喜多院法興寺

住職のひとりごと

難題山積の相撲界、再登板の北の湖新体制?

2012-01-31 06:20:47 | Weblog
1月31日付 編集手帳 読売新聞
 {〈これきりと思ふ日もあらん 角力 ( すもう ) 取 ( とり ) 〉。江戸の俳人、 秋色 ( しゅうしき ) の作という。もとは寄る年波で力の衰えた力士の胸中を察した一句だが、現代人には別の読み方もできる。不祥事つづきで伝統の大相撲もついにこれまでか、一時は悲観した関取衆もいただろう――と
◆八百長問題で大量25人を追放し、異例の本場所中止も決断するなど、信頼回復への荒療治を終えて日本相撲協会の放駒理事長(元大関・魁傑)が退任した。
◆大相撲存亡の“徳俵”に足がかかった、という緊張感があってだろう。 真 ( しん ) 摯 ( し ) で、率直な物言いが印象に残る。
◆後任の理事長には北の湖親方(元横綱)が返り咲いた。3年半ほど前、大麻事件で引責辞任した折は世間の視線を軽視してか、理事会の席上、「私は少し休んで、理事長代行を立てたい」とお気楽な提案をして不信をあおったのは記憶に新しい。放駒体制下で幾らか風通しの良くなった組織が以前の閉鎖的な角界ムラに戻るようでは、大相撲もついに〈これきり〉と見捨てられる日が来ないとも限らない。
◆北の湖理事長にはこれからの任期が、器量と資質を世間に問う“技量審査場所”になる。}

日本相撲協会は30日、2年に1度の役員改選を行い、改選理事による互選で北の湖親方(元横綱)の理事長復帰を決めた。理事選の投票前には候補者による初の演説会も実施した。公益財団法人移行に向け正念場を迎えており、不祥事の再発防止や深刻なファン離れなど難題が山積である。年寄名跡を協会の一括管理とする案の具体化などが喫緊の課題となる。 


「児童福祉の父」生涯を孤児救済にささげた石井十次

2012-01-29 06:28:22 | Weblog

1月28日付 よみうり寸評
 {明治から大正にかけ、その生涯を孤児救済にささげた石井十次は、「児童福祉の父」と呼ばれる。岡山や宮崎に受け入れ施設を作り、多くの子供を育てた。
◆20代初めの頃、幼い男の子と女の子を連れた貧しい巡礼の母親に出会う。「二人を抱えて生きていけない」と訴えられ、男の子を預かったのが、救済事業を始めるきっかけだった。明治末期の東北大凶作では800人を超す子供を引き取った。
◆当時に比べ、物質的に豊かになったはずの現代日本。にもかかわらず、親からの虐待や養育放棄で居場所を失う子供が後を絶たない◆そんな10代の子供たちを保護する民間団体の一つが、8年前に発足した「カリヨン子どもセンター」だ。
◆都内のシェルター(緊急避難場所)で個室や食事を提供し、担当弁護士が親との交渉や自立支援にあたる。これまでに200人以上が巣立っていった。
◆神奈川、愛知、岡山、広島……。各地の弁護士らの手でシェルター開設が進む。傷ついた心が癒やされ、明日への希望が見つかることを願う。}

 いつの世でも、親を亡くした子供は苦しい環境に置かれらる。明治・大正にかけて生涯を孤児救済にかけたのは石井十次という人がいた。私財を投入しての救済事業はなかなか出来ることではない。伝教大師最澄の言葉に「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」があるが、菩薩の心で、子供たちを救済した。経済的に豊かになった現代も、親からの虐待や養育放棄で居場所を失う子供が後を絶たない。今も石井十次のような子供たちを保護しようとする団体「カリヨン子どもセンター」があるという。親がいても虐待や養育放棄する最低の親がいる。彼らは犬猫以下の最低の人間だと思う。





10会議=震災対応で議事録未作成

2012-01-28 06:42:27 | Weblog
1月28日付 編集手帳 読売新聞
 {まど・みちおさんに『ああでもない こうでもないの うた』という詩がある。〈ああでもないとこうでもないが/かいぎを はじめりゃ 日がくれる…〉
◆お偉方か、 咳払 ( せきばら ) いも聞こえる。〈えっへん おっほん わいわいわい/ああでもないない こうでもない〉。どうやらあまり実りある会議ではないらしい◆あれほどの国難に対処する政府の会議である。まさか、「ああでもない、こうでもない」式の不毛な議論が交わされていたとは思わない。思わないが、議事録がない以上はそれを検証しようがないのも事実である。
◆首相を本部長に全閣僚が出席する原子力災害対策本部は議事録を作成していなかった。どんなふうに議論を深めたのだろう。エッヘンと威張って官僚を押さえつけ、多くの会議から記録役の官僚さえ排除してきた“政治主導”の正体見たり、である。
◆オーストリアの作家シュニッツラーは述べている。〈記憶がお粗末だと、回想記を 綴 ( つづ ) るのに苦労しない〉と。記憶の裏付けとなる議事録がそもそも、ない。事故対応を指揮した首相は、さてどなただったか、さぞかし回想記が書きやすかろう。}

 信じられない話であるが、政府は27日午前、東日本大震災や東京電力福島第1原発事故への対応に当たった15会議体を調査した結果、原子力災害対策本部(本部長・首相)など10の会議が議事録を作成していなかったことを公表した。後世に残すような大切な会議の議事録がないとはあきれた話だ。



錦織完敗も、股抜きロブ魅せた

2012-01-27 06:51:02 | Weblog
1月26日付 よみうり寸評 読売新聞
 {1932年(昭和7年)の佐藤次郎以来となる日本男子80年ぶりのベスト4進出はならなかった。
◆テニスの全豪オープン男子シングルス準々決勝で敗退した錦織圭選手のこと。相手は世界ランキング4位のアンディ・マリー(英)。壁は厚かったが、この先へ自信を強めたことと思う。
◆ランキング26位の錦織が10日目まで勝ち残ったのは、これまでになく体幹を強化して臨んだからだ。同時にベスト4を果たせなかったのも、その強化がもう一歩だったからともいえる。
◆世界のトップレベルで戦い続ける道は険しい。大会2週目を勝ち抜ける体力をさらに強化することだ。きっと道は開ける。
◆敗れたとはいえ、最後まであきらめない錦織にファンも手応えを感じた。後ろ向きにロブを追いかけて、股の間から打ち返したショットなど大いに楽しめた。
◆80年ぶりの全豪ベスト4への期待で、佐藤次郎の名をよみがえらせてくれたのもうれしい。深田祐介著「さらば麗しきウィンブルドン」という作品の主人公、伝説の名選手だ。}

 世界ランキング26位で第24シードの錦織圭が男子単準々決勝で第4シードのアンディ・マリーを相手に健闘むなしくストレート負けであった。全豪の日本男子では1932年の佐藤次郎以来となる4強入りはならなかった。錦織は5月の全仏で、プロ選手の出場を解禁した68年のオープン化以降では日本男子初の4強進出を狙う。5月の全仏では自身初の四大大会4強入りにも期待がかかる。









ES細胞使い視力回復に成功

2012-01-25 06:28:28 | Weblog
(読売新聞)
 {米バイオ企業のアドバンスド・セル・テクノロジー社は23日、あらゆる細胞に変化できるES細胞(胚性幹細胞)から作った網膜細胞を、ものがほとんど見えない患者2人に移植して視力を回復させることに成功したと発表した。

 英医学誌ランセットに掲載された。ES細胞を使った治療で効果が論文として報告されたのは初めて。

 同社は2010年11月から、ともに網膜に原因があって視力が低下した加齢黄斑変性症の70歳代女性と、スターガート病の50歳代女性に臨床試験を実施。ES細胞から作った網膜色素上皮細胞5万個を、片側の目に移植した。

 その結果、70歳代女性はそれまで手の動きしか識別できなかったが、移植の1週間後には指の本数を数えられるようになった。50歳代女性も識別できる文字の数が増えたという。手術から4か月が経過した時点でも、移植した細胞の異常増殖など、安全上の問題は見られないという。同社は、さらに多くの患者で安全性と有効性を確認する。}

 角膜の異常でほとんど目が見えない患者二人ににES細胞から作った網膜細胞を移植して視力を回復させることに成功したと発表した。
手術の結果、一人は手の動きがわかるようになり、もう一人の患者は識別できる文字の数が増えたという。手術ごの細胞の異常もなく安全上の問題もないという。今後目の見えない患者にとって朗報となることでだろう。