喜多院法興寺

住職のひとりごと

法興寺の天台八祖大師

2018-07-02 10:52:31 | Weblog
天台八祖大師は珍しいとい言うことで、6月27日、南総教区研修所の濱名徳順主事を中心とした5人の研修員により、調査研修がおこなわれた。調査前は仏像図彙(伊藤武美)を参考にして、天台大師・伝教大師は分かっていたが、他の六祖については想像するしかなかった。今回の調査で修理札が見つかり、色々なことが判明した。調査前の配置は①南岳大師②智証大師③妙楽大師④天台大師⑤伝教大師⑥章安大師⑦慈覚大師⑧慈恵大師の配置で並べていた。また、中国側に智証大師が混入・日本側には章安大師が混入さあれていた。
調査後に伝教大師大師を中心に日本は左から四祖、右は天台大師を中心に四祖に並び替えをして安置した。
 左から慈恵大師・智証大師・慈覚大師・伝教大師・天台大師・妙楽大師・章安大師・南岳大師。
 伝教大師・天台大師の像は首が外れないが、他の像は首が外れて中から修理札や、首に大師名が明記されていた。そこで大師の名前や、創建日時が判明した。この八祖大師像が創建されたのが法興寺67世住職、玄海の時享保5年(1720年)と判明。また、再興されたのは71世住職、諄慶の時で住職は羽黒山の別当になった為に、留守居住職代理として光憲により寛永元年(1744年)再興された。修理札には寄付者の名前があり日置宇兵衛・柳谷の中村六兵衛の娘、おさん・おしんが書かれていた。

上総国薬師如来霊場会中開帳特別法要

2015-04-26 17:16:47 | Weblog

上総国薬師如来霊場会では中開帳(五月八日~六月八日)を実施するに当たり、去る四月十六日に、七十名が参加して結願寺である芝山町の観音教寺本堂にて特別祈念法要が行われた。午前十一時より進藤明照師の半鐘の合図で霊場会順に住職たちが入堂、特別記念法要が執り行われた。上総国薬師如来霊場会中村守正会長導師はのもと、会奉行に田中隆鏡副会長の司会進行で、霊場会会員住職出仕により特別祈念法要が執り行われた。
松崎馨田師の法要宣言の後、経頭の渡邊秀雄師の発声でご法楽が開始された。懺悔文・三帰礼文・十善戒・三昧耶戒.真言・開経文・般若心経・光明真言の後、詠頭の中村隆智師が発声して、*1ご詠歌(薬師如来、観音教寺)が奉詠された。ご宝号・ふ普えこう回向で法要を終えた。
続いて導師である中村会長が「上総国薬師如来霊場会が出来て十七年が経過し、今回で三回目のご開帳になること。会長が霊場会に入った経緯を話された。「秘仏のお薬師様が何十年もご開帳せず、ご開帳の方法も分からなかったが、霊場会の加入で念願のご開帳を果たせたこと。もう一つは、三十年前に大腸ポリープが肥大し、腸閉塞の状態で大腸を六十センチを切除、そのご癌の転移もなく、元気に過ごせたのは、お薬師さまのお陰なので、会長職を引き受けた。」と挨拶した。
その後、法要終了宣言を岩瀬弘明師が行い、本堂前にて参加者全員による、記念撮影があり、護摩堂にて記念式典が行われた。
高野公義師の開会宣言で式典がスタートした。来賓を代表して新上総三十三観音霊場会庄司斉彦会長は「兄弟霊場会として互いに頑張りましょう」と挨拶した。続いて観音教寺の山主である濱名徳永大僧正の挨拶では、薬師霊場会発足の経緯と思い出話が話せれた。観音教寺の稲垣弘事務局長の乾杯で、懇親会が始まった。中村会計から観音教寺さんを始め、多くの賀儀について報告があった。会場は司会の田中副会長の軽妙な話術に式典と懇親会が盛り上がった。今後の計画に反映しようと檀信徒から、アンケートを募集、和やかなうちに式典懇親会が進み、鈴木政雲副会長から、中締め終了宣言がり、全てを終了した。
* 1「薬師仏 願へもろびと身の病こころの病 得ざるはなし」「ありがたや信心癒すのりの寺 るりのくすしも みてのまにまに」

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上総国薬師如来霊場第3回巡拝研修会開催

2014-10-30 16:50:17 | Weblog
平成26年10月26日会場  東京ベイプラザホテル

巡拝寺院 31番長楽寺(木更津)・32番栖安寺(木更津矢那)・16番の喜光院(袖ヶ浦)・15番 成田山新宿不動堂

上総の薬師如来霊場が発足して16年が経過し、平成22年にご開帳が行われました。12年後のご開帳だと、間隔が開きすぎと言うことで、来年度に中開帳の開催が決まりました。開闢特別法要を4月16日結願寺である観音教寺での開催を皮切りに5月8日~6月8日の以下月間実施します。すでに準備に取り掛かっています。今回の巡拝研修で参拝の仕方を身に着けて頂き、ご開帳時の団体参拝の先達を期待すると中村会長の挨拶。
 像法寺所有のバスに乗りで巡拝参拝が開始された。まず一番最初に31番長楽寺(木更津)に到着。水屋で手を清め、お賽銭を上げた後に、本堂にて円如寺竹井副住職の経頭により法要が営まれた。「懺悔文(さんげもん)・三帰禮文(さんきらいもん)・十善戒(じゅうぜんかい)・発菩提心真言・三昧耶戒(さまやかい)真言・開経文・般若心経・光明真言・長楽寺ご詠歌・ご宝号・普回向(ふえこう)」参加者一同心、を一つにしてお経をお唱えした。長楽寺住職よりご挨拶の後、お茶のご接待を戴いた後、山門まえで記念写真を撮った。
 続いて32 栖安寺(木更津矢那)に到着、新たに出来た水屋で身を清め、本堂にて法要の後、住職から千葉県で三軒しかない臨済宗寺院でその他の寺も兼務しているとお話があり、茶湯のご接待を戴き寺を後にした。
 次は袖ヶ浦に向かい16番の喜光院に到着。薬師堂にて法要を行い、住職である中村会計から寺の歴史を話をされた後、お茶の接待を戴き、15番成田山新宿不動堂に向かう。本堂にて法要の後、進藤住職からお話とお茶の接待があり、東京ベイプラザホテルに帰り、昼食を兼ねた懇親会が開催された。
 像法寺田中副会長から総括を含めたユウモアのある挨拶で懇親会が開催され、参加者の懇親を深めながらの、楽しい懇親会となった。玉泉寺の住職の渡辺理事の中締めで会を終了した。
http://white.zero.jp/yakushi/study/study.html

新上総33観音霊場5月18日~6月18日午年ご開帳

2014-04-25 11:50:17 | Weblog
新上総33観音霊場会では5月18日~6月18日午年ご開帳を実施するに当たり、去る4月18日に33番札所である芝山の観音教寺本堂で、特別法要が行われた。山主である濱名徳永大僧正のお導師のもと、霊場会会員住職の出仕して、特別法要と観音教寺ご詠歌「はるばると 雲のほとりの寺に来て 月日をいまはふもとにぞ見る」を奉詠し、参加者一同 観音様の功徳を感じた。
1ヶ月後のご開帳に向け記念式典行われた。来賓に上総薬師霊場会会長・関東八十八ヶ所霊場会会長の祝辞と、観音霊場会の庄司会長の挨拶の後、観音教寺稲垣事務局長の乾杯で、懇親会が始まった。田中副会長のユーモア溢れる司会により式典が盛り上がった。
5月18日~6月18日のご開帳には、皆様の悩みを観音様は慈悲の心でお救い下さいます。また、旅立たれた人を偲びながら自分を見つめながらの、霊場巡拝も良いものです。

第2回上総国薬師如来霊場巡拝研修会開催

2013-11-26 08:40:01 | Weblog

平成25年11月25日
集合会場 一宮館
 
前回の巡拝研修が好評だった事もあり今年度の事業計画に巡拝研修会が計画された。今年の巡拝研修会の目的として、新たに加盟した霊場会の強化育成と、薬師霊場会の活性化するため、霊場巡拝先達を養成したいとの願いから計画実施された。
平成25年11月25日AM8時30分、集合会場の一宮館に28名の霊場会所属の信徒と住職が集合した。受付会計の担当である喜光院中村氏に納経帳差し替え分を渡した後、最勝福寺の鈴木副会長の司会進行で研修会が始まった。次に像法寺の田中副会長より法要の前に参拝の仕方の説明と巡拝の日程が報告された。続いて薬師霊場会会長である法興寺の中村会長から研修会の目的と挨拶があり、AM9時、像法寺所有のバスに乗車し、鈴木副会長から参拝の仕方について、「札所に到着したら先ず手洗い、うがいをして身を清める。山門にて本尊の出迎えを感じ一礼をし、納札・写経の用意があれば所定の場所に収める。その後、灯明。線香・賽銭をあげる」等の注意があった。
最初に向かったのは、30番西善寺。 成田山の進藤常務理事の経頭により法要が営まれた。「開経文・般若心経・光明真言・各霊場のご詠歌・ご宝号・普回向」参加者一同,
心を一つにしてお経をお唱えした。西善寺の岩瀬住職から参拝巡礼に感謝の言葉が述べられた。  次に御宿に向かい、24番最明寺に続いて28番妙音寺・29番円蔵寺・33番玉泉寺と、厳かに霊場巡拝の法要研修会行われた。各霊場の住職からご法話と、手厚いご接待に一同感激した。最後の霊場である玉泉寺の本堂前にて参加者全員での記念写真を撮影し、集合場所の一宮館に午後1時30分に無事帰還する。
像法寺の田中副会長の司会進行定期巡礼の趣旨を面白く説明されたで懇親会の部に入った。次に法興寺の中村会長から霊場会の経過報告とお礼の挨拶があり、法興寺総代の松本氏の乾杯発生で、和やかなうちに懇親会が行われた。午後3時になり観音教寺の稲垣氏の中締めを行い、研修会の全ての行事を終了した。
今回参加されたお檀家さんに、感想、ご意見を頂くことになり、参加者を代表し1名のご意見を発表することにした。「霊場巡拝研修に参加させて頂来まして有難うございます。5ヶ寺を参拝させて頂きましたが、それぞれのお寺さんからのオモテナシを賜りました。またご山主様から、丁寧なご挨拶を賜りました。それぞれの寺院の縁起なども聞くことが出来ました。最明寺さんでは観音霊場参拝研修の時にもご縁があって、お邪魔することが出来ました。妙音寺さんでは網代湾の日向薬師のお話も感動をもって聞くことが出来ました。また、円蔵寺さんでは虚空蔵菩薩(本尊様)を慈覚大師作だと教えていただきました。     また、玉泉寺さんの長南武田氏の建立と言うことにも驚きました。」
http://white.zero.jp/yakushi/study/study.html



東京にオリンピックがやって来る

2013-09-10 09:39:34 | Weblog
9月9日 よみうり寸評 読売新聞

 {7年後、2020年に自分は何歳になっているか。きのうは多くの人がこの計算をしたことだろう◆その年、東京で夏季五輪・パラリンピックが開催される。再び東京にオリンピックの感動がよみがえる。あの1964年の東京五輪から56年ぶりの開催だ◆日本時間の8日午前5時20分、国際オリンピック委員会(IOC)のJ・ロゲ会長が開催地を「TOKYO」と告げるとブエノスアイレスで、東京で、この瞬間を固唾かたずを呑のんで見守っていた人たちの歓声が沸いた。抱き合い、肩をたたき合い、歓喜の渦ができた◆同じ一つのことで日本人が一つになってこんなにも喜び合ったのはいつ以来だろうか。これで7年後に向け、同じ希望の絆をもって元気にスタートできる◆「五輪という新しい〈坂の上の雲〉を目指すことで〈心のデフレ〉を取り払い、国全体が自信を取り戻すきっかけになる」と猪瀬直樹東京都知事◆そう。〈2020年東京五輪〉は日本の新しい〈坂の上の雲〉になった。そのことを心からうれしく思う。}

 「復興五輪」を掲げる東京五輪の決定から一夜明けた9日、被災地からも歓迎の声が上がった。ただ、復興に向けた課題は山積。「五輪よりも復興を優先してほしい」と複雑な表情を浮かべる被災者もいた。安倍総理は福島原発の放射能について、完全にコントロール出来ていると宣言したが、福島県では東京電力福島第1原発の汚染水漏れや放射性物質の除染が進まない問題を抱える福島市の周辺市民や漁協関係者は不信感がつのっている。福島宮城の県知事達からは歓迎のコメントが寄せられた。7年後のオリンピックまで、福島原発の汚染水や、被災地域の完全復興が完了することを祈りたい。
 

ヤクルトの宮本が引退表明

2013-08-27 08:56:39 | Weblog
8月27日 編集手帳 読売新聞

 {英国の化学者、ファラデーは『ロウソクの科学』に書いている。〈夜にダイヤモンドが光っているなら、それはその上に炎が輝いているからです〉(岩波文庫)。プロ野球・ヤクルトの宮本慎也選手(42)に、光の情景が重なる◆たとえば遊撃手が鋭い打球を横っ跳びに好捕し、起きあがるや一塁に送球してアウトに仕留める。称賛は遊撃手の好守に集まるが、投手の胸には「打たれた!」という苦い敗北感が残る◆宮本選手はむずかしいゴロも正面でさばいてきた。「打ち取った!」と、投手がいい気持ちであとを投げられるように。好守ではなく好投が称賛を浴びるように。テレビで以前、そう語るのを聞いたことがある◆みずからはロウソクの炎に徹し、輝きはマウンド上の宝石たちに譲る。2000本安打、ゴールデン・グラブ賞10度の足跡もさることながら、惜しみない拍手が送られて然しかるべきはその、心のたたずまいかも知れない◆きのう、今季限りでの現役引退を表明した。さみしいけれど仕方がない。〈6〉の背中を見て育った後輩たちのなかからいつか、ロウソクの炎を受け継ぐ人が生まれるだろう。}

「守りに就けないのは引くとき」だとプロ野球・ヤクルトの宮本慎也内野手(42)が26日、東京都内の球団事務所で記者会見し、今季限りでの現役引退を表明した。自らのプロ人生を「仕事として真剣に19年やってきた」と振り返り、今後について聞かれると「外から勉強したい。(ヤクルトに)戻ってきてくれと言われるぐらいしっかり勉強したい」と述べた。1995年にヤクルト入団。95年、97年、2001年と3度の日本一に貢献した。12年には2000安打を達成。今季は控えに回り、代打で出場するケースが増えていた。通算成績は2137試合出場、2121安打、573打点、62本塁打。自ら主役を捨て投手を助け好守ではなく、投手が賞賛されるゲームにする姿勢はヤクルトの伝統として受け継がれることだろう。



特別講演「一隅を照らす落語」露の団姫(まるこ) 

2013-07-12 11:41:28 | Weblog
第15回「教区一隅推進大会」平成25年7月10日
いすみ市岬ふれあい会館で開催
特別講演「一隅を照らす落語」露の団姫(まるこ) 
「愛と優しさ人は育つ」ハープ奏者の永山友美子先生

 第15回南総教区一隅を照らす運動推進大会は、住職と檀信徒730名が参加し、平成25年7月10日、午後一時いすみ市「岬ふれあい会館」で開催された。
     
 午後一時、教区連合檀信徒会の稲垣弘副会長の司会により同檀信徒会の中村方保会計の「開式の言葉」で、福聚協会南総支部の「芽花の会・寺庭婦人・九部画」より、慈覚大師のご和讃他を披露した。続いて法楽は教区仏教青年会の硯山昌祐会長を導師により唄散華聲明を厳修し、般若心経を全員でお唱えした。

主催者を代表して浅野玄航宗務所長の挨拶と教区連合檀信徒会の花崎隆会長の挨拶が続き、細野舜海宗議会議員の祝辞があり、来賓の方々が紹介された。次に大会スローガン「あらゆる命を大切にしょう」「みなのために行動しよう」「自然の恵みに感謝しよう」と同連合檀信徒会の加藤元久前会長が宣言した。

 一隅推進運動の本部長福恵善高師から義援金の感謝の言葉があり、同連合檀信徒加藤澄敏会計から閉式の言葉があつた。
 特別講演を前に河野亮宏教区社会主任から講師の露の団姫師について、上方落語協会に所属、高座の他テレビ、ラジオで活躍。2011年に出家、天台宗の僧侶であることを報告した。

 始めに露の団姫師による「一隅を照らす」創作落語で会場は笑いに包まれた。
オペレッタ作家でアイリッシュ奏者の永山友美子先生は「グリンスリーブ・埴生の宿」等を演奏しながら、母の愛情の深さをユウモア溢れるお話と演奏で講演された。最後に同連合檀信徒会の太田雅美副会長の謝辞で大会を閉じた。
         

「安愚楽牧場」元社長が詐欺容疑で逮捕

2013-06-21 09:01:42 | Weblog
6月19日 よみうり寸評 読売新聞

 {〈安愚楽鍋あぐらなべ〉――仮名垣魯文かながきろぶんの作。明治の初期、牛鍋屋であぐらをかいて鍋をつついた庶民の会話を通して文明開化の世相を描いた◆魯文が今書けば、経営破綻の末、元社長が逮捕された「安愚楽牧場」(栃木県那須塩原市)のあれこれを取り上げるに違いない。牧場の社名そのものが安愚楽鍋からとったものだという◆警視庁は18日、同牧場の元社長、三ヶ尻久美子容疑者ら3人を逮捕した。同社の「和牛オーナー制度」の商法が特定商品預託法違反(不実の告知)に当たるという容疑◆顧客は繁殖牛のオーナーとなり、生まれた子牛の売却代金から配当を受けるシステムだが、契約の際の説明が不実◆飼育牛の数を過大に説明したり、架空の牛の耳番号で契約するなど虚偽だった。顧客数7万3000人、同社の負債は4200億円。返金見込みは210億円。この種の消費者被害としては戦後有数の規模◆経営破綻は一昨年8月のこと。被害者にしてみれば契約は不実どころか詐欺。逮捕は遅すぎ、行政の目は甘すぎた。}

 安愚楽牧場への出資者は約7万3千人、被害額は約4200億円にも上り、わが国史上最大の消費者被害で、詐欺容疑に問われている。騙される方もうかつであるが、雑誌の特集記事で、エコノミストが顔を出し「安心して投資できる」とPRしているのを読んで信用したと言う。当時の銀行の金利は年6~7%。同社は年10%超の高配当をうたっていた。100万円から始めて徐々に出資額を増やした出資者も多いという。当初からおかしいと思っていたが、関係省庁まで気がつくのが遅すぎた。出資金はほとんど戻ってはこないであろう。



今が蛍の季節か

2013-06-19 12:10:21 | Weblog

6月19日 編集手帳 読売新聞

 {妻が亡くなり、男のもとには二人の幼い子供が残された。男は子供たちを連れて蛍を見にいった。みどり色の、光の尾をひいて舞う蛍を見て思う。さびしいわが子を慰めようと、亡き妻が蛍に姿を借りてあの世から訪れたのだ、と◆〈其子等そのこらに捕とらへられむと母が魂たま蛍と成りて夜を来たるらし〉。窪田空穂うつぼである。一首の「母」を「父」に、「祖父」や「祖母」に、そっと置き換えて読んだ人もいるだろう。震災から迎えた3度目の、蛍の季節である◆何日か前の本紙・東京版で、東京都板橋区にある「ホタル生態環境館」の記事を読んだ◆福島第一原発の事故で全町避難がつづく福島県大熊町の川から卵を採取したゲンジボタルを、縁あって24年前から繁殖させてきたという。明滅する光に故郷の山や川が映るのだろう。期間の限られた一般公開の日には、涙を流す来館者もいると聞く◆〈太宰忌の蛍ゆきちがひゆきちがひ〉(石川桂郎)。都会の雑踏に暮らす身で、旅に出たときのほかはゆきちがう機会もあまりないが、この梅雨はどうだろう。「もしかして、あなたは…」と、昔の名前を尋ねてみたい虫である。}

 昔は家の近くで蛍を見たが、ヘリコプターでの稲の空中散布の影響と河川のコンクリートで囲まれた事で、蛍に欠かせない「かわにな」貝が減り、蛍がいなくなってしまった。いすみ市では山田川周辺を源氏ほたるの里として、自然保護を実施してうる。「源氏ほたるの里鑑賞の夕べ」は5月29~6月1日まで開催していた。あくまで鑑賞のためで、飛んできた源氏ほたるの捕獲は禁止している。今ならもしかしてほたるの光りが見えるかもしれない。