大分トリニータのポスターをいつも貼らせていただいていた太田ぎょろっけ様が移転しました。
そもそもどうして太田ぎょろっけ様のホワイトボードにトリニータのポスターを貼らせていただくことになったのか、から書きたいと思います。
太田ぎょろっけ様との付き合いは約20年以上になります。
大分県臼杵市から津久見市に入ると目立つ場所にあったのが太田ぎょろっけ様。
おかずに良し、つまみに良しの美味しいぎょろっけを販売しているお店です。
そのお店の前にあったホワイトボード。
もしそこにトリニータのポスターを貼らせていただいたら、と思いお願いしたのが2011年2月28日でした。
「2011年2月28日」
社長は気さくにOKしてくれました。
それがこのポスターです。
それからずっと貼らせていただくようになりました。
「2011年5月13日」
最初は半分だけでしたが「全部使って良いからもっと目立つ色にしたら」という社長(当時は専務)からの提案で5月13日に作ったのが黄色をベースにニータンを使ったポスター。
おかげでかなり目立つようになりました(笑)
「2011年8月19日」
さらに目立つようにボードの上に「大分トリニータ!」の文字を入れました(笑)
(大雨でポスターがダメになったのでポスターの上から透明のテープを貼っています)
「2011年9月21日」
9月の半ば「壁の吹き付けをするけんボードは撤去するで、ごめん」と言われたときは正直ショックでした。
ホワイトボードは無くなりました。
「2011年10月2日」
しかしサプライズがあり、前回よりもさらに大きくなったホワイトボードを作ってくれていました。
そこには「ガンバレ 大分トリニータ」の文字も!
社長のサプライズには泣けました。
ここまで書くと社長はすごいトリサポでは、と思いがちですがトリサポではありません。
ドームに行ったこともないし選手の名前も知りません。
トリサポのお客様が来店してトリニータの話をしてくるのが大変だ、とよくこぼしていました(笑)
(ただし奥様は昔、年に何回かドームに行っていたようです)
では、どうして私にここまで良くしてくれるのでしょう。
それは「2009年2月17日」に私がブログにアップした写真でした。
8年前の私の部屋です(かなり恥ずかしいのですが)
さらに「2009年12月1日」 の写真。
これはトートバッグを作って(約40個)トリニータに関心を持っていただこうと無料で配ったもの。
これらを見て「この男(私)のサポーターになろう」と思ったそうです。
後に嫁が「俺はトリサポじゃあねえけん。あんたの旦那(私)のサポーターじゃあけん」と社長に言われてビックリしたと驚いていました。
「2012年3月2日」
借金が明るみになり、募金を行い、J1に昇格した年の開幕戦のポスター。
「2012年6月5日」
J1昇格支援金の募金活動(チラシ配り)を津久見市で行いました。
「J1昇格支援金」のときはビックリしました。
店の前で奥様が待っていて、いきなり私に封筒を2枚くれました。
「あなたからは昇格支援金の事を言い出しにくいだろうから
用意して待ってました。主人と私の分ね」
これには涙が出そうなくらい嬉しかった ブログより
「2012年10月29日」
この年から始まったJ1昇格プレーオフ。
トリニータも6位に入り昇格を争うことになりました。
「2012年11月25日」
11月24日に国立でJ1復帰を果たした翌日。
「行こうぜ! J1」の文字を「やったぜ! J1 ありがとう」に(社長が)書き換えてくれていました。
私には後で「急遽やけん、字が汚くてごめんな」とあやまってきましたが、そんな事はないです。
本当にその気持ちをうれしく思いました。
「これはわしが好きな曲じゃけん、〇〇ちゃん、あんたにプレゼントするけん」
そういっていただいたのが 「ゆずの 栄光の架橋」でした。
「2012年12月18日」
本来のホワイトボードはお店のためのもの(当たり前ですが)
以下 ブログより
たしか12月1日でしたね。
社長が私に「うちの(太田ぎょろっけ)のポスターを貼りたいんでトリニータのポスターを剥がしていいかなぁ」と聞いてきたのは。
さらに「12月25日にはうちのを剥がすけん、その後だったら又トリニータ用に使っていいけん。悪いけど25日間だけ」
良いも悪いもありませんよ。
1年間も使わせてくれた上にお礼も一切受け取らない。
私はどうやってお礼をしたらいいんですか。
せめてこれくらいはと、妻と2人で休みの日にボードをキレイにしに行きました。
でもこんな事しかできなくて申し訳ない気持ちでいっぱいです。
以上 2012-12-21 ブログより
こんな心遣いをする社長でした。
「2012年12月25日」
「J1昇格のお礼」と「来季のシーズンパス」のポスターを貼らせていただきました。
「2013年2月18日」
2013年開幕戦のポスターです。
「2013年3月3日」
開幕戦の翌日、ポスターを貼り替えました。
「2013年4月1日」
普通のポスターだとなかなか見てもらえないのではないかと考え、この時から月日を大きく書いたポスターを作るようにしました。
「2013年4月19日」
蛍光色を使うと遠くからでもかなり目立ちます。
「2013年5月20日」
「2013年7月9日」
「2013年8月14日」
年末に嫁と2人でホワイトボードを綺麗にして1年間のお礼を言いました。
「2014年2月24日」
私たちにとって忘れられない年となった2014年でした。
「2014年3月20日」
「2014年4月22日」
「2014年9月8日」
2014年11月17日、讃岐遠征の途中に友人から
「太田ぎょろっけ社長」が亡くなったことを知らされました。
すぐに遠征を切り上げ翌日のお通夜に駆け付けました。
気遣いのできる人でした。
讃岐遠征の前日(11月11日)午後5時。
社長から私の自宅に電話がかかってきました。
「○○ちゃんか? 俺、明日から入院するけん」
ビックリする私に
「店の前のボードのことじゃけど、新しくしたけん」
「今度は雨に濡れんでいいけん。今まではガムテープじゃったけど今度は画鋲を使うたらいいけん」
「しばらく帰って来れんかもしれんけん」
「あんたんために作ったけん、遠慮はいらんけんな」
お礼を言い、明日から広島、香川に行くために1週間後しかお見舞いにいけない事をあやまり電話を切りました。
これが社長との最後の会話でした。
なんとなく・・・・わかっていたのかもしれません。
このお通夜の会場にエンドレスで流れていたのが社長が好きだった「ゆずの栄光の架橋」でした。
私にとって生涯忘れることのない曲。
だからこそ「清本拓己選手の動画 259日の奇跡」にも使わせていただきました。
ただもうこの先 大事なこの曲を使うことはありません。
「2015年1月18日」
大雨でもポスターがはがれる心配がなくなりました。
この年、トリニータはJ1昇格を目標に掲げましたがアウェー讃岐戦を2-0で負けたのを皮切りに勝てなくなってしまい降格へと向かいます。
「2015年3月19日」
「2015年8月4日」
「2015年9月8日」
「巻き返せ」のポスターの言葉がすべてを語るように状況は厳しくなる一方に。
「2015年12月8日」
せっかくこんなりっぱなホワイトボードを作っていただいたにも関わらずJ3に降格したことを奥様に2人でお詫びに行きました。
「2016年3月1日」
いよいよトリニータの正念場 J3の開幕です。
「2016年4月27日」
「2016年6月30日」
「2016年9月7日」
この日、青葉も一緒に連れて行くと、嫁と奥様とで孫の話で盛り上がっていました(笑)
「2016年11月2日」
J3として最後のポスター貼り。
「2016年11月23日」
そしてJ3で優勝しました。
感謝のポスターを作り貼らせていただきました。
「来年この場所が無くなります」とこの時初めて奥様からお聞きしました。
驚く私たちに詳しくお話していただきましたが、奥様とのお約束で今まで書けませんでした。
「2017年2月8日」
ポスターを作るのはこれが最後なんだという思いで毎回作りました。
「2017年4月4日」
この日、お店のシャッターは閉められていて店の前には「移転のお知らせ」がありました。
別れがすぐ近くに来ているんだと改めて寂しく思いました。
「2017年8月5日」
太田ぎょろっけ様に貼る最後のポスターになりました。
最初に貼らせていただいた時から「3代目となるホワイトボード」にも感謝の思いを込めて貼りました。
「長い間 本当にありがとうございました」
ユニをいただきました。
旦那様(社長)ともしかしたらドームに行って着る予定だったのでしょうか?
あえてお聞きしませんでしたが袖を通さず大事にしたいと思っています。
「2017年9月22日」
9月18日の台風で甚大な被害を受けた津久見市の仲間や知り合いの家に水を届けました。
海の近くなので心配していた奥様はすでに県外へと旅立たれた後でした。
そのことを後で知った私たちはホッとしました。
現在 この土地は更地となり大きなコンビニができ駐車場になっています。、
私がトリサポになって10年。
ホワイトボードをお借りして7年。
この7年間は私にとって本当に充実した濃い時間でした。
J2に帰ってきた今年はトリニータのみんなが頑張って9位でした。
来季はさらに上を目指します。
社長 天国から見守っていてください。
太田ぎょろっけ社長・奥様 長い間お世話になりました。
本当にありがとうございました。
そもそもどうして太田ぎょろっけ様のホワイトボードにトリニータのポスターを貼らせていただくことになったのか、から書きたいと思います。
太田ぎょろっけ様との付き合いは約20年以上になります。
大分県臼杵市から津久見市に入ると目立つ場所にあったのが太田ぎょろっけ様。
おかずに良し、つまみに良しの美味しいぎょろっけを販売しているお店です。
そのお店の前にあったホワイトボード。
もしそこにトリニータのポスターを貼らせていただいたら、と思いお願いしたのが2011年2月28日でした。
「2011年2月28日」
社長は気さくにOKしてくれました。
それがこのポスターです。
それからずっと貼らせていただくようになりました。
「2011年5月13日」
最初は半分だけでしたが「全部使って良いからもっと目立つ色にしたら」という社長(当時は専務)からの提案で5月13日に作ったのが黄色をベースにニータンを使ったポスター。
おかげでかなり目立つようになりました(笑)
「2011年8月19日」
さらに目立つようにボードの上に「大分トリニータ!」の文字を入れました(笑)
(大雨でポスターがダメになったのでポスターの上から透明のテープを貼っています)
「2011年9月21日」
9月の半ば「壁の吹き付けをするけんボードは撤去するで、ごめん」と言われたときは正直ショックでした。
ホワイトボードは無くなりました。
「2011年10月2日」
しかしサプライズがあり、前回よりもさらに大きくなったホワイトボードを作ってくれていました。
そこには「ガンバレ 大分トリニータ」の文字も!
社長のサプライズには泣けました。
ここまで書くと社長はすごいトリサポでは、と思いがちですがトリサポではありません。
ドームに行ったこともないし選手の名前も知りません。
トリサポのお客様が来店してトリニータの話をしてくるのが大変だ、とよくこぼしていました(笑)
(ただし奥様は昔、年に何回かドームに行っていたようです)
では、どうして私にここまで良くしてくれるのでしょう。
それは「2009年2月17日」に私がブログにアップした写真でした。
8年前の私の部屋です(かなり恥ずかしいのですが)
さらに「2009年12月1日」 の写真。
これはトートバッグを作って(約40個)トリニータに関心を持っていただこうと無料で配ったもの。
これらを見て「この男(私)のサポーターになろう」と思ったそうです。
後に嫁が「俺はトリサポじゃあねえけん。あんたの旦那(私)のサポーターじゃあけん」と社長に言われてビックリしたと驚いていました。
「2012年3月2日」
借金が明るみになり、募金を行い、J1に昇格した年の開幕戦のポスター。
「2012年6月5日」
J1昇格支援金の募金活動(チラシ配り)を津久見市で行いました。
「J1昇格支援金」のときはビックリしました。
店の前で奥様が待っていて、いきなり私に封筒を2枚くれました。
「あなたからは昇格支援金の事を言い出しにくいだろうから
用意して待ってました。主人と私の分ね」
これには涙が出そうなくらい嬉しかった ブログより
「2012年10月29日」
この年から始まったJ1昇格プレーオフ。
トリニータも6位に入り昇格を争うことになりました。
「2012年11月25日」
11月24日に国立でJ1復帰を果たした翌日。
「行こうぜ! J1」の文字を「やったぜ! J1 ありがとう」に(社長が)書き換えてくれていました。
私には後で「急遽やけん、字が汚くてごめんな」とあやまってきましたが、そんな事はないです。
本当にその気持ちをうれしく思いました。
「これはわしが好きな曲じゃけん、〇〇ちゃん、あんたにプレゼントするけん」
そういっていただいたのが 「ゆずの 栄光の架橋」でした。
「2012年12月18日」
本来のホワイトボードはお店のためのもの(当たり前ですが)
以下 ブログより
たしか12月1日でしたね。
社長が私に「うちの(太田ぎょろっけ)のポスターを貼りたいんでトリニータのポスターを剥がしていいかなぁ」と聞いてきたのは。
さらに「12月25日にはうちのを剥がすけん、その後だったら又トリニータ用に使っていいけん。悪いけど25日間だけ」
良いも悪いもありませんよ。
1年間も使わせてくれた上にお礼も一切受け取らない。
私はどうやってお礼をしたらいいんですか。
せめてこれくらいはと、妻と2人で休みの日にボードをキレイにしに行きました。
でもこんな事しかできなくて申し訳ない気持ちでいっぱいです。
以上 2012-12-21 ブログより
こんな心遣いをする社長でした。
「2012年12月25日」
「J1昇格のお礼」と「来季のシーズンパス」のポスターを貼らせていただきました。
「2013年2月18日」
2013年開幕戦のポスターです。
「2013年3月3日」
開幕戦の翌日、ポスターを貼り替えました。
「2013年4月1日」
普通のポスターだとなかなか見てもらえないのではないかと考え、この時から月日を大きく書いたポスターを作るようにしました。
「2013年4月19日」
蛍光色を使うと遠くからでもかなり目立ちます。
「2013年5月20日」
「2013年7月9日」
「2013年8月14日」
年末に嫁と2人でホワイトボードを綺麗にして1年間のお礼を言いました。
「2014年2月24日」
私たちにとって忘れられない年となった2014年でした。
「2014年3月20日」
「2014年4月22日」
「2014年9月8日」
2014年11月17日、讃岐遠征の途中に友人から
「太田ぎょろっけ社長」が亡くなったことを知らされました。
すぐに遠征を切り上げ翌日のお通夜に駆け付けました。
気遣いのできる人でした。
讃岐遠征の前日(11月11日)午後5時。
社長から私の自宅に電話がかかってきました。
「○○ちゃんか? 俺、明日から入院するけん」
ビックリする私に
「店の前のボードのことじゃけど、新しくしたけん」
「今度は雨に濡れんでいいけん。今まではガムテープじゃったけど今度は画鋲を使うたらいいけん」
「しばらく帰って来れんかもしれんけん」
「あんたんために作ったけん、遠慮はいらんけんな」
お礼を言い、明日から広島、香川に行くために1週間後しかお見舞いにいけない事をあやまり電話を切りました。
これが社長との最後の会話でした。
なんとなく・・・・わかっていたのかもしれません。
このお通夜の会場にエンドレスで流れていたのが社長が好きだった「ゆずの栄光の架橋」でした。
私にとって生涯忘れることのない曲。
だからこそ「清本拓己選手の動画 259日の奇跡」にも使わせていただきました。
ただもうこの先 大事なこの曲を使うことはありません。
「2015年1月18日」
大雨でもポスターがはがれる心配がなくなりました。
この年、トリニータはJ1昇格を目標に掲げましたがアウェー讃岐戦を2-0で負けたのを皮切りに勝てなくなってしまい降格へと向かいます。
「2015年3月19日」
「2015年8月4日」
「2015年9月8日」
「巻き返せ」のポスターの言葉がすべてを語るように状況は厳しくなる一方に。
「2015年12月8日」
せっかくこんなりっぱなホワイトボードを作っていただいたにも関わらずJ3に降格したことを奥様に2人でお詫びに行きました。
「2016年3月1日」
いよいよトリニータの正念場 J3の開幕です。
「2016年4月27日」
「2016年6月30日」
「2016年9月7日」
この日、青葉も一緒に連れて行くと、嫁と奥様とで孫の話で盛り上がっていました(笑)
「2016年11月2日」
J3として最後のポスター貼り。
「2016年11月23日」
そしてJ3で優勝しました。
感謝のポスターを作り貼らせていただきました。
「来年この場所が無くなります」とこの時初めて奥様からお聞きしました。
驚く私たちに詳しくお話していただきましたが、奥様とのお約束で今まで書けませんでした。
「2017年2月8日」
ポスターを作るのはこれが最後なんだという思いで毎回作りました。
「2017年4月4日」
この日、お店のシャッターは閉められていて店の前には「移転のお知らせ」がありました。
別れがすぐ近くに来ているんだと改めて寂しく思いました。
「2017年8月5日」
太田ぎょろっけ様に貼る最後のポスターになりました。
最初に貼らせていただいた時から「3代目となるホワイトボード」にも感謝の思いを込めて貼りました。
「長い間 本当にありがとうございました」
ユニをいただきました。
旦那様(社長)ともしかしたらドームに行って着る予定だったのでしょうか?
あえてお聞きしませんでしたが袖を通さず大事にしたいと思っています。
「2017年9月22日」
9月18日の台風で甚大な被害を受けた津久見市の仲間や知り合いの家に水を届けました。
海の近くなので心配していた奥様はすでに県外へと旅立たれた後でした。
そのことを後で知った私たちはホッとしました。
現在 この土地は更地となり大きなコンビニができ駐車場になっています。、
私がトリサポになって10年。
ホワイトボードをお借りして7年。
この7年間は私にとって本当に充実した濃い時間でした。
J2に帰ってきた今年はトリニータのみんなが頑張って9位でした。
来季はさらに上を目指します。
社長 天国から見守っていてください。
太田ぎょろっけ社長・奥様 長い間お世話になりました。
本当にありがとうございました。