喜多院法興寺

住職のひとりごと

「高田松原」の松で大日如来坐像を制作する

2011-08-28 06:31:35 | Weblog
朝日新聞
 {東日本大震災の津波でなぎ倒された岩手県陸前高田市の名勝「高田松原」の松から、京都・清水寺の仏像を制作する取り組みが27日、始まった。被災者らが少しずつノミを入れ、震災1年となる来年3月11日の完成を目指している。

 清水寺が大日如来坐像(ざぞう)(重要文化財)の複製品の制作を京都伝統工芸大学校(京都府南丹市)に依頼。同校が被災した松を用い、被災者との「合作」を企画した。完成後は同寺の大日堂で公開される予定だ。

 高田松原の松を巡っては今月、京都市で行われた「五山送り火」で使う計画が二転三転。まきから放射性物質が検出され、結局使われなかった経緯がある。同校が仏像にする松の検査を実施したが、放射性物質は検出されなかった。

 制作される大日如来坐像は高さ約2.7メートル。約30本分の松の木材を寄せ合わせた。内部には、制作に参加する被災者の名札が納められるという。}

 名勝「高田松原」の松で大日如来坐像を京都の学生と被災者ら制作、清水寺の大日堂に安置される。いわくつきの松が、約2.7メートルの大日如来坐像に生まれ変わる。清水寺が重要文化財である大日如来坐像の複製を、京都伝統工芸大学校に依頼した。そこで同校が被災した松を用い、被災者との「合作」を企画した。高田松原の松で大日如来を作成する事は、話題性もあり、非常に良かったと思う。出来上がった仏様の公開が楽しみである。

「良寛と貞心尼の恋歌」が発刊

2011-08-27 06:40:00 | Weblog
8月26日付 よみうり寸評
 {良寛さまといえば子どもたちとの 毬 ( まり ) つきや隠れんぼ、草深い五合庵の一人暮らしなどがイメージだ。
◆禅師や和尚などより「さん」「さま」で呼ぶ方がなじみ深い。その独居、諦観の人の最晩年を明るく華やいだものにしたのは若い尼僧、貞心尼の存在だった。
◆その二人の交わした相聞歌全54首を新井満氏が大胆に自由訳した〈良寛と貞心尼の恋歌〉が今月、刊行された。良寛70歳、貞心尼30歳の出会いから最期を 看取 ( みと ) るまで、交わした歌を追い、大胆に存分に二人の交際を現代語の散文に移して描いた。
◆良寛の没後、貞心尼は自ら集めた良寛の歌集と二人の相聞歌集からなる「 蓮 ( はちす ) の露」を著したが、そのうち相聞歌の分を訳したもの。
◆もとの歌を味わいつつ、新井氏の言う自由訳の現代文で展開するストーリーがカラー写真のページもまじえて楽しめる。新井氏は良寛と同郷の新潟県出身。出版の考古堂書店も新潟市で創業100年
◆この本はその記念出版。地方にあって良寛関係など多くの良書を出し続ける書店に敬意を表す。}

「良寛と貞心尼の恋歌」が発刊されたことを知り、是非とも読んでみたいと思った。禅僧としての良寛老師と言うよりか、子供から慕われた和尚のイメージが強い。当時の僧侶は妻帯を認められない時代にあって、若い尼僧、貞心尼との大胆に存分に二人の交際を歌集が存在することに、良寛さまの人間臭さに触れ、より親しみがわいてくる。

島田紳助さん突然の引退

2011-08-25 06:29:50 | Weblog
8月24日付 よみうり寸評
 「自分は泣いてもお客さんは笑わさなあかん」――笑いの王国・吉本興業で御大といわれた林正之助元会長は生前そう言っていた。
◆昨夜突然、あまりにも唐突に引退の記者会見をした人気タレント島田紳助さんが浮かべた涙には、残念ながら笑えなかった。暴力団関係者と親密な交際をしていたのが引退の理由という。
◆「僕の中に悪いことしてる意識はなかった。吉本には自分より後輩が800人ぐらいいる。彼らに示しがつかないので、一番厳しい処分として引退することにした」
◆引退理由となった随分昔の事実関係やら交際を示す携帯電話のメールがなぜ今、出てきたのかなどに疑問は残る。
◆が、影響力の大きなTVの人気タレントだ。反社会的組織との関係は厳しく問われても仕方がない。吉本も引退の申し出を受け入れた。
◆「暴力団が許せないのは、恐怖で人を支配し、人々に屈従の人生を強いることです」(映画「ミンボーの女」のセリフ)。人気者はその交際をうかつにも「セーフ」と思っていた。残念な話だ。

 突然の引退発表に驚いたのは私一人ではないだろう。テレビ界ではなくてはならない地位に上り詰め、後輩芸人をプロジュースして、人気者に仕立てた。名司会者としてでなく、番組の企画にも関与、絶大な人気を獲得した。そんな中での引退は、一視聴者としては淋しい限りだ。これからも島田紳助氏の様な司会者は出てこないであろう。芸能界は競争の激しい世界で、人に優しい人であったこと、色々な人から聞く。出る釘は打たれる例えのように、完璧な人間はいない。たたけばほこりは出る。自ら引退を決意した島田紳助氏にエールを贈りたい。長い間ご苦労様でした。




被災した岩手の港、サンマの水揚げ始まる 

2011-08-23 06:24:58 | Weblog
8月23日付 編集手帳 読売新聞
 {幕末の歌人、 橘曙覧 ( たちばなあけみ ) はうたっている。〈たのしみはまれに 魚 ( うお ) 煮て 児等 ( こら ) みながうましうましといひて食ふ時〉。一家 団欒 ( だんらん ) の食卓に、これが似合う、似合わない、といった料理の区別はないにしても、家族が身と心を寄せ合う感じでは「魚」に一票を投じる人が多かろう。
◆煮魚であれ、焼き魚であれ、路地に漂う匂いに、ついつい家路に向かう足が速くなった経験は誰にもある。これから秋にかけて、家の灯が恋しくなる匂いはサンマの独壇場かも知れない。
◆被災した岩手県宮古市の宮古港に、きのう、本州では今シーズン初となるサンマが水揚げされたという。
◆写真で見れば、網から出て銀色のほとばしる光景はいつもの通りだが、記事には胸を突かれた。水揚げした漁船(福島県いわき市)の通信長(62)は津波で家を流され、妻と息子2人を亡くしている。家族のぬくもりから、団欒の笑顔から最も遠く離れた人たちの手を経て、今年はあの人恋しい匂いが食卓に届く。
◆〈荒海の 秋刀魚 ( さんま ) を焼けば火も荒ぶ〉( 相生垣瓜人 ( あいおいがきかじん ) )。津波に荒れた海のことはサンマたちも知っていよう。荒ぶる火もまた、供養の炎に違いない。}

東日本大震災で被災した三陸の港で22日、サンマの水揚げが始まった。岩手県大船渡市と宮古市では北海道で操業していた福島県いわき市船籍の第31漁福丸が入港して約20トンを水揚げした。秋を感じる食べ物は、誰しもサンマを思い出す。これからスパーにサンマが並ぶのを楽しみにしている。



「黄色いハンカチ」セット、山田監督が被災地に

2011-08-22 06:40:20 | Weblog
(読売新聞)
 {東日本大震災の津波で流された岩手県陸前高田市の民家の跡地に、今秋放映予定の日本テレビのドラマ「 幸福 ( しあわせ ) の黄色いハンカチ」で使用した柱と黄色いハンカチのセットが移設され、21日披露された。

 津波で姉と親戚の計4人を失った元大工の菅野啓佑さん(69)が5月、「何もなくなった街に幸せを呼びたい」と、大好きな山田洋次監督の名作映画にちなんで、自宅跡地にがれきから拾ってきた材木や鉄パイプで柱を立て、黄色い布20枚と大漁旗を掲げた。

 この取り組みを友人から聞いて感激した山田監督は、自ら脚本・監修を務めるドラマのロケで今月上旬まで北海道羽幌町で使用したセットを贈ることにした。

 菅野さんが手作りした柱の横に20日、高さ7メートルの木柱が据え付けられ、2本のロープに黄色いハンカチ38枚が掲げられた。21日に現地を訪れた山田監督は「こういう時に、あの映画を作って良かったと感じる」と語り、菅野さんは「黄色いハンカチは復興へ向かう市民に元気を与えてくれる」とお礼を述べた。}

 元大工の菅野啓佑さんは、岩手県陸前高田市の民家の跡地に大好きな山田洋次監督の名作映画にちなんで、高さ7メートルの木柱が据え付けられ、2本のロープに黄色いハンカチ38枚が掲げられた。感激した山田監督は、あの映画を作って良かったと感じると話す。