志方町をゆく(95) わたの里(11) 加古川地方の綿栽培の復活を
綿栽培は多くの労働力と肥料を必要としますが、収益性の高さから、16世紀初頭、東北地方を除く日本各地に栽培がりました。
加古川・高砂地域では江戸時代において、日本有数の生産地で、現在の加古川市域の印南郡・加古郡は、畑で麦との二毛作によって綿が栽培されました。
しかし、江戸時代から明治時代初期まで隆盛を見せたものの、前回紹介したように開国以来、綿作は急速に衰えました。
現在の加古川市では、旧印南郡の志方町において、かつての綿栽培に脈絡のある靴下生産が地場産業として続けられています。
日本有数の生産量 をあげていたタオル産業が2000年代まで立地し、その記憶は今なお住民の心に刻まれてます。
綿花栽培の歴史は、一部の地域住民や事業者によって再発見され、近年の加古川市や周辺では、かつての綿栽培地域の記憶を残すかのように、志方町を中心、とする肌着メーカーによる地元原料による靴下生産を目指す加古川コットンプロジェクトなどを進められています。
加古川コットンプロジェクトでは、靴下産業の再興を目標に、地域の営農組合や地元の小学校と連携しながら、地元の肌着メーカーであるワシオ(株)が中心となって取り組みを進められておられます。
稲岡工業については後に再度紹介しますが、1891年には、志方地区の木綿商稲岡家がタオル製造に乗りだし、稲岡商店を設 立しました。
当初手織でしたが、機械化を進め、海外輸出を積極的に手がけ、明治~大正期には、全国輸出量の15%程を占めました。
ま た、明治時代に靴下編立機がもたらされたことがきっかけとなって、志方地区で靴下の製造が開始され、大正時代以降、技術革新により急速に発展しました。現在も地場産業として生産が続いています。
*写真:「兵庫経済新聞」の取材を受けるカコットンプロジェクト代表(ワシオ株式会社社長・鷲尾吉正氏)
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