加古川市米田町をゆく(5) 米田小学校②・越境問題
昭和33年4月の新学期、84名の児童は、米田小学校へ通学し、5月に入っても77名の児童が越境入学しまし。
6月22日、加古川市教委から、米田小学校へ通学している児童は、川西小学校へ復帰するよう文書が配られました。
このままの状態が続けば、進級できないことも予想されました。
高砂市教委から、二学期から川西小学校へ復帰すれば出席・成績等は考慮すると言うことも提案されました。
二学期が始まりました。依然として73名の児童が米田小学校へ登校しました。
机・椅子等が用意されていません。そのため廊下での待機でした。
事態を重視した両教委は、緊急会議を開き「当初の方針どおり、米田小学校へ通学を認めないこと」を確認しました。
保護者との話し合いは、もめにもめ、結局「二学期は、現状維持」とする暫定措置で了解しました。
10月はじめ、高砂市から三学期からの米田小学校への越境を絶対に認めないことの申し入れがあり、加古川市も了解しました。
やがて、三学期の始業式(1月6日)がはじまりました。
73名のうち56名が川西小学校へ登校しましたが、残る17名は依然として米田小学校へ通学したのです。
これらの児童は、学校から拒否されながらも9日まで強引に登校を続けました。
17名の保護者は、10日に「盟休声明書」を関係当局にくばり、「寺子屋授業」を始めました。
その後、各方面からの説得もあり、3月半ば問題は急転直下解決となり、17名全員は川西小学校へ登校することになり、ようやく、川西小学校問題は解決しました。
なお、幼稚園や中学校についても問題はあったのですが、大きな問題にはなりませんでした。
*写真:川西小学校の円形校舎(現在は、老朽化のため建てかえられています)
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