健康楽園。

健康に関する情報・提案を主にする。

いろは庭。

2006-02-06 | 旨い!tasting.
昼ご飯は首里城近くの「いろは庭」885-3666、タクシーの運転手も場所がわからなかったという普通の家で(うちなー料理)を食べさせてくれる。
まずはオリオンビール、ホップの効きが少なくって飲みやすいさわやかなビールです。泡盛も30度と25度の2種類をロックで飲みました。
突き出しから(にがな)といって咳にも効くという青紫蘇の一種の白胡麻和え。、トーフヨー、豚肉を黒胡麻と味噌で蒸したものが出ました。さくな(長命草)、モーイ(海草の一緒)、ミミガーのピーナッツバター和え、イナムルチ(いのししもどき)といってシイタケ・コンニャク・いもの入った味噌汁、五穀米のごはん。
デザートは紅芋を蒸して、つぶして油で揚げた素朴なもので甘味が少なく美味しかったです。
家庭版サーターアンダギーも出ました。これは黒砂糖使ってあるので甘味が強かったですが、全体に沖縄家庭料理に感激でした。
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首里城。

2006-02-06 | looking.
まず琉球王国の中心首里城に行きました。以前行ったときは、守礼の門しか見ることができなかったし、この正殿が再建されたのが1992年11月だからまだ再建中だったんでしょう。
この正殿・沖縄戦で消失しましたが、最初は室町時代14世紀末に建立されたそうです。当時の明国に使者を送って王国として認めてもらったのが1372年といいますから古い木造建築だったんですね。北京の紫禁城をモデルに建築されたみたいで、正殿の前にある広場では数々の儀式が行われていました。
明の使者を迎えたり、1609年に侵入された、島津藩の使者もここで迎えました。
このお城は戦うためというよりも、国王の住居・生活の場であり、使者を迎える儀式の場であったようです。何しろ秀吉の刀狩りより200年以上前に、武器を放棄してしまった、平和民族ですから、戦うことをしなかったのです。
だから簡単に占領されてしまうという愛すべき民族性を持っていたわけです。島国だからこそ培われたでしょうが、それだからこそ、太平洋戦争での悲劇が胸を痛めます。
本土上陸阻止の最後の砦として、総玉砕の命令で、民間人12万人、日本兵10万人以上が亡くなり、アメリカ兵も1万2千人亡くなったのは痛ましい記憶です。
元来、戦をしなかった人たちが、本土の砦として戦った悲劇がなければ、本土が沖縄のような状態になっていたでしょう。
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