大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

駿河国・沼津眺望~駿河湾と千本松原~

2013年06月20日 15時14分05秒 | 地方の歴史散策・静岡沼津
東海道五十三次街道めぐりの旅もいよいよ沼津宿にさしかかります。お江戸を発って早12番目の宿場町である沼津について、1人想うことは「思えば遠くへ来たもんだ!」

武蔵、相模、伊豆を辿り駿河国へと入ってきた旅ですが、ここ沼津宿はお江戸から数えて12番目の宿場町です。

生まれて初めてやってきた「沼津」は私の長い人生の中では泊まる場所ではなく、たんに通過する場所でしかありませんでした。ましてや新幹線も停まらない沼津駅は使い勝手が悪いという先入観からか一度も降りたことはありません。

そんな沼津にやってきた第一印象は新幹線が止まらないにしろ、駅前はやけに発展している様子で、隣の三島に比べて若干ながら勝っているような感じがします。

いつもの通り、まずは旧街道筋へと向かうことにします。旧街道は駅から少し離れた狩野川沿いの「中央公園」前を通っています。その中央公園を本日の出発点として、次の宿場である「原」へと旅を進めることにしました。

中央公園

まずは沼津城本丸址碑を横目で見ながら中央公園を突っ切って、狩野川沿いに延びる「川廓通り」に入り、かつての沼津宿の中心へと旧街道を辿ります。

川廓通りはすぐに広い道に突き当り、旧街道は左方向へと延びています。その道筋をほんの少し進むと左手に沼津リバーサイドホテルが現れます。

そのホテルの前に置かれているのが「三枚橋城の外堀石垣」のモニュメントです。ほんの少し切り取って持ってきたかのように置かれた石垣ですが、これがかつての沼津にあったお城の痕跡を残す数少ない史跡のようです。

三枚橋城の外堀石垣

というのもここでいう「三枚橋城」とは江戸時代以前の戦国期にあの甲斐の武田勝頼公がここ沼津に気付いた城なのです。

ということは江戸時代の沼津城はこの三枚橋城の跡に新たに築かれたものなのですが、江戸期の水野五万石当時の城はことごとく取り壊され、現在の沼津にはその痕跡すら残っていないのが実情のようです。

かつての城下町で、城跡がまったく残っていないのは非常に珍しいことではないでしょうか。

そんな石垣モニュメントをあとにして、次の交差点である「通横町」に達します。ここで旧街道は大きく右へ折れ本町交差点へと繋がっていきます。

本町交差点で信号を渡り下本町交差点へと向かいますが、この道筋こそがかつての沼津宿で一番賑わっていた通りなのです。この通りにそって次から次へと本陣、脇本陣の跡が現れます。

進行方向左側にはそれほどの距離を置かずに高田本陣、中村脇本陣そして清水本陣、道路を挟んで反対側には間宮本陣が屋敷を構えていたようです。本陣3軒、脇本陣1軒という数からして沼津はそれなりの規模をもった宿場町であったことが窺がえます。

高田本陣跡
中村脇本陣跡
清水本陣跡

想像するにそれぞれの本陣に大名行列のお殿様や幕府重鎮はたまた朝廷からの勅使などが同じ日に宿場入りしたとしたら、さぞや賑々しく、上へ下への大騒ぎになったことでしょう。はたまた本陣差し合いなんてことになったのではないかと思うことしきりです。

旧街道は下本町交差点で再び大きく右へと折れていきます。そして浅間神社前を通りそのまま真っ直ぐに原宿へと延びていきます。

本来であればそのまま旧街道を直進していくのですが、せっかくの沼津ということで沼津らしい場所を探しに道を逸れて進むことにしました。

浅間神社が社殿を構える交差点を反対側に渡ってみることにしました。というのも交差点を渡ったところになにやら由緒ありげな立派な山門を構える寺が見えるのです。

乗運寺山門

これは行って見る価値がありそうということで向かうことにしました。
寺の名は乗運寺。浄土宗京都知恩院の末寺で増誉長円(ぞうよちょうえん)上人によって1537年に開基しました。

乗運寺本堂

そしてこの増誉上人こそがここ沼津から田子の浦にいたる海岸に延々とつづく「千本松原」を造ったお坊様であることが寺に入って初めて知ることになったのです。

増誉上人像

その云われは、増誉上人は知恩院で学んだのち修行のため諸国を行脚し、この地にやってきました。すると以前鬱蒼と繁っていた海岸の松原は、戦乱のため伐り払われ見る影もなく荒廃しており、住民は潮風の害を受けて苦しんでいました。
これを見た増誉上人は、松原を元の姿に戻そうと考えましたが、この浜は荒い石の原で砂地が少なく、潮風も強いため、松苗を植えることは容易ではなく、なかなか根付きませんでした。増誉上人は松苗を1本植えるごとに阿弥陀経を誦(じゅ)し、植え且つ読経(どきょう)しつつ、ついに1千本の松を植える悲願を達成したそうです。天文6年(1537)のことで、今から450年ほど前のことと伝えられています。

そしてもう一つこの寺を世にしらしめているのが、あの漂泊の詩人である「若山牧水」が眠っていることです。若山牧水は日本全国を旅していましたが、終の棲家にしたのは温暖な気候の沼津で、亡くなったのもここ沼津です。

若山牧水墓

牧水の墓は山門を入ってまっすぐに進んだところに置かれています。

ところでここまでやってくると、海はもう目と鼻の先ではないか、ということで駿河湾の広がりを目にしたい一心で海岸へ向かうことにしました。乗運寺から海岸まではおよそ700mほどの距離です。

海岸が近づいてくると鬱蒼とした松林が現れます。これがあの増誉上人が植えた松のことだろう、と勝手に思いながら海岸の手前の堤防へと辿りつきました。

千本松公園

堤防を登ると目の前に駿河湾が大きく広がっています。左手には伊豆半島の大瀬崎、右手には遥か彼方までつづく松原と弓のように大きく湾曲した駿河湾、更には御前崎へと連なる陸地が大パノラマとなって展開します。

大瀬崎遠望
千本松原遠望

雲がなければ千本松原越しに美しい富士山の姿が見えるのですが、生憎の曇天でその姿を見ることはできませんでした。

そうであれば、この際だから沼津港まで足をのばしてみることにしました。駿河湾の絶景を眺めながら堤防の上を歩くこと20分ほどで沼津港至近に到着しました。

さらについでということで沼津港の入口にそそりたつ大きな水門「びゅうお」にものぼってみることにしました。津波を防ぐ目的で沼津港に造られた大きな水門で展望施設まで備えています。
大人一人100円の入館料を払い、エレバーターに乗り地上30mの展望階に到着します。

水門「びゅうお」

眼下には沼津港の外港と内港の全景、狩野川の流れと駿河湾に流れ込む河口、そして伊豆半島、駿河湾、千本松原が手に取るように広がっています。

沼津内港
沼津外港
狩野川河口

思いがけない感動を味わい、そして味わいついでに沼津港に揚がった新鮮な魚を賞味することにしました。





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