今日はすっきり晴れて武尊、至仏、ヒウチの秀峰がクッキリ見えていました。
気温がドンドン上がってきて雪が粘ったので10時過ぎで終了。バスの中でインターネットを繋いで山の下調べをして過ごしました
昨日話したスキー場のスタッフが「定年になったらキャンピングカーで日本一周をしたい」と言っていたことについてなんですが・・・
ヨットで出会った外人達は殆どが90歳位までの計画を持っていましたから僕が日本に戻り初めて日本人は定年後のプランをどのような立てているのか山旅に出る度に機会がある度に質問しています
そしてその答えの8割までが何らかの方法で「日本一周」でした
そして日本一周をした後は何をするの? と聞くとその後すぐに死ぬと思っていたかのように驚き、唯の一人もその後のプランを持っている人に出会ったことがありません
そこで日本一周にどの位の期間を掛けるか聞くと殆どが「一年弱」でした
残りの29年は何をするんですか?と聞かずにいられません。
この発想の乏しさ計画性の無さは大人になって長い間会社や役所で飼いならされてしまった賜物と思います
偉そうに「仕事」などと言っていますが経営者でさえ85パーセントは「対処」をしているだけです(経営者だった経験から)
これが会社員や公務員となると殆どの人は95パーセント以上が対処で「頭なんて使っていないのが現状です」(そんなことはないと言える人がいたら教えてください。ただし遊びは別です)
だから考える能力が退化してしまったとしか思えない。昔から「遊べない人間は仕事も出来ない」と言います。それがあっているかどうかは別として遊ぶというのは頭も体も使い、考え行動しなければなりません(ただ仕事をしていないだけで「遊んでいる」と言う人もいますが・・ただダラダラとテレビ等を見て過ごすのは「遊べていない」と言うべきでしょう)
自分が持っている時間(30年)をどのように過ごせば愉しく有意義になるか、また年金他の預貯金をうまく使うために予算を組んでいかなければなりません。
(企画立案、時間配分、資金配分)
僕の場合は20歳頃より常に20年先を考えてほぼプランどおりに生きているし、90歳以上生きると思っていますが・・残りは余生として頂点を90歳に置いています(伯父伯母など殆ど90歳以上生きている戦死は別)
実際20年先を予想しても周りの環境も想像と実際では多少の違いは出ますが日々修正するので違ったようにも思わず今まで過ごしてきました
政治家や経営者は少なくても30年先まで考えて舵をとらないといけないと思うのですが・・現状のそれらの人達は情けないことに次の選挙や次の決算(せいぜい5年)しか考えられない情けない集団のようです
でもその人たちがどのような舵をとろうと一般人の我々は20年は先を見て生きなければもったいないと思うのです。(20年先の自分や周りの人達(家族だけでなく知る限りの全ての人)、社会環境を一枚の絵や写真になるまで考える)
何度も言っていますが60歳まで生きた人の殆どは嬉しいことに90歳以上まで生きれます
90歳まで「対処」で生きてもいいんですが・・計画的に生きなければ30年なんて何もしないうちに終わってしまいます(お前の計画は忙しすぎて疲れるとの批判もありますが・・一生懸命生きないと逆に疲れるんです)
定年がまだ先の人は30年間の遊びを、定年になっている人は残りの年数で何をするか考えて表にされるといいと思います
以前から言っていますが僕の20年後(79歳)はボランティアをはじめています。(口の悪い人はお前がボランティアをしてもらわなければいけないだろうと言いますが・・)
勿論無給持ち出しボランティアです。ただどのようなボランティアにするか対象が壮年か老人か子供かを現在考えているところです。(ずっと前は老人を対象に考えていたが・・)
僕が出来ることですからほんの些細なボランティアですが・・・国の制度などと言うのは本当に困って入るいる人には行き届かず、少しだけ困っている人や制度を悪用して甘い汁を吸う人のためにしか出来ていないと思えるんです。
理想ですが・・本当に困っている人が犯罪者にならなくていいような、「心」が安定できる場が提供でき少しでも世の中が明るくなるようなことをしたいと思っています
最後にこれも何度も言っていますが・・どのように生きても死ぬ前に殆どの人は「まあまあだった」と一生を振り返れるそうです
それって「自業自得」ってことなのかな
気温がドンドン上がってきて雪が粘ったので10時過ぎで終了。バスの中でインターネットを繋いで山の下調べをして過ごしました
昨日話したスキー場のスタッフが「定年になったらキャンピングカーで日本一周をしたい」と言っていたことについてなんですが・・・
ヨットで出会った外人達は殆どが90歳位までの計画を持っていましたから僕が日本に戻り初めて日本人は定年後のプランをどのような立てているのか山旅に出る度に機会がある度に質問しています
そしてその答えの8割までが何らかの方法で「日本一周」でした
そして日本一周をした後は何をするの? と聞くとその後すぐに死ぬと思っていたかのように驚き、唯の一人もその後のプランを持っている人に出会ったことがありません
そこで日本一周にどの位の期間を掛けるか聞くと殆どが「一年弱」でした
残りの29年は何をするんですか?と聞かずにいられません。
この発想の乏しさ計画性の無さは大人になって長い間会社や役所で飼いならされてしまった賜物と思います
偉そうに「仕事」などと言っていますが経営者でさえ85パーセントは「対処」をしているだけです(経営者だった経験から)
これが会社員や公務員となると殆どの人は95パーセント以上が対処で「頭なんて使っていないのが現状です」(そんなことはないと言える人がいたら教えてください。ただし遊びは別です)
だから考える能力が退化してしまったとしか思えない。昔から「遊べない人間は仕事も出来ない」と言います。それがあっているかどうかは別として遊ぶというのは頭も体も使い、考え行動しなければなりません(ただ仕事をしていないだけで「遊んでいる」と言う人もいますが・・ただダラダラとテレビ等を見て過ごすのは「遊べていない」と言うべきでしょう)
自分が持っている時間(30年)をどのように過ごせば愉しく有意義になるか、また年金他の預貯金をうまく使うために予算を組んでいかなければなりません。
(企画立案、時間配分、資金配分)
僕の場合は20歳頃より常に20年先を考えてほぼプランどおりに生きているし、90歳以上生きると思っていますが・・残りは余生として頂点を90歳に置いています(伯父伯母など殆ど90歳以上生きている戦死は別)
実際20年先を予想しても周りの環境も想像と実際では多少の違いは出ますが日々修正するので違ったようにも思わず今まで過ごしてきました
政治家や経営者は少なくても30年先まで考えて舵をとらないといけないと思うのですが・・現状のそれらの人達は情けないことに次の選挙や次の決算(せいぜい5年)しか考えられない情けない集団のようです
でもその人たちがどのような舵をとろうと一般人の我々は20年は先を見て生きなければもったいないと思うのです。(20年先の自分や周りの人達(家族だけでなく知る限りの全ての人)、社会環境を一枚の絵や写真になるまで考える)
何度も言っていますが60歳まで生きた人の殆どは嬉しいことに90歳以上まで生きれます
90歳まで「対処」で生きてもいいんですが・・計画的に生きなければ30年なんて何もしないうちに終わってしまいます(お前の計画は忙しすぎて疲れるとの批判もありますが・・一生懸命生きないと逆に疲れるんです)
定年がまだ先の人は30年間の遊びを、定年になっている人は残りの年数で何をするか考えて表にされるといいと思います
以前から言っていますが僕の20年後(79歳)はボランティアをはじめています。(口の悪い人はお前がボランティアをしてもらわなければいけないだろうと言いますが・・)
勿論無給持ち出しボランティアです。ただどのようなボランティアにするか対象が壮年か老人か子供かを現在考えているところです。(ずっと前は老人を対象に考えていたが・・)
僕が出来ることですからほんの些細なボランティアですが・・・国の制度などと言うのは本当に困って入るいる人には行き届かず、少しだけ困っている人や制度を悪用して甘い汁を吸う人のためにしか出来ていないと思えるんです。
理想ですが・・本当に困っている人が犯罪者にならなくていいような、「心」が安定できる場が提供でき少しでも世の中が明るくなるようなことをしたいと思っています
最後にこれも何度も言っていますが・・どのように生きても死ぬ前に殆どの人は「まあまあだった」と一生を振り返れるそうです
それって「自業自得」ってことなのかな