outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

最近の生活報告

2008年02月29日 18時16分06秒 | ヨット世界一周クルージング
今日はここ最近の生活の様子を報告します

大きく変わっているのは・・先週土曜日にヨットクラブの宴会へキャンピングバスで出かけるのに美由紀の布団を下ろして行きました。

当然その夜に美由紀は家のベッドで寝たんですが・・僕が日曜に戻ってきたら「家の中で寝たら暖かくて気持ちが良い」と言うのです

そう言われると長い間、家で寝てないな~・・・と思い火曜日に家で寝て見ました。

家と言うのは車から比べると信じられないほど暖かいですし、静かだし・・やはり良く眠れます。

ただ布団に入った時に「こみ上げてくるモノが無い」けれど・・何となく今週4日間家で寝ました

キノコの風呂は相変わらず続けています 最近はやり方を変えて少量の風呂用キノコを鍋で沸かしてそれを風呂に入れています。 効果があるかないかははっきりしませんが温泉的であるのは変わらず感じています。

キノコ茶は最近少し減っています。理由は寒い夜中に小便に起きるのが面倒なんです あれを呑むとおしっこは良く出るから通風にもいいと思うのですが・・

まあもう少し暖かくなったらもっと呑むようにします。

マンションの荷物を昨日までに5回運びました 残り一回で終了ですが「荷物の多さに疲れました」

それを全て今住んでいる家に入れているんですが・・・まあこれほど精神的に悪い仕事はありません。

さし当たって不要だけれど使えるから捨てられない物がドンドン家を占領していきます

現在でも引越しを考えている状態なのに・・・これを又動かす可能性もある?

今年の山旅の出発は3月20日が予定で変更はありません。

その為の準備でスキーの板を注文したり、インターネットが繋がる「データ通信カード」を新しくしたり、パソコンにソフトをインストールしてもらったり、と慣れているとは言っても7ヶ月間の旅に備えてそれなりにウロウロオロオロソワソワと過ごしています。

我が家の場合、仕事を辞めてすぐから「長期間の旅生活」なので僅かな財産なんですが火事が起きても泥棒に入られても解らないから、通帳、印鑑、権利書など一応金目のものは全て「貸し金庫」に預けています。(今は息子が一緒に住んでいるが留守が多い)

普通は一年に一度だけ行って一年分の生活費を振り替えていたんですが・・今年は「株暴落」で旅に出るお金が無く(売るに売れない)来年分を前借り振り替えするために昨日は銀行にも行きました(長期間家に戻らないのでカードの引き落としも(悪用された時の用心に)別口座で少ししか入れていない)

まあ普通でない生活はそれなりに面倒で不便なところも多くあります

ただ前借ながら今は少し金持ち気分で二人のスキー板を注文。明日はKDDIの通信カードの契約(今はデモ機でテスト中)それから外付けハードディスクと外付けPCカードスロットの購入など計画しています

燃料代が随分上がったので・・7ヶ月間(主に北海道)の予想消費量を計算すると軽油代が60万円掛かります 食費、温泉、観光、山小屋宿泊費などを含めると一昨年は月平均17万円ほどだったのが今年は20万円必要と試算しています

燃料の効率良く動くことが求められますが、これは今年から使う「エーユー」の通信カードが予想以上に活躍してくれそうなので余分に街まで降りる必要がなくなり登山口で長く過ごせるのでは・・と期待しています。(今までは心配を掛けるといけないので途中で降りてきてインターネットを繋いでいた。一度余分に降りると林道など急坂なので平均50リットル位消費する

体調は悪くありません。すっかり回復していますニンニク卵黄のお陰か風邪も引かずに済みそうですし、お酒も毎晩少量ながら呑んでいます。(徳島からの荷物に多量の梅酒や焼酎、ウイスキー、ウオッカ、ラムがあったのでしばらく酒は買わなくてよさそう

ただ花粉に弱いのでクシャミ、鼻水、目が痒いは仕方なく耐えています

そんな具合で夕方になりました 今から少しお酒を頂きます

そう言えばサスペンスモドキの続きを書かないといけないのですが・・場合によっては簡単にこの先どうなる予定だったかを書いて終わりにしようか??なんても考えています





 
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合格です!!

2008年02月27日 20時50分17秒 | 日本三百名山に登る旅
早起きしてマンションから運んできた荷物を片付け、「au」のデータ通信カードのテストとキノコ探しに家を出ました

美由紀が運転して僕は助手席で膝にパソコンを乗せて・・・接続します。

家の周辺は一応阿南市の中心部なのでドコモの時もウィルコムの時も快調だったんですが・・ドンドン街から離れて行きます

鷲敷町はかなり山奥なんでここで通じたら「合格」と思って向かっていたんですが桑野町で鷲敷方面の山を見ると雪が降っているらしく山が見えませんでした。

場所を変更して視界良好の「明神山」へ

途中の福井町と言う辺りでは今までのどの機種も繋がらなかったんですが・・ホームページの潜水時代の写真がそれほどの待ち時間無く次々現れます

椿町になると峠のトンネルを越えて行くので「陸の孤島」と言う人もいるところですが・・・そのトンネルの中でさえ通信が続きました

登山口迄は細い山道をしばらく走るんですが・・・スピードは確かに遅くなりますが写真でなければ十分使用に耐えると確信

これは「au」の携帯電話が繋がるところなら全てカバーしていると言うのが本当みたいです。

宣伝料を貰っているわけでありませんが「これはお奨め」です

また二、三日うちに違うコースを走って見たいと思っています。

キノコは10日?ほど前に採っていたところだったので探しましたがありませんでした。

頂上に着いて剣山方面を見ると降る雪に隠されて見えませんでしたが和歌山や室戸岬のほうは視界十分

陽だまりで弁当を食べてセリを収穫して下山

途中久しぶりに「カーマート」へ寄って美由紀の車のオイルを交換して貰いました

それから倉庫に寄って「近藤氏のアイデア」を少し考えて家に戻りました。

60歳は確かに見習い老人と言える歳なんですが90まで元気に動き回れると考えれば30年(三分の一)残っています。

貸せる物を貸したり、売れるものを売ったりして少しでも今より快適な生活が出来る住居に移ることを考えています

あまり家に居ない放浪癖の僕の場合、車も停めれるし、荷物も沢山置けるからここで十分なんですが・・ここは国道沿いで商業地なんです

元気とやる気があり、ここから起業しようとする人にチャンスを与える為にもここを住居として使うのは良いことでないと思うのです 

そんな経過があって最近ウロウロしているわけですが・・実現するかどうかは全くわかりません。 宝くじは当たらないしね
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データ通信カードの続き

2008年02月26日 21時18分17秒 | キャンピングカー旅
昨日エーユーのデータ通信カードがUSBポートでしか接続出来ないから、スピードも速くエリアも広いけれど「諦める」と書いていたら、カルロス氏が今月発売された「エーユー用」のUSBに繋げるカードスロットをインターネットで探してくれまいた

それを見てみると「間違いなく」使えそうなんで急遽今までの「ウィルコム」を解約。解約料が4600円要ったし、毎月の使用料も2千円余り高いけどエーユーにしました

毎月7千円で使い放題。ただし二年間使うのが条件だけど・・・

そして今日マンションの整理に行く途中接続した状態で走ってみました

さすがと言うか今までに使ったドコモは殆ど使えなかったし。ウィルコムでも時々切れたのが、この最新式エーユーは全く心配なく常時接続できているだけでなくスピードが速くて殆ど家で使っているADSLと変わらないくらいの快調さでした

おまけに市内だと十分スカイプで話すこともできるんですさすがに映画は見えませんが・・

多分これだとスキー場の駐車場でも使えるのでないかと期待が持てます。
スピードが遅くなるとは書かれていますが・・・

ほんまに時代の変化は凄いです

そんなんで今年の山旅は殆ど毎日インターネットが繋がる予感がしています。

マンションを少し片付けて前川氏の案内で徳島市内の「物件」を見て回りました。

今日見たのは主に前川氏が扱った超大型物件と前川氏自身が買っている破格値物件で僕の手が届くものではありません

人に説明して解りやすい場所で自分の家のキャンピングバスと車を5台、それに宴会時に友達の車が5~6台は停められる広さで安い物件なんて都合がいい話しはなかなかありません

ちょっとだけは野菜も作りたいし・・・物が捨てれない性格だから倉庫も必要だし・・・山奥でしか無理かもしれんな~

テク近藤氏のアイデアでは「倉庫の中に家を造ったら」と言うのですが・・

確かに全てが収まるけれど「格好が悪い」のが問題です




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au by KDDI 

2008年02月25日 20時35分57秒 | ヨット世界一周クルージング
昨日、阿波クルージングクラブで行われた定例2月のお誕生会&キャビンクッキング(当番山川、溝田)のメイン料理は「フグ鍋」でした 

参加者はそれでも15名いて初めは牽制していた方々も一箸つけたが最後、怖さを忘れて杯を重ね大鍋二回のフグも完食となり、誰も不思議に痺れもなく終わりました

山川氏が作ってくれた赤飯とアンカケ乾麺も極めて美味で全員大満足で良かったです

ただ「酒に呑まれる僕」は呑まないようにと思いつつも限度を超えてしまいました

バスに転げ込んで爆酔男ばかり3人で寝てたんですが・・朝山川氏がドアを叩く音で目覚めました。

家に戻っても二日酔いが溶けず・・ゴロゴロと過ごしてしまいブログもアップできずに終わりました

今日は朝からヨットクラブの現理事長、宮下氏から教えてもらった新兵器AUから
今年発売されたデータ通信カード「WIN」を今年の山旅では使おうとAUショップへ行きました

話しによると僕が去年買って現在も旅に出ると使っている「ウィルコム」より遥かに速度が速く、なをかつAUの携帯電話が繋がる所なら何処でも繋がると言うのです

確かにドコモが出していた「P-IN」よりウィルコムは広い範囲で使えるんですが元々都市が中心の会社なので少し山に入ると使えませんでした

だから何としてもこの新しい「WIN」に変えたいと3台のノートパソコンに入れてテストしようと今日一日中頑張ったんですが・・・

なんと一台が使えるようになっただけです

大体平成20年なのにこの機械はあの故障が多い「PCカード式」なんです。

去年の暮れに買った新しいパソコンには差し込む穴もありませんでした

古いパソコンの二つは穴があったんですが・・一台のパソコンは今までドコモのPCカードやパソコンGPS、またフィリピンでSUMARTのインターネット接続PCカードと休み無く入れたり出したりしたので二つある口も二つとも壊れていました

かろうじて美由紀が使っていたパソコンだけが使えたのですが・・・これもPCカードを抜く時に押すボタンが壊れています

そんな訳で3台のパソコンのどれもまともに使えないのです。

ただ使える状態になって使ってみると確かにスピードは速いです。

山に入って使って見ないと解りませんが・・それも良いような気がします。

ただし2010年になろうとする時代に接続がUSBポートでなく、PCカードと言う前世代の物で発売したKDDIの頭の古さにあきれて今回は購入を諦めることにしました

諦めると言うより3台のパソコンのうち二台が使えないのですから仕方がありません。

ウィルコムのデータ通信はスピードも遅く感度も悪いですがUSBで使えます。

そのおかげで3台のパソコンは3台とも使えます。 何が良くても使えなければどうしようもありません

それにしても今日一日はこれをなんとかしようと家で頑張り、出来ずにAUショップに持ち込んでも出来ずでストレス満杯状態

ガックリしていたんですが夕方柳田氏が特大の白菜やシモネタ葱(下仁多葱)などを持ってきてくれて、昨日昔の大家さん(大川氏)が持ってきてくれたアオリイカで少しお酒を呑んで何とか立ち直っている溝田です

それにしても・・なんでUSBで接続できるようにしないのかな~・・

残念です

明日は前川氏が徳島市内に面白い物件(土地)があるというので見に行ってみようと思っています 見るだけですが・・
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宴会行ってきま~す

2008年02月23日 15時02分24秒 | ヨット世界一周クルージング
遂に本番、ヨットクラブの宴会の日になりました

体調がイマイチなのでお酒はあまり呑めませんが「料理当番」の務めを果たしてきます

喜んでくれるのか仕方なく食べるのかは定かでありませんが

「フグ鍋」との約束も果たせたし僕としては満足

朝から皮と腸を湯通しして洗い、身はより分けてこれも洗い、肝はスライスして・・と昼までかかって完了

今からクラブハウスに出かけて身の部分を湯通しして、焼きソバ材料とフグ鍋に入れる野菜、豆腐などを買出して宴会がスタートします

今日は寒くなるとの予想なんでバスで出陣、今晩はクラブハウスの前に停めたバスで寝ます

じゃあ行ってきマース
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獲らぬタヌキの・・・

2008年02月22日 21時04分50秒 | 釣り ヨット ダイビング 山登り
夜勤明けの近藤氏が到着するのを待って軽トラで出かけました

 途中コンビニで弁当を買って「海の駅」の椅子に座って海を見ながら男二人が「何がそんなに愉しいの?」と周りからイエローカードが出されそうな雰囲気で
その弁当を食べました

 そしてまた走って現場に到着すると一時でした。
所要時間二時間半。 ところが潜りたい場所に釣り師がいて潜れません

釣りが帰るのを待つしかありませんので二人で磯をウロウロして過ごし、二時から着替えて潜りました。

居そうなところを見ながら進んだのですが・・・いつもなら小ぶりでも少しは見かけるんですが一匹も見えません

この時点で少し不安が出たんですが・・今まで必ず獲れている本命の場所には居るだろうと・・そこに向かいました。

潮の流れが沖に向かって異常に強く流れていたので・・すぐに到着

そしていつも居る大きな岩の割れ目を見たら・・いない! 下に回って大きな穴を覗いても全く気配も無い

この季節にフグが来ていないなんて想像もしなかったので・・ガックリ&どうしよう

皆にフグ鍋と言ってあるのに・・・

諦めてはならんと強い流れの中を漕いで漕いで、泳いで泳いでそして小ぶりで何時もなら獲らないサイズを一匹発見

迷うことなど出来ず捕獲

そして又漕いで漕いで・・又同じサイズを一匹捕獲。

これで少ないけどなんとかフグ鍋は出来ると安心 でも足りない。

また漕いで泳いで息を切らしながら最後の一匹を捕獲しました

あまりに泳いだから自分の位置が解らなくなって一旦浮上して場所を確認。

岸に向かう途中の水深10メートル付近で空気が来なくなり浮上。 水面を泳いで岸に戻りました。

長い間遊びでダイビングをしているけど今日ほど漕いで泳いでした苦しい潜水は初めてです。

獲らぬタヌキで約束なんてしなければ良かったと後悔しきりの本日でした

家に戻ったらもう日が暮れていましたが、とりあえず分解だけはしておかないと・・・と頑張りましたが・・

後の処理は明日の朝からにします。 

そんなハプニングはありましたが明日夜のヨットクラブの宴会はうまいフグ鍋をみんなにサービス出来ることになりました

それにしても潜水の仲間と比べてヨットのメンバーは歳のせいだけとは思えない程「ノリが悪い」(15人位にはなりそうだけど・・)

潜水で「フグ鍋する」と言ったら誰一人尻込みせず皆が喜んで肝も取り合って食べていたけどな~・・

たしかに「潜水のメンバー」は普通じゃなかったと言うより少し狂っていたけど・・・

僕の考えだけど・・遊びって「ノリ」でするから愉しいんですよね

今になって思うけど「あのノリ」があったからみんな愉しくて片道二時間以上もかかるポイントへ毎回行けたんだろうな~・・

僕がやってた18年間、毎週毎回、10人~30人が20~35メートルにバンバン潜って他のダイブショップから「無茶苦茶」なんて言われていたけど一度の事故もなかった事を思うと皆が「気をつけるポイント」だけは意外にしっかり押さえていたのかな

愉しかったな~・・・なんて昔もちょっぴり思い出した一日でもありました
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オンナが思っていること

2008年02月21日 23時29分56秒 | 釣り ヨット ダイビング 山登り
朝から美由紀の機嫌をとりながら昨日マンションから運んできた荷物を片付けていました

そして気付いたんですが・・・オンナというのはもしかしたら「歳とった」ことから「顔にしわが出来た」こと位は当然の如く「オトコの責任」と思っているのでなかろうか?? ということなんです

本来?オンナは非常に「責任転嫁傾向」があるように思っていましたが・・歳とるのは月日の流れであって、顔にシワが増えるのは当然の老化現象で「オトコ」には殆ど責任がないと思うのです

このブログを読んでくれている人は男が多いと思うのですが・・・まあ試しと思って傍に長く居るオンナに本心を聞いてみてください

「うまくいったことは全て私のせいでうまく行かないのは全てあなたのせい」と本心では思っているような?? ところがどっかにみえるような・・

まぁなにはともあれ昨日は「斉藤さん」を見て今日は「鹿男」とテレビが面白いと僕も美由紀も喜んでいます

明日はフグを獲りに行きます

ドライスーツ(水が入らないファスナーを使って出来ている潜水服)のファスナーが一人で閉めることが出来ないので美由紀についていってくれと頼んだのですが片道二時間、待ち時間一時間半、帰り二時間を前回して飽きたのか?はたまた機嫌のせいなのか「ハッキリ」断られました

八十氏に電話して潜りに行こうと誘ったけれど月曜しかいけないとのこと
松葉氏に電話したら明日は「寄り合い」

テク近藤氏に電話して頼んだらOKでした 近藤氏も前回付き合ってもらって苦痛の5時間を経験しているんですが・・有難いことです。

これでまず95パーセント、ヨットクラブの「フグ鍋」は確定です

潜って戻ってから裁いて血抜き、あく抜きなど下ごしらえに3時間は掛かるので明日は気合を入れて頑張りますね
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想定外重なる

2008年02月20日 23時54分05秒 | ヨット世界一周クルージング
少し機嫌が治った美由紀と今日もマンションへ荷物運びに出かけました

途中昼飯を食おうと「回転寿司」に寄って13皿食べました

そして「清算ボタン」を押した時に「財布忘れた」と気付いたのです

「お前持ってるか?」と美由紀に聞くと・・持ってない

伝票持ってレジに行って女性に「財布忘れた」と言うと店長登場

その時テク近藤氏とモーガン(車)を見に行く約束をしていたのを思い出して、疑いの眼で見る店長に「友達に電話して・・・」と言って近藤氏に電話しました。

そしたら「持って行ったげる」と快い返事

その電話を切ってから・・・もしかしたらそのくらいのお金なら車の中に小銭が乗っているかもと思い出して軽トラのダッシュボードを調べたら2千円ほどのバラ銭がありました

無事回転寿司屋を出て近藤氏の家へ。そして車を見に行ったら・・誰かが一足先に

モーガンは夢と消えました。

そしてマンションへ行くとまだまだ多量に残っている不用な家財を前に美由紀が落ち込んでいました

最近の美由紀のパターンは・・・元気少々回復→軽い落ち込み→かなりの落ち込み→僕への怒り→深い落ち込み→眠る→を繰り返しています

荷物をまだ二回は運ばなければなりません。そんな具合で後二回は「黙秘権」を行使しなければなりません

男の人生はなかなか大変ですな~・・・

週末の「フグ鍋」ですがヨット スノーグースの山本氏から電話があって「是非フグを食べたい人を5人連れて行くから」とのことで「フグ鍋に決定」しました。

何人集まるか解らないけどフグの調達に頑張ります

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信用がない溝田

2008年02月19日 20時59分21秒 | ヨット世界一周クルージング
昨日運んできた荷物を朝から片付けていました

ところが美由紀が・・・どんどん落ち込んでしまって・・・

必要で無いものが家を占拠していくから?

そのうちに・・僕の生き方がそもそも間違っているからこんな事になると

確かに普通でない生き方かも知れないけど

世の中なかなか難しい

今週末(23日土曜日)ヨットクラブの月例宴会があって、今月当番が当たっている僕は皆に美味しい冬ならではの「河豚鍋」を計画したのです

そしてクラブ員全員に配送されるメールで「参加表明」をお願いしているんですが

二度のメールにも関わらず表明者はたったの二人

いつもは20人位の表明があるのに・・「信用がない」としか思えない

今まで50回以上宴会をして500人以上が食べて皆生きているから大丈夫とメールに書いたにも関わらずです

「肝を溶きこむ」と言うのがどうも不安なようなのですが・・肝の入っていない河豚鍋は塩が効いてない漬物みたいなものなのに

河豚鍋を中止しようかと迷っています

うまいのにな~・・・

それから滅多に無いことなんですが・・竹内さんからお誘いがあった「蒜山別荘雪中宴会」を断りました

行きたかったんですが・・引越しが片付かない上に宴会用の河豚を入手しなければならず、おまけに憩室炎は治ったけどイマイチ体調が良くなくてお酒が殆ど呑めないのです

晩酌程度はしていますが

そんなんであまりパッとしない一日でしたが夕方に学友の柳田氏が寄ってくれたのが救いでした

忘れてましたそれといつも元気で乗れるものなら全てが好きなテク近藤氏より電話があって「面白い車見つけた」と言うので明日一緒に見に行くことになっています

その車は「モーガン」あの有名な二人乗りオープンカーです。乗るのはちょっと勇気が必要ですが
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時代変化

2008年02月18日 23時31分45秒 | ヨット世界一周クルージング
まあ今のご時世、何が変わったと言えば「パソコン」が一般的になったことによるものが最大ですよね~・・

先日ラー3世の金田氏がマレーシアから戻ってすぐCDを送ってくれました 去年から出回りだしたそうなんですが・・・

このCDはあんな薄っぺらで小さい物なのに世界中の潮の干満、海流の方向と強さがリアルタイムで解るだけでなく指定した何時の時間でも日でもたちどころに解ってしまうのです

おまけに月の満ち欠けから日の出日の入りまで

世界中の海図(海の深さが解る地図)もCD二枚に入ってしまうし、僕が出港した1993年には想像も出来ない大変化です。

今日このような変化を書こうと思ったのはマンションから荷物を運び出していたらそんなものが見つかったからなんです

一つはカメラとビデオなんですが・・・勿論デジタルやCD式でなくフィルムとテープ式でした。 ニコンの一眼レフには交換レンズが何本もあって・・8ミリビデオには使っていないテープが沢山残っていました

もう一つは衣料品です。殆どカジュアルですが中には買った時の事を覚えているのもあって・・・
「昔は高かったなあ~・・」と思ったわけです

今もブランド品は高いんでしょうが・・ユニクロ専門の僕は最近安くなったと感じています

まあ家を整理すると色んな事を思い出したりしながらなのでなかなか捗りません

そんな訳で今日も軽トラ満載の荷物を運んで戻ったら夕方の七時を過ぎていました

明日はまだ軽トラに乗ったままの荷物を下ろして片付けます

蒜山に別荘を造っている竹内さんが今週の水、木に雪の中で遊びませんかとお誘いの電話がありました

行きたいけど、荷物の事と今週末にヨットクラブの宴会があって今月は僕が当番

フグを獲って来てそれをメイン料理にする約束をしています。 行けない事もないけど少し厳しくもあり結論を明日まで持ち越しています
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捨てたいけど・・・

2008年02月17日 18時47分36秒 | ヨット世界一周クルージング
我が家の場合、普通の人のように生きてないから問題です

ヨットでもキャンピングカーでも家でもマンションでも暮らせるようになっているのは「僕の好み」なんですが・・・

どこも「どうにか暮らせればいい」程度なで電化製品も家具もその他家庭用品や衣料品も「とりあえず」生活が出来ればよしで「応急」でばかり揃えています

そこで今回のように一箇所を引き揚げるとなると同じような品物がダブってきます。

冷蔵庫と水屋だけは無理して良いのを買っていたから残しておいても喜んで使ってもらえますが他のものは「ほとんどゴミ」なので持ち帰るしかなく運んできたのですが・・・

使える物だから捨てるには「もったいない」けれど家に置いても同じような物が家にはあるから場所をとるだけ

家で使っているのが壊れた頃には全く新しい製品になっていると思うし・・

そんなんで昨日運んできた荷物の整理だけに一日かかってしまいました。

そしてどれも捨てれずドンドン宴会場と二階の一室を占拠しています

実際本当に必要な生活用品なんてホンの少ししかないのに・・なんでこうなるの?

考えてみれば家財道具もあればあるほどストレスになる。 

でも無ければ不便と板ばさみ。 ホロホロが長い間居たフィリピンのネグロス島、ボンボノン周辺に住んでいる人の家に入ると中にな~んもないけど生きているしストレスなさそうだったな~・・・なんて思いながら一日が終りました。

明日はまた新たな荷物を運んで帰ってきます。

しんどい仕事で疲れている溝田でした
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奥の手登板

2008年02月16日 21時33分14秒 | ヨット世界一周クルージング
少し早めに今年の山旅に出ようかと昨夜考えました

そうなると・・一昨年スキー場で二人のスキー板を誰かが持ち去ったので買わなければ行けません

それから旅の途中でお金が下ろせるように準備もしなければなりません。

ところが・・・であります

年末に買った株が売れない

我が家の場合年金がまだもらえない(もらえるようになっても国民年金だけど)から毎年10月に一年分を引き出しているんですが・・・(一度にまとまったお金が入るからスケベエ心で株に手を出す)

10月まで待てない。 アイフルやアコムに行っても仕事をしていないから貸してくれないし利子も高そうなんで

仕方ないから来年の分(今年10月の分)を引き出すことにしたんですが・・

全部の株価が戻る可能性も薄いような気がしてきました

そこでこの際全く使わないのに維持費、管理費電気水道ケーブルテレビ、有線など
毎月出費が要る徳島のマンションを貸そうと考え

ホームページにリンクがある友達「ハローホーム宅建」の高部さんに電話して6万5千円で・・・とお願いしました。

数時間後に電話があって「OK決まりました」と夢の様に早く若いお医者さんが借りてくれることになりました

(収入は当分生活費に使う予定はありませんが支出していた分が要らなくなるので随分楽になります)

それで急いで軽トラに美由紀と乗って荷物の運び出しに行ってきました

ボロばっかりがどんどん家に集まって来るので問題です。

と言ってもまだ何度も行かなければなりませんが・・・

そんな具合で2~3日、荷物運びと片付けに頑張ります。

それと山旅出発はやっぱり予定通り3月20日にします

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鶴林寺(かくりんじ)

2008年02月15日 22時07分19秒 | ヨット世界一周クルージング
このところ天気が良かったら山ですが今日もまた山に行きました

この季節で今日のように寒いと余り標高が高い山には行く気になれず(体力も無いけど)四国に多い八十八箇所寺20番札所「鶴林寺」に登りました。

鶴林寺は僕が生まれた「勝浦町」にあって子供の頃から親しんでいる寺なんですが
今回は勝浦側からでなく阿南市側から初めて登ったんです

最近の八十八箇所寺の多くは車で行ける様な道がついていてここも殆どの人は車で登ります。 

だから遍路道を歩く人は稀ですし、こんな寒い季節はお遍路さんも少ないのですが
二時間ほどの登りで三人の老人に会いました

流行でしょうか? 暇な人が多い? これがシーズンの4~5月だと50~60人に出会うこともあるんですから驚きです。

3~40年前は殆ど居なかったんたんだけど

なんでこんなことを書くかと言えば汗をかいて登っていくと寺の境内に入ったところに4階建ての白いビルが建っていたのです。寺が経営する遍路用ホテル?(遍路宿と呼ぶが)

全く寺に似つかわしくない建物を建ててしまう住職と言うか社長と呼べばいいのか

「坊主も人間」と言う人もいますがお坊さんはやはり「仏に仕える身」で唯の人間であってはいけないと思うのです。 

それが多くの寺の経営者は僕らの目で見ても一般社会の人間より人間らしいというか欲望と煩悩にどっぷりと浸かっているように見えるんです。

そうでなければこんなコンクリートの下品な建物が造れるわけがない。

ただそんな寺を巡って(僕も回ったことがある)も歩いている間には色々なことも考え、反省もしたりするものですが・・・終って戻ってくると元通りだったような気がします。

人間なんて簡単に悪くはなれても、なかなか良い様には変われないものだと思います。

その「変わる」「変わらない」なんですが僕らの年代の人達の多くは30年40年前と比べると随分変わっています。

歳とって白髪になったり禿げたり皺が増えたりは仕方がない事なんですが・・・

友達に会っているのに「態度」が「偉そう」に変わっている人もいます

夢を失って全くしょぼくれている人もいます

自分をしれば変わる方が自然なのかも知れませんが僕は何時までも変わりたくないと思って生きています。

進歩が無いと言えばその通りですが「簡単に変わってたまるか」と思っています。

それが良いのか悪いのかはわかりませんがそんな事にまで考えが進んだ白い建物でした

しかし凡人は良いですね~

何を書いても何を言ってもたいして相手にしてくれないし文句も言われない

「羊水が・・」の人は大変だけど僕が「35歳を過ぎたらマ○コが腐る」と言っても新聞もテレビも騒がない

孫の顔が見たいと自分で言えない人も大変だけど・・孫が出来そうもない僕は「そんなの関係ない、オッパッピー」です

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夜中に・・とモドキの13

2008年02月14日 21時32分15秒 | ヨット世界一周クルージング
夜中の3時ごろ急にお腹が痛くなって目が覚めそれからも痛い痛い

でも憩室でなく冷え腹みたいでトイレに来てしばらく座っていました。

出るものは出たけれどなんか本調子にならず10時前まで寝てました。

憩室炎が治ってからちょっと胃腸が弱っていたのに呑みすぎたのが原因?

美由紀の機嫌も悪くなったけど僕もがっくりです

でも気合を入れて朝食を抜いて昼に少し食べシイタケ狩りに行きました。小さいのを5個ゲット

小さな山ですが下っていって民家があるところに降りてビックリ

公園のように綺麗にした野菜畑発見  タケ囲いでぐるっとまいて約300坪に芝生の部分が3割、野菜部が二割、果樹部が二割、花が二割他にビックリは大きな直径10メートルほどの水車とその回転を利用した「回る家」に頭が下がりました

76歳、大工仕事をやめて6年間毎日ここに来ているというおっさんは「回転物」が好きならしく、他に二つの水で動く装置を作っていました

次回は写真を写してきます。 兎に角愉しくなるアイデア満杯の300坪です。

呑んでいて「ふと気が付くと窓から見える景色が違っている」こんな素晴らしい夢の家を現実にしてしまったおっさんの写真もアップしますね。

文章がうまく書けず恥ずかしいですが書き始めたの最後までアップしますがやはり体調が悪い時の文章はいけません。  ごめんなさい。


   13章



打ちひしがれている多恵に対して言い出しにくい事だったが松田は二人を解剖するよう勧めた。

このまま火葬してしまうと何かの証拠があっても消えてしまう。

 殺されてから投げ捨てられた可能性もある。

本人の確認から胃の内容物、外傷など細部まで調べて記録しておけば後で役立つかも知れない。

 遺書に書かれていた文は短く「浩二さんと死にます」とだけだった。 遺書の字の筆跡を確認したのは多恵と伯父だった。

浩二の遺書は無かった。 多恵は松田の勧めに従うことにした。

 多恵自身二人の死が心中とは思っていなかった。

警察は二人の間柄から「道ならぬ恋」の終着と解釈しているようで後日多恵のところに話を聞きに来ることになっているが
全く事件とは考えていないようだった。

ここ南海病院で解剖は出来ない。堂島浜通にある大阪大学医学部付属病院に移すことになる。

折衝があまり得意でない松田は今回も週刊誌記者の山崎に頼もうと電話を入れた。

山崎は店に電話したと言った。 そして岡田の車から松田が発見した薬の包み紙に付着していた成分が整腸薬だったと言った。

その答えに松田は落胆したが、そう思ったような成分が出るとは限らない。 それは一部ながら予期していたことだった。

週刊誌の記者と言うのは色々なところにコネがある。 

「週間新話」の威力で事件を前提として二人を解剖してくれることになった。

阪大付属病院で解剖の手続きをするのに松田は付いて行ったが多恵は怯えていた。

もうすぐ22歳になるとは言っても世間知らずの小娘である。

 両親と、まだそれほどの期間を過ごしてはいなくても浩二は夫だった。

子供の頃から良く知っていた岡田を含めて四人が立て続けに死んでしまった。いや殺されてしまったのだ。

次は自分か伯父と思わざるをえない。 怨恨かと考えても思い当たらない。 伯父に聞いてみようと思った。

松田と一緒に家に寄って身の回り品を持ち出した。 伯父の家で当分過ごすことになる。

伯父の家は高校一年と二年、それと中学一年の三人の子がいる。女、男、男で家族は五人だった。

小さい時から伯父や伯母、三人の子供も良く知っている。

 みんな良い人だと解っているから伯父が家に来るように言ってくれた時からそう決めていた。

とても一人で家にいられる状態でもなかった。 

伯父の家は伯母さんが買い物に出る時以外いつも誰かがいる。 日常の買い物は御用聞きで済んでいた。

常に誰かといないと不安だった。 

テレビを点けると二人の投身自殺を心中と見て調べていると放送されていて不快だった。

新聞も週刊誌も安藤建設が大阪では知られた会社だし、母と娘婿の心中事件を大きく取り扱うだろうと思い気が重かった。

今頃は家の電話も鳴り続いているだろうと思う。

明後日には解剖の結果も出ることになっていた。 

それを聞きに松田と行くことになっている。 それが少し嬉しく感じた。

母や夫が死んだばかりなのに・・・

自分は薄情なと思い浮気性なのかもしれないと思う。 

シャツを通して感じる松田の引き締まって頑強そうな体が目に浮かんだ。 

結婚して二ヶ月、浩二との間に気持ちのつながりは出来なかった。 

毎日一度か二度の交わりはあったが快感を覚えることも無かった。浩二の求めに従うだけだった。

 一緒にいることが嫌でもなかったが、結婚する前のほうが良かったと思う。

どこかにすっきりしない何かを感じてそれが消えなかったのだ。  

葬儀の準備も母がいない今、多恵には全く何もできないし、何をすれば良いのかも解らない。

伯父がなんとかしてくれるだろうとそちらの方は成り行きに任せるしかなかった。 

伯父は忙しく話す機会がないまま一日が過ぎた。 
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雪が・・・とモドキの12

2008年02月13日 20時36分46秒 | ヨット世界一周クルージング
目が覚めて寝室?から出てみるとワイパーから上のフロントガラスに雪が積もっていました

僅かとは言え家の周りの積雪は今年初めてでした

でも太陽が出ているし天気も良さそうなので津の峰山へ「陽だまり登山」と決めて出発。今日は弁当を持たず水とおやつだけ。

神社に着くと今日は神社の祭日で4人の神主さんが烏帽子を被り氏子が数人来ていました。

年寄りばかりでした。 このような祭日行事もやがてなくなってしまう運命なのかも??

そう思うと大きく書かれた「皇紀2668年」の文字も寂しそうに見えました。

帰り道でスーパーに寄ると純米の新酒一番絞りが並んでいました

喜んでそれを一本買ったんですが・・家には呑みかけがまだあります。

新酒を呑みたいけどそれを開けると怒られるので辛抱しましたが・・のみたいな~

午後時間が出来たのでサスペンスモドキの続きを少し書きました。




    12章

松田が店に出ると電話が鳴っていた。

受話器をとると多恵が泣きながら「すぐに病院に来て」と言う。

理由を聞くと「母が・・」と言った。

その南海病院は店から近い。 

小夜がまだ出てきていなかったので書置きをして店を出た。

夕陽に照らされた雲が異常に紅かった。 

普段の夕焼けは黄色を含んだ暖かさを感じるが今日のそれは不吉を感じさせた。

安藤誠三、岡田俊好に続いて紗枝まで事件に巻き込まれたのか。

松田が病院の受付で「安藤の身内の者ですが」と言うと地下に行く説明をしてくれた。

急いで階段を駆け下り言われたところに行くと10人ほどの男が長椅子に向かい合って話していたが多恵は見えない。

その人たちに聞いてドアを開けると多恵が泣いていた。 

前にある二つのベッドに載せられた二人の遺体がある。

近づいて多恵に来たことだけを知らせドアの外にでた。 

松田に電話をしてきたのだから多恵は事件と思っているはずである。

でも今は泣くだけ泣かせたほうがいいと思った。

松田も二人とは思ってもいなかったし原因も聞いていない。

 多恵に聞くより外に居る人から事情を聞くほうが早いと判断した。

外の長椅子に腰を落として隣の人に聞くと「心中らしい」といった。

 安藤建設の本社は六階建てで天王寺にある。 この病院からも近い。

その「屋上の手摺を乗り越えて二人が飛び降りた」というのだ。 

紗枝の遺書があったことから警察も心中とほぼ断定しているらしい。

浩二は多恵と結婚してまだ数ヶ月しか経っていない。

 紗枝にしても夫である誠三が亡くなって一年にならない。

いくら男と女の関係が予期せぬものであると言っても、そんな事があったとは信じられない。

紗枝は多恵の母であり、浩二は多恵の夫である。

 多恵が受けた衝撃の大きさを考えると松田の心も痛んだ。

これも今までの事故に見せかけた殺人に続く殺人事件に違いないと思う。

今までと違い今回はまだ遺体が現存する。

 捜査の世界で「遺体が話す」とか「遺体に聞け」という言葉を松田は思い出した。

再度ドアを開けて中に入り、一つの遺体の前で手を合わせて静かに被せてあった布を持ち上げた。

男だった。 男の衣類だったと言うべきかも知れない。

損傷がひどかったのか頭部全体が包帯でぐるぐる巻きにされていて顔が解らなかった。

六階建てビルの屋上から飛び降りたとすれば当然かも知れない。

次に多恵が泣いているところに行って手を合わせてから布を持ち上げると包帯は頭部と顔の一部だけで識別は容易な状態だった。

もう少し考えようと外に出ると多恵がついて出てきた。

多恵にお悔やみの言葉を言ってから松田は気兼ねしながら顔が見えないが浩二に間違いないかと訊いた。

多恵は首を縦に振り、包帯をする前に見ているし、体型、着ている物からも間違いないと思うと答えた。

「思う」と言ったことから顔の損傷がかなり酷かったことがうかがえる。

しかし松田は多恵が遺書の確認と余りの出来事に動転している状態だからそれほどしっかり見ているかどうか不安が残った。

浩二については替え玉もありうると思った。

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