この日を迎えるといつもこのことを思い出す。あまりにくだらない日記だけどすべてが事実で、笑えないほど心に残る一日だった。今思い浮かべると浮かれすぎた生活の中に突然の雷雨が来たような感じがした。今朝もすごい雷がなっていたけど、あの雷にも負けないくらい強烈だった。今の私たちの生活の中で生死をかけるような瞬間はまずない。だからもう人が死ぬと言う話になった時点でテレビの中の話になってしまう。今私は給料に含まれているほんのわずかな助成金をカンボジアの子どもたちのために毎月募金しています。このNPO団体も会社の一部だから有志といっても半ば強制的ではあるけれど、私は自戒の意を込めて普通の人の3倍の金額を募金することにしています。今日食べる食料のために働く子どもに何を教えることが教育か。ここで出会ったことさえも見えない振りをして生きていくことに負い目を感じることはしたくない。そしてその活動を続ける人々の姿に惚れました。真の意味で言うのであればかつかつ生きていく以外の金はすべて募金するのが私の話す筋道なのかもしれない。でも私にも描いた夢があるからそれはできません。また言い訳を・・・。とにかく彼らが大人になったときどれだけのことが出来るのだろう。生死を常に背負った人間が力を持ったとき何が起きるのだろう。そう考えます。戦後の復興を支えた祖父母たちもまさにその環境だったのだろうと思います。貧しさからは物欲しか産まないのか。きっと違う、わずかな給食を友達の兄弟のために分けてあげるような子どもたちが大人になったときを想像したらワクワクしませんか。まあそんな子どもたちの横を政府の人間がレクサスに乗って通り過ぎるような状態だけは何とかしたい。
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