺れると、健康な人なら強い弱いはありますが誰でも船酔いします

これは本職の船乗りでも同様だから、我々のような趣味船乗りが船酔いするのは当然なんです。

しかし普通は港に入れば、波やウネリが無くなり、正常に戻るんですが・・・

ここ北浜マリーナは何を考えて設計したのか、北東の風が吹くとウネリが進入してきて、グラグラと揺れ続けます

ホロホロは大きさがあり、重さもあるので他のヨットから比べると揺れは少ないんですが・・・

一昨日逃げ戻ってから続く揺れで、船酔いが戻らず、二人は食べ物も「あっさり」と食べたい状態

僕は血圧が低いことも手伝って「眠たい状態」なんです

こんな港(マリーナ)を経験したのは初めてですが・・朝食を済ませて運動不足解消の為に3人で散歩

一時間余り歩いて少し買い物をして、帰り道初めて行く温泉へ

無人で一人100円を箱に投入。

いい湯でした

昼になったんですが・・・揺れるヨットに戻る勇気が無い人もいて・・・

軽く一杯呑んで、うどん昼食。

そしてヨットに戻って昼寝をしたら・・・日暮れまで全員爆睡でした

夜はステーキの予定だったんだけど・・・二人が「肉は食べたくない」状態。

もしかしたら・・・夢タウンの可愛いねえちゃん(アジア、太平洋大学の学生)といつもの様に話がしたかったのか??

野菜中心の水炊き材料を買って来て・・・船酔いに負けないようにビールに酔って・・・再度温泉(竹瓦)に行って、二人はもう寝ました

日曜日に出港する予定を、月曜日にしたんですが・・・先ほど予報を見ると

月曜ももしかすると良くないかも??

でも一応、別府から阿南橘港までの寄港地を選びました

朝6時に出港して、昼過ぎには次の港に入っているような楽な航海です。

昼食を港に入ってから食べ、周辺を散策

夜は早く寝て、また翌日は早く出ます。

本当のクルージングは着いた所で最低もう一日か二日滞在。 気に入れば10日か一ヶ月滞在しながら進むのが世界の常識なんですが・・・

阿南まで半年ほども掛かりますと、スキーに行く時間が無くなるし、日本の冬は寒いから・・・素早く8日で帰る計画となりました

ただ天気が崩れそうなので、少し長引くと思います。

以下が今回の寄港予定順序です。

別府~佐多岬三机~伊予郡中港~来島海峡波方~伯方島~本島~小豆島坂手港~徳島ケンチョピア~阿南橘港

このところ天気が不安定なので寄港地は変わると思いますが、今のところはこの様に予定しています

それにしても・・・良く揺れます

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ホロホロ買い替え

2010年10月22日 23時09分17秒 | 退職生活
62年の人生の中で20年近くを共に過ごしたヨット「ホロホロ三世」は沖縄航海、世界一周半と僕と美由紀に沢山の思い出をくれました

ホロホロは思い出が一杯詰まったヨット以上のモノで、日本に戻ってからも山旅に出かけている間も常に近藤氏にエンジンを掛けて貰ったりの管理をしてもらい、山旅から帰って徳島に居る間は、阿南橘港に移し、毎週何度もホロホロに来て時間を過ごしたり、整備をしたり

時々ながら数日または数十日のクルージングにも友達と出かけています

エンジンも快調で、何処に行くにも、安心して身を任せてきたホロホロなんですが・・

放浪癖がある僕は、徳島に居る期間に時々一ヶ月か二ヶ月程度の短い期間だけでも、クルージングに出かけたいと思う事が度々あります

大きなヨットは航海している時は安定しているし、居住性も良く、快適に過ごせます

ところが・・・このホロホロは大きくて、一人でクルージングするには係船などが困難なんです

友達を誘っても、何故かこの国の人達は退職していても10日や20日毎に用事があります

そんなことで・・・僅か一ヶ月や二ヶ月でも一緒に航海できる人を見つけるのは、なかなか難しいです

それで考えたのが・・・

一人でも楽にクルージングに出ることが出来る30フィートクラスの小さなヨットに買い換える事です

30フィートクラスのヨットでも大幅改造すれば、僕が必要と思う設備を備える事は可能です。

温水シャワー、12V冷蔵庫、広さが充分なギャレー(台所)合計で240ワット以上のソーラーパネルと130アンペアのバッテリー4個は絶対必要です

燃料はポリ缶で持つにしても清水タンクも増設が必要です。

当然ながらオートパイロット、ドジャー(飛沫避け)日除けも必要です。

ジブセールはファーリング、メインはスラスターで簡単に一人で帆の上げ下げが出来なければなりません。

GPS、測深器も必要です。

ホロホロには全部それ以上のものがついているんですが・・・

一人で気軽に出かけられないから・・・本気で考えています











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近藤氏倒れる

2010年10月21日 20時18分29秒 | 退職生活
昨日少し書いていましたが、今回の別府~徳島航海でマハリン近藤氏はオーバーナイト航海での船酔い克服を目標に参加していました

氏は極めて吉野家的三拍子人間ですが、自分の弱点、苦手な事に立ち向かい、そして克服しようと挑戦努力する奇特な一面も持ち合わせています

奥原氏は瀬戸内海初航海(数時間しか走った事がない)。

そんな二人と僕の三人は、昨夜宴会に参加してくれたパギパギ木原氏の見送りを受けて8時に北浜マリーナを出港

風波予測では北東の風で北東の波

ホロホロが進みたい方向も北東だから・・・昨日の夜はもしかしたら出港を中止しようと話しながら眠りに就いていました。

ところが・・・朝起きてみると殆ど風がありません

そこで朝食を四人で摂って・・・出港したんです。

ここ別府湾は非常に奥深い湾で東に向って開いているんですが・・・

出るに従って・・・正面からの波が高くなってきました

風も少しづつ強くなってきて・・・ヨットの舳先が時々波に突っ込むようになり・・・乗り上げた波を超えると・・・大きくバタンと音を立てて落下

真正面からの風と波で艇速はドンドン落ち・・・二日続けて寝不足の中、船酔い克服を目指した近藤氏に船酔い発現

普段簡単に伸びる鼻の下、パンツの中は縮んでしまい・・・

少し横になると言って・・・寝る前にヨットの前部にあるトイレに行ったのが悪かったのか??

デッキに戻って・・・今朝食べたものを・・・海面へ

本格的船酔い。

奥原氏も・・・船内に行くのは難しいと言うので、僕が炊き込みご飯を炊きました。

でも僕も少し船酔い

こんなに進まなければ燃料も足りなくなりそうだし・・・調理も出来そうにないのに、手軽に食べられる食品もありません(僕は木原氏と飲みすぎていて買い物に参加しなかった)

このまま二日から三日ずっと真向かい風、真向かい波の中を昼夜ぶっ続けで走るのは危ないと判断。

マリーナから17マイルほど沖まで進んでいたんですが・・引き返しました

マリーナに戻って温泉へ行き、夢タウンで買い物をして・・・

モツ鍋を食べました

今は皆元気になっていますが(近藤氏も鼻の下が伸び始めた)・・・

「引き返して良かった」と全員の意見です。

ヨットは真向かいの風や波に特に弱い船です。

数日天気を待ってゆっくりディセーリング(昼間だけ走る)で帰りたいと思います

今日は早めに寝ます






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出港準備

2010年10月20日 19時08分21秒 | 退職生活
今日の夜、近藤、奥原両氏がここ、北浜マリーナに到着します

明日の朝からホロホロを徳島へ回航するのに一緒に乗るためですが・・・

近藤氏は往路で船酔いしたのを克服したいと言っています

と・・・ここまで書いた処で木原氏が来てくれて

飲み始めました

ちょうど程よくなった頃に近藤、奥原両氏が到着

本格的な宴会モードとなって・・・程よく酔ったので・・・

済みませんが今日はもう寝ます

おやすみなさい

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一人酒

2010年10月19日 19時09分04秒 | 退職生活
時間を変えてアップしたけど・・・昨夜ブログがアップ出来たのは午前三時だったんですよ

そんな時間まで何をしていたかと言えば・・九時過ぎまで広島のヨット「プリマドンナ」の上原氏と氏のヨットで話をしていて・・ホロホロに戻ってテレビをかけて、一杯呑んでいたら・・いつの間にか二杯、三倍となり、リミッターが壊れた僕が気付いたら二時過ぎでした

久しぶりの酔った一人酒で、読みにくいブログで済みませんでした

さて今日はそれでも、七時半に起きて、「てっぱん」を見ようとしたけど写らず

そこへ上原氏が訪ねて来てくれて、またクルージングの話

九時になって、二隻揃って北浜マリーナへ向けて出港

途中オートパイロットが故障して・・・一人だから苦労してセールを下ろす場面もあったけど、無事到着して、前に居た場所にホロホロを停めました。

間もなく・・・ヨット「山と海」の大畑氏が差し入れを持って訪ねて来てくれました

大畑氏はヨットの名前の通り、海も山もやり、ヨットもキャンピングカーも持っています

当然ながら公務員です。

来年三月に退職して「遊ぶ作戦」だそうですが・・・

氏はヨットとキャンピングカーの両方を持ち、経済的にも余裕があり、山登りもするので、かなり楽に遊べると思うんですが・・・

何度も言うようですが、退職後の人生は30年あり、今まで生きてこられた社会に感謝し、席を譲り、若い人達が夢を持ち、安心して暮らせる社会を次世代に残す為にお金を使って遊ぶ期間です

この期間を愉しく有意義に過ごす為に必要なことは「配分」です。

経済的な配分、体力的な配分、遊びの配分の三つが特に重要で、それらの配分をする為に必要なことが主となる計画です

僕がホロホロ三世で世界を周っていた時、欧米のヨッティ達が言っていた言葉を書いておきます。

退職を控えた年齢の人が買うものは三つで、最初がヨット、二つ目がキャンピングカー、三つ目が棺桶の順だそうです

三つとも旅に出るもので、三つとも眠れるもので、体力的に考えても体力がある時にヨットで海外をクルージングをして、次に楽なキャンピングカーで近くを回っていたら、棺桶が要るようになるそうです。

非常に的を得ている言葉ですね

僕は41歳で退職しているから棺桶までにはまだ少し時間がありますが

今日の写真は別府湾から見た別府市街と後の山は霧氷の季節が特に人気の鶴見岳です。

写真をクリックすると大きく見えます
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ヨットで海外クルージング

2010年10月18日 23時59分59秒 | 退職生活
哀しい事に徳島でヨットに乗っていても、長期に海外クルージングをしたいと言う人には殆ど会いません

ところが・・・九州に来るとそんな人が結構居るんです

動いているヨットも随分多いし、ホロホロがこちらに来てからマリーナに居る事もあるんですが、多くの人達がヨットに良く来ているように感じます。

海外クルージングをしたいと言う人の99パーセントは行かないのが現状ではありますが、少しは期待出来る様な気がして経験者の僕としては嬉しく思います

そんな人に今日二人会いました

ここマリンピア武蔵に最近まで居たヨットでも現在フィリピンに行っているヨットがいるそうです。

「海外クルージングがしたい」と言う人の多くは、練習に国内をクルージングします。

僕らも沖縄西表島まで4ヶ月掛けてクルージングしたんですが・・・

これは先日も書きましたが、買ったばかりの新艇の慣らし運転と美由紀をヨットに慣らすため、またダイビングや釣りの楽しさを知ってもらう為でした

これは僕の感じる事ですが、沖縄も含め、日本国内のクルージングは殆どが港に入り、そこで岸壁に繋いで眠ります

ところが海外のクルージングは僕の場合99パーセントが、自然の入り江や島影にイカリを入れて、風に振らせて眠ります

練習なら国内をクルージングしても、イカリを入れて眠らなければ練習になりません。

港の中と自然の中は違います。

ただ、どちらが簡単かと言えば、自然の入り江にアンカーを入れて眠る方が楽ですが、やってみなければ解らない要領はあります。

日本一周などもする人が居ますが・・・日本を周るなら車の方が遥かに簡単で面白く便利です。

日本の場合、港に拠っては漁師が文句を言ってきたりもします

海外で自然の入り江や島影にアンカーしても誰も文句は言いません

はっきり言って、日本という国はヨットのクルージングに不適なところで、こんな国で長期のクルージングしても楽しいことは殆ど無いと言っても過言ではないでしょう。

だから・・・そんな国で練習すると、殆どの人は嫌になって99パーセントが行かないと言う結果になって現れます

僕も国内を短い期間時々クルージングしますが、海外をクルージングしていた時の気楽さや楽しさ、驚きからは比較になりません。

ただたまにヨットの生活を思い出したいと言う程度のものです。

これだけは言えることですが、日本で練習するならアンカリングの練習とオーバーナイト航海の練習、アンカリングして上陸する練習や島影や入り江で数日過ごし、ヨットの設備の具合を知ることでしょう。

僕等は沖縄航海でそれもしっかりしました。

何日も買い物をせず、でも快適に楽しく過ごせるようにすることで、港に入って岸壁に繋ぎ温泉に行ったり、買い物したり、飯を食ったりは、日本だけの似非クルージングです。

ヨットは世界で一番自由な乗り物なのに、日本で動いていたら、危険で不自由だけの乗り物でしかありません。

日本ならキャンピングカーが遥かにいいですから。

ただヨットもキャンピングカーも「乗り物」であり「交通手段」です。

ヨットで行ってもキャンピングカーで行っても、それだから出来る何かの目的を持たなければ楽しめません。

飯を食いに行くなら車がいいです。

温泉に行くのも車がいいです。

ヨットでしかなかなか行けない島に行き、そこで数日過ごすならヨットの価値はあります。

世界各地でのダイビングや釣りも愉しみました

中南米やアフリカなどでは、内陸旅行に出ると食べ物に耐えられないので一週間か10日ごとにヨットに戻って日本食を食べて英気を養って、また旅をしました。

ヨットでなければ出来ない旅です。

僕がキャンピングカーを使ってスキーや山登りに行くのは、良い天気に登りたいから、何日でも費用が余り掛からず待てる事と、登山口で寝ている方が楽に登れるからです。

日本からタイのプーケットに行くなら最長の航海で2オーバーナイトしかありません。

これは徳島から大分までと同じ距離です。

日本は風が一定していないから揺れますが橘湾にはアンカーを入れて眠れる場所が沢山あります。

アンカーを入れて眠る練習が出来るところは、日本中に沢山あると思います。

この二つの練習こそが海外の長期クルージングに役立つ事をしっかり覚えておいてください。

日本以外に港がある国は殆どありませんのでね。



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船底掃除から塗装まで完成

2010年10月17日 22時38分59秒 | ヨット世界一周クルージング
昨夜の三段階宴会で疲れていましたが今日は数年ぶりにホロホロを上架する日です

幸いにも晴天

木原氏(現在30フィートと25フィートの二隻のヨットを持っている。Y-25マイレディーは売りに出している)は自分のヨットで寝ていたんですが・・・声を掛けて一緒に朝食

氏は若いし、元気一杯だから・・・「今日一日よろしく」とお願いして、九時にマリーナの人が来てくれて、ホロホロは20トンクレーンで吊り上げられました

ホロホロが最後に上架したのは、フィリピンのマニラヨットハーバー。

日本のヨット「ラー三世」と一緒にクルージングして、バイスからアチコチの島に寄りながらマニラまで北上

クリスマスか正月前後に慌しく、二隻一緒に上架して以来ですから・・・六年か七年が経過しています

途中何度も上架しようと思いながらも、予算が合わなかったり、時間がとれなかったりでした。

しかし・・・よくもここまで辛抱したものです

出港のたびに潜って船底を掃除していました。

ダイバーだから出来たのと、それまでは毎年上架して、船底塗料を重ね塗りしていたから、ここまで持たせたと思うんですが・・・限界でした。

吊り上げられたホロホロの船底は別府に来る前に、近藤氏と八十氏に手伝って貰って、二日掛けて掃除していたので、それほど多くの牡蠣やフジツボはありませんでした

とは言っても・・・44フィートのヨットの船底は・・・気が遠くなるほど広いんです

木原氏が居なければとても出来なかったと思います。

全身びしょ濡れになって、高圧洗浄器で洗ってくれて・・・塗装も二人で精一杯頑張りました

昼食時に少し休んだだけで、日暮れまで頑張ったお陰で、明日まで掛かると思っていた塗装も終了

二人共、疲れてクタクタですが・・・明日の朝にクレーンで吊って、当て板(ヨットが倒れないように支えている板)の所だけ掃除して、塗装をすれば海面に戻せます

20キロの船底塗料を持って来ていたんですが・・・ちょっと不足気味でした。

もう20キロあれば、しっかり塗れたんですが・・・船底塗料は結構高いから・・・仕方ないです

まあ兎に角、大仕事を一つ終える事が出来ました

木原さん、ありがとうございました

今日の写真は、久しぶりにクレーンに吊られたホロホロです。

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