父親が他界した30年ほど前に実家から古めかしい箱が一つ送られてきたのですが、その当時は開封することもなくそのままワードローブの奥にしまいこみ、いつしか忘れ去られていました。そして家族の誰もがそんな箱に気付かず30年が過ぎてしまいました。
先日、暇にあかしてワードローブの整理をしていると、何やら忘却の彼方に置き去られていた箱がワードローブの奥に置かれているではありませんか。まずは箱を引っ張り出し、広い場所へ移動した上で、まるで浦島太郎の心境でおもむろに箱の蓋を開けてみることにしました。
まず目にしたのが、巻物が数巻と歴史を感じさせるような古めかしい錦織に包まれた箱が並んでいました。はやる気持ちを抑えながら、巻物を順番に広げていくことにしました。
悟由禅師之書
そして最初に広げた巻物(掛け軸)が今日のお題の「書」だったのです。巻物を紐解いて開いていくにつれ、目の前に現れる見事な書体の文字を眺めつつ、まず頭に浮かぶのは誰が書いたものなのか、そしてどれほど古い時代のものなのか、と自問自答する始末です。
悲しいかな書かれた文字はまったく判読することができません。が、筆者であろう「永平悟由」の文字と落款を見つけました。) 落款は道号の大休悟由(だいきゅうごゆう)となっています。
悟由禅師之落款
永平悟由と落款
もう一つの落款
早速、WEBで「永平悟由(えいへいごゆう)」を検索するとヒットしたではありませんか。
そして下記のようなプロフィールが記述されていました。
《永平寺六十四世 森田悟由禅師》
(世称)森田悟由(もりたごゆう)
(道号・法諱)大休悟由(だいきゅうごゆう)
(禅師号)性海慈船禅師(しょうかいじせんぜんじ)
(生誕)天保5年(1834)1月1日
(示寂)大正4年(1915)2月9日
(世壽)82歳
(別号)「六湛」「空華」
(特記) 大本山永平寺重興
※森田悟由禅師の詳しい記述は下記のwebを参照してください。
http://eiheizen.jimdo.com/
ちなみに我が家の宗派はもちろん曹洞宗ですが、この書が我が家に伝わったいきさつは皆目わかりません。少なくとも100年は経過していると思われるのですが、家系図を調べてみると私の祖祖父が秋田・能代の曹洞宗寺院である玉鳳院で「十三世瑞雲補天大和尚(禅師)」名で住職を務めたことで悟由禅師または大本山永平寺さんとなんからの接触があったのでは…と推測します。
マンション住まいの我が家には畳敷きの日本間もなければ、ましてや床の間もないのです。すべての部屋がフローリングのため、掛け軸を掛ける場所すらありません。やっと日の目を見た悟由禅師直筆之書も再び箱に戻し、次にお会いできるのはいつになるのやら、と一人思うのです。
このほか興味をそそる巻物がいくつかありますので、順に紹介してまいります。
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先日、暇にあかしてワードローブの整理をしていると、何やら忘却の彼方に置き去られていた箱がワードローブの奥に置かれているではありませんか。まずは箱を引っ張り出し、広い場所へ移動した上で、まるで浦島太郎の心境でおもむろに箱の蓋を開けてみることにしました。
まず目にしたのが、巻物が数巻と歴史を感じさせるような古めかしい錦織に包まれた箱が並んでいました。はやる気持ちを抑えながら、巻物を順番に広げていくことにしました。
悟由禅師之書
そして最初に広げた巻物(掛け軸)が今日のお題の「書」だったのです。巻物を紐解いて開いていくにつれ、目の前に現れる見事な書体の文字を眺めつつ、まず頭に浮かぶのは誰が書いたものなのか、そしてどれほど古い時代のものなのか、と自問自答する始末です。
悲しいかな書かれた文字はまったく判読することができません。が、筆者であろう「永平悟由」の文字と落款を見つけました。) 落款は道号の大休悟由(だいきゅうごゆう)となっています。
悟由禅師之落款
永平悟由と落款
もう一つの落款
早速、WEBで「永平悟由(えいへいごゆう)」を検索するとヒットしたではありませんか。
そして下記のようなプロフィールが記述されていました。
《永平寺六十四世 森田悟由禅師》
(世称)森田悟由(もりたごゆう)
(道号・法諱)大休悟由(だいきゅうごゆう)
(禅師号)性海慈船禅師(しょうかいじせんぜんじ)
(生誕)天保5年(1834)1月1日
(示寂)大正4年(1915)2月9日
(世壽)82歳
(別号)「六湛」「空華」
(特記) 大本山永平寺重興
※森田悟由禅師の詳しい記述は下記のwebを参照してください。
http://eiheizen.jimdo.com/
ちなみに我が家の宗派はもちろん曹洞宗ですが、この書が我が家に伝わったいきさつは皆目わかりません。少なくとも100年は経過していると思われるのですが、家系図を調べてみると私の祖祖父が秋田・能代の曹洞宗寺院である玉鳳院で「十三世瑞雲補天大和尚(禅師)」名で住職を務めたことで悟由禅師または大本山永平寺さんとなんからの接触があったのでは…と推測します。
マンション住まいの我が家には畳敷きの日本間もなければ、ましてや床の間もないのです。すべての部屋がフローリングのため、掛け軸を掛ける場所すらありません。やっと日の目を見た悟由禅師直筆之書も再び箱に戻し、次にお会いできるのはいつになるのやら、と一人思うのです。
このほか興味をそそる巻物がいくつかありますので、順に紹介してまいります。
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