喜多院法興寺

住職のひとりごと

大晦日、霧笛と除夜の鐘で新年を迎えたい

2011-12-31 06:29:14 | Weblog
12月31日付 編集手帳 読売新聞
 {波止場のある町で育ったので、一句がまとう夜の匂いが懐かしい。〈バーテンは霧笛の船の名を知れり〉(富岡 桐人 ( とうじん ) )。俳人が女優安奈淳さんの父君であることを、安奈さんの随筆で知った。
◆子供の頃は酒場にまだ縁がなく、船の名を教えてくれるバーテンさんの知り合いもいなかったが、霧笛には思い出がある。大みそかの夜、日付が変わると同時に停泊中の船から一斉に鳴り出す霧笛は、 埠頭 ( ふとう ) のそばにお住まいの方にはおなじみだろう。◆静寂に余韻のしみ入る除夜の鐘も味わい深いが、今年は何十年かぶりで除夜の霧笛に心をひかれている。安否を尋ね合っては涙し、無事を知らせ合っては涙した年の終わりには、哀調を帯びて呼び交わす霧笛が似合うかも知れない。
◆〈われわれは後ろ向きに未来へ入ってゆく〉。あたかも行く手に背を向けてボートを 漕 ( こ ) ぐように。詩人バレリーの言葉という。人が見ることのできる景色は過去と現在だけである。あの日、あの朝、すぐ後ろに何が待っているか、誰も知らなかった。
◆忘れたいものと、忘れてはいけないものと、心に重い船荷を載せた今年の航海も、じきに終わる。}

 今年も大晦日となり、除夜の鐘のを撞きにきてもらう為に、ドラム缶でたき火をして体を温め、甘酒も用意している。今年は3、11の震災で多くの被災者と家族を失い、多変な一年であった。四苦八苦の一年を来年は良い年でありたいと思う。108の鐘は4*9=36、8*9=72、36+72=108となるそうだ。港が近ければ霧笛で新年を迎えるのもムードがあって良いかも知れないが、しんみりと除夜の鐘を聞くより、実際に除夜の鐘を撞くのも、良いですよ。



ゴルフ界のドン杉原輝雄氏死去

2011-12-29 06:19:26 | Weblog
12月29日付 編集手帳 読売新聞
 {〈ラフあれば苦あり〉はゴルフを愛した映画評論家、双葉十三郎さんの作といわれる。アマチュアの愛好家はもちろんのこと、プロもうなずくだろう。
◆きのう74歳で死去した杉原輝雄さんは 稀有 ( けう ) の人であったらしい。ラフどころかバンカーも苦にしなかった。49年前に日本オープンで初優勝したときは、「バンカーは得意なので、17番ではわざと入れた」と語っている。
◆身長162センチ。口癖は「プロゴルファーの中で僕が一番飛ばない」。正確無比なショットと、“マムシ”と呼ばれた勝負への執念で、体格の不利をはねのけた。
◆「生涯現役」を体現した人でもある。60歳で前立腺がんを患い、投薬治療を続けながらツアーに出場した。国内最年長の予選通過記録を達成したのは闘病生活に入ったのち、68歳のときである。「(プロに転向した16歳の石川遼選手を)僕は一方的にライバルだと思っている」と語ったのは、70歳のときだった。
◆前を向く、ただそれだけのことがむずかしいご時世である。病気という人生の草深い“ラフ”にうつむくことなく、前を向いてクラブを一心に振りつづけた人に、頭が下がる。}

 1957年にプロ転向。62年の日本オープンで初優勝した。160センチと小柄ながら豊富な練習と体力強化、テクニックなどで補い、日本ゴルフ界の第一線で長く活躍、「プロゴルフ界のドン」と呼ばれた。 プロ通算63勝。うちシニアで6勝、ゴールドシニア2勝、海外は1勝。98年には前立腺がんになっていることを公表。60歳を過ぎていたため、体力の回復に時間がかかるとして手術を受けず、レギュラーツアーにこだわりながら生涯現役を貫いた。病気と闘いプロゴルフを続けた、プロ中のプロであった。ご冥福を祈りたい。 




今年の十大ニュース川柳

2011-12-27 06:35:09 | Weblog
12月26日付 よみうり寸評
{読者が選んだ〈日本10大ニュース〉を時事川柳で振り返る。今年の1位はだれが選んでも不動
◆〈1〉東日本大震災で「陸に船海に家浮く地獄絵図」「触れるものすべて更地にした津波」「津波連れ神も仏もない地震」だった
◆〈2〉サッカー「なでしこジャパン」世界一は、被災地ばかりか全日本を元気づけてくれた。「ノーメイクでもナデシコの美しさ」「なでしこが日本男子の尻叩(たた)く」〈3〉福島原発事故で深刻な被害。「フクシマもツナミも苦い国際語」〈4〉大相撲で八百長が発覚。「取り口はメールで決めた通りです」
◆〈5〉新首相に野田佳彦氏。「つじ立ちの千葉からドジョウ這(は)い上がる」〈6〉スカイツリー「世界一」634メートルに。「GDPスカイツリーに励まされ」
◆〈7〉大型台風の上陸相次ぐ。「雨の名の風情なくして降るゲリラ」〈8〉大阪市長に橋下氏。「これからは市長が仕切る大阪府」〈9〉7月、テレビ放送が地デジに。「アナログよさらば菅さんまだですか」
◆〈10〉節電の夏。「テンキよりデンキ予報が気にかかり」の夏だった。}

 東日本大震災、福島原発事故、大相撲で八百長が発覚、大型台風の上陸、節電の夏と、今年は悲しいニュースが多く、楽しいニュースは、なでしこジャパンが優勝し日本を元気づけてくれたこと、政治の世界では新首相に野田佳彦氏になり、国民は期待したが、増税の事ばかりで、マニヘストは完全無視、大阪市長に橋下氏の当選で、日本を変えてくれるか興味がわく。節電の夏とテレビ放送が地デジで右往左往した年だった。

今年も列島に歓喜の歌が響く

2011-12-25 06:44:40 | Weblog
12月24日付 よみうり寸評
 {「歓喜の歌」で知られるベートーベン作曲「交響曲第9番」の日本初演は、第1次世界大戦中の1918年6月。徳島の捕虜収容所のドイツ兵による演奏だった。
◆「捕虜は恥」との考えが根強かった当時の日本で、会津出身の収容所長・松江豊寿は、人道的な処遇に心を配ったという。第9演奏には捕虜たちの感謝の気持ちが込められていたに違いない。
◆時は流れて、今は師走になると、プロ・アマ問わず、第9の公演が開かれるのが当たり前の光景となった。今年も列島に歓喜の歌が響く。
◆東日本大震災に見舞われた岩手県釜石市。今月11日に行われた演奏会には、市民合唱団に交じって地元・釜石東中学校の全校生徒が参加した。
◆津波に襲われながら、自ら危険を察知して避難し、「釜石の奇跡」と呼ばれた子供たちだ。〈私たちは震災にも負けず、笑顔で元気でがんばってるよ〉。会場には生徒一人ひとりのメッセージも掲示された。
◆生きている喜び、支援への感謝。思いを託した歌声は被災地を勇気づけたことだろう。}

 ベートーベン作曲「交響曲第9番」と言うと、年末の恒例行事として、各地でプロ・アマが参加して演奏会が開催される。歓喜の歌は震災で心沈んだ気持ちを勇気づけ、来年に向かって、生きている歓びを伝える歌それが「交響曲第9番」だ。来年こそ、本当に良い年であるよう願いたい。

『シクラメンのかほり』の歌詞が胸を痛くする年の瀬

2011-12-24 06:23:38 | Weblog
12月24日付 編集手帳 読売新聞
 {この季節、花屋の前を通るたびに思い出す歌がある。作者は『読売歌壇』の選者でもある小池光さんである。〈シクラメンすなはち豚の 饅頭 ( まんじゅう ) は花開きたりわが卓上に〉(歌集『滴滴集』より)
「豚の饅頭」という異名は、西洋でシクラメンの根や茎が豚のえさになったことに由来する英語名「sowbread」(=豚のパン)の翻訳らしい。花には幾らか気の毒な名前だが、木枯らしの吹く街で“花より豚まん”党の身には魅力的である。
◆今年に限っていえば、しかし、もうひとつの異名「かがりびそう」(篝火草)に心ひかれる。
◆いくらかねじれた 蝶 ( ちょう ) 形の花弁を篝火の炎に見立てた名前という。震災で肉親を失った人は、ほんの1年前、家族で過ごしたクリスマスの 団欒 ( だんらん ) の記憶を、胸のなかの篝火を見つめるようにじっと見つめているに違いない。
◆ 可憐 ( かれん ) な花に、小椋佳さんの作詞・作曲した『シクラメンのかほり』を口ずさむ人もあろう。疲れを知らない子供のように「時」は人を追い越していく。呼び戻すことができるなら 僕は何を惜しむだろう…。なじみの歌詞が、これほど痛く胸を刺す年の瀬もない。}

 いつもの年であれば、クリスマスの 団欒を愉しく過ごしていただろうに、震災で肉親を失った人にとってはつらい日となってしまった。この時期クリスマスの電飾で飾られ、町は賑わいを見せている。過ぎた幸せの日々を思い出す度に、涙するに違いない。『シクラメンのかほり』の歌詞が、これほど痛く心を痛くする年の瀬はなかったと思う。