神野町をゆく(82) 江戸の初めは大開拓時代
関ヵ原の戦い(1600)を中心とし、その前後約60~70年ほどのあいだ、つまり戦国初頭から四代将軍家綱の治世半ばごろまでは、わが国の全歴史をとおしてみても、他の時代に類例がないほど上木技術が大きく発達した時代でした。
土木技術を大別すれば次の三分野に分けることができます。
(1)鉱山開発技術、(2)築城技術、(3)用水土木技術。
戦国時代の支配者は、武勇・武略と同時に、治水土木にも有能でなければ、戦国時代を勝ち抜けませんでした。
戦国争乱を生きぬいて大をなした人は、すぐれた治水土木家でした。
やがて、関ヶ原の戦いを最後に戦国時代は終わり世の中は戦争のない平和な時代(江戸時代)になりました。
(1)~(3)の技術は、平和な事業に利用されました。一番大きかったのは用水土木技術が耕地開発に利用されたことです。
江戸時代の初期は、ものすごい勢いで荒れ地が耕地に変えられた時代となりました。日本の農村の原風景は、この時代に形づくられたといえます。
江戸時代の初期は、まさに日本の大開拓の時代でした。
福沢の開村は 延宝七年(1679)
福沢村もこの大開拓時代に開村をしています。
福沢村の天満神社には、次のような開村顕彰碑があります。読んでおきましょう。
延宝七年(1679) 加古新村才兵衛 石守村
嘉兵衛 福里村(福沢村)吉左衛門相謀り
福沢新村を開発す 開村三百年を記念し、茲(ここ)に顕彰す
昭和五十三年十月吉日 福沢村中
*写真:福沢天満神社
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