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神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

京都北西部の神社と滝巡り その1

2016年10月04日 | その他

長い間サボっていたところに、以前にオフ会でご一緒したことのある「むっちゃんさん」から、お誘いの電話をいただいた。
暑くて出掛ける気になれないくせに、実はポケモン捕獲には熱を入れていて、近所は歩き回っていた。
このブログでポケモンなんて名称が出てくると、「え?」と思われる方もいるだろうが、それについては別記事で書いてみたいと思うくらい楽しんでいたりする。
それはともかく、神社とも山ともご無沙汰である。
むっちゃんさんからは、京都市街の神社はどうですかと言われたが、私は「電車と徒歩では行けない山の方へ行きたい」とお伝えした。 
車を出してもらい、運転もしてもらう身分でありながら、随分と身勝手なものである。

当日、むっちゃんさんの最寄り駅で待ち合わせ。
お会いするのは二度目だが、気さくな方なのですぐにリラックス出来る。
おまけにオニギリとお茶まで用意されていて、私は助手席でただ寛いでいればいいという状況。
私がナビをする必要もなく、大阪近郊から京都市西部の都市部を抜け、周山街道に入る。
大体の目的地は決めてあるものの、道中、気になるところがあれば臨機応変に、という形で進むことにする。

山が近くなって暫くで、平岡八幡宮の看板が現れる。
こういう予定に無い神社に出逢った場合、私は躊躇している間に通り過ぎてしまうのだが、むっちゃんさんは即断即決で車を乗り入れる。
長い参道の奥に駐車スペースがある。
参道も駐車場所になっているようで、写真は撮らず。
というか、光線状態が悪いので、写真自体あまり撮る気にはなれない。 



駐車スペースのすぐ正面に拝殿。



思いのほか立派な神社であったが、木材の傷みは激しい。
この規模の神社でも資金難なのだろうか。
尤も、私としては、このくらい古びている方が好きではある。



本殿は瑞垣の中で写真にしにくいが、結構な規模で見応えがある。
京都市の有形文化財に指定されていて、天井には極彩色の花卉図が四十四面描かれているらしい。
なんと二日後から一般公開されるらしいのだけれど、どうせ上手く写真に出来るわけでもないし、口惜しがっても仕方ない。



まだ暑さは厳しいが、一頃に比べれば木漏れ日は柔らかくなったような気がする。


平岡八幡宮を後にして、有名な高雄を過ぎ、更に北へ向かう。
この辺りまで来ると、私が高校時代に何度も歩いた山域でもあり懐かしくなってくる。
ということで、今度は神社ではなく、私にとって思い出の場所である滝に立ち寄るため、車を林道に入れてもらう。



林道を1.5キロも進めば菩提の滝がある。
昔は滝の直ぐ傍から滝へと降りる階段があった筈だが、大雨か何かで崩壊したようで、今は少し下流から歩道がついている。

菩提の滝を初めて見たのは小学校六年生のときで、友人と二人で山歩きをしていて道標に導かれてのことだった。
大人同伴でなく、それまで子供だけでこんな山の中を歩いたことは無かったし、不安や楽しさの入り混じった道中で、しかも生まれて初めて見る滝だったので、強烈な印象を私に残した。
尤も、滝そのものは落差10メートルほどで高くも大きくもないし、数多くの滝を見てきた今となっては格別なものでもないのだが、とにかく滝好きになる原点がここである。
最後に見てから三十年近くが過ぎているが、滝の姿は変わらずここにある。



滝の上に林道のガードレールが見えるのが残念だが、これは私が子供の頃から変わっていない。



殆ど北山杉に覆われた地域で、谷も深さは無いけれど、滝の辺りだけは暗く、モミジの緑もあって、雰囲気は良い。



水は上流に溜池があるので、やや濁っている。
滝壺周りは、昔はもっと砂利が多かったように思うし、ここの砂利で北山杉を磨くという話を聞いた気もするのだが、今は小石が多くなっていた。



周山街道に戻り、すぐに中川集落。
昔は車の量が多く、さっさと通り過ぎていたところであるが、今は新道がトンネルで抜けているため、滅多に車の通らない静かな場所になっている。
中川は北山杉の中心的な集落で、以前は街道沿いの民家に、皮の剥かれた杉の白い幹がズラリと並んでいるのを見かけた。
不況のせいかどうかは判らないけれど、今日に限っていえば、そういった光景は少ない。
今までは、車は多いし駐車場所は無いしで立ち寄らなかった中川の神社に参拝する。



谷間にある集落だから、神社は斜面にある。
杉ばかりが目に付く辺りの風景の中で、ここはモミジの緑が鮮やかだ。



斜面にあるから、どうしても奥行きはあまり無い。
どちらかといえば横に広い形になるのだが、それでも思っていたよりかは深さがある。


その印象は、緑が豊かだからでもあるのだろう。






本殿は覆屋の中。



本殿前から。



本殿から横へと続く道。
こちらから下へも降りられるが、更に上へと続く道もある。



上っていくと御神木があり、そこから本殿裏へと進んでいけば、磐座と思しき岩がある。
磐座は写真にはしにくいし、実際、撮った写真はダメダメなのだけれど、なかなかに存在感のあるものであった。


撮影日 160902


赤目散歩

2016年05月06日 | その他

三重県名張市の赤目町に行く。
赤目といえば赤目四十八滝が有名で、過去にこのブログにも掲載したことがあるが、今回の目的は赤目周辺をぶらっと歩くことにある。 
四十八滝以外に何か見所があるというわけではないけれど、以前、四年ほど赤目に住んでいたことがあるので久しぶりに歩いてみたくなった。

近鉄赤目口駅で下車する。
たぶん17年ぶりで、車では何度か近くに来ているのだが、無人駅になっていたことや、トイレの位置が変わっていることなどは知らなかった。
改札を出て駅前に立てば、何となく以前よりも閑散とした印象を受ける。
一軒あった商店が無くなっているせいばかりでなく、行楽客が一組しか見当たらないからだろうか。
いくら平日とはいえ、気候のいいこの時期なら、昔はもう少し賑やかだったと思うのだが…。

何の変哲もない車道を南に向かって歩き出す。
何の変哲もないけれど、一歩一歩、進むごとに全てが懐かしい。
銀行、個人商店、小学校、酒造会社…殆ど何も変わっていないから、17年という歳月が嘘みたいに思える。

車道が滝川を渡るところから、川沿いの小道に入る。



この滝川の上流に四十八滝がある。
ここはかつて住んでいた場所から徒歩で10分ほどのところ。
懐かしさもあるが、こんな緑豊かなところに住んでいたんだ、という思いで胸がいっぱいになる。



秋には対岸に彼岸花が咲いた筈で、当時写真を撮ったことを思い出す。



この先で川沿いからちょっと逸れて、勝手神社に立ち寄る。
この神社の社務所で町内会をしたこともあって懐かしいところだが、当時は神社に興味が無かったせいか、あまり甦ってくる記憶が無い。
ただ、拝殿はアルミサッシのガラス戸が目立っていて、これは当時と違うのは確かだ。
あまり写真を撮る気になれないし、実際、掲載するような写真も撮れなかった。



川沿いに戻り、友人と遊んだことのある小橋で暫しぼーっとする。
桐の花が盛り。



こういう古びた無機物と、瑞々しい草花の取り合わせには、何故か惹かれる。



滝川から離れ、支流の梶川林道に入る。
何度も歩いた林道で、ここは家から2キロほどだ。






ずっと谷川沿いの林道だが、撮るほどの渓流でもないので、草花を撮ったりしながら進む。



林道が大きくカーブするところで小道を降りると滝がある。
明るさの加減で中途半端なシャッター速度しか選べなかったし、そもそも大した滝でもないけれど、とても居心地のいいところで、よくここで休憩をした。



滝より上流は落葉樹が増えて、新緑が鮮やかになる。






新緑の時期に咲く桜は、カスミザクラだろうか。



林道から逸れて小道を辿ると溜池がある。
新池という池で、以前、ここの秋の風景を掲載したことがある。






秋もいいが、新緑も捨て難い。



更に上流にある溜池に向かおうとするものの、道が荒れていたので断念。
真っ昼間なのに鹿の鳴き声が近くで響いた。






小さくて普通の池だけど、何故か写真にしやすい池でもある。



来た道を、滝のところまで戻る。
対岸に流れ込む小さな支流に沿った山道を登る。
峠を越えれば七ツ池という大きな溜池があるのだが、池に沿う道は随分と荒れてしまっており、昔と違うので戸惑う。
堰堤の嵩上げがなされたのか、以前は歩けた池畔が完全に水没している。



堰堤の上から七ツ池。
やはり堰堤は大きく高くなっているように思えるし、そもそも、もっと草に覆われて自然な感じだった筈が、コンクリートで護岸されている。
星川大池竣工記念碑なるものもあって、これまでは懐かしんだり、やっぱりいいところだったなぁ、などと思ったりしていたのに、ここに来てちょっと思い出が壊された気分になってしまった。



池から先の山道も、以前に比べて荒れている。
池から流れだす谷川は急流が続く。
田植えシーズンのためか放水量を増やしているようで、途中、二、三回対岸に渡る場所では難儀した。



滝のような急流のような流れが続くが、唯一、名前の付いているのがこの不動滝である。
が、とにかく水量が多すぎるし、光の状態も悪いし、まともな写真が撮れない。
本当なら、もう少しひっそりと落ちる滝の筈…。

ここから暫くで八幡神社の前に出る。
ここも懐かしい場所であるが、挨拶を兼ねた参拝はするものの写真は撮らず。
神社からは車道歩きになる。
かつての我が家を遠目に見て、駅までの道をのんびりと歩いた。

散歩、と題したけれど、読んでもらえば判るように、ハイキング程度のコースである。
住んでいた当時、それこそ庭のように歩き回った範囲なのでそう表現した。



撮影日 160426


旧福知山線廃線跡(武田尾~生瀬)

2016年04月29日 | その他
昭和61年、福知山線の生瀬‐道場間が新線に切り替えられた。
それまでは武庫川の峡谷に沿って走る単線非電化の路線で、大阪近郊でありながらローカル線の趣を呈していた。
新線に切り替えられた福知山線のこの区間は複線電化されて便利になったものの、トンネルばかりの連続する味気ない路線になった。
代わりに、かつて車窓から眺められた風景を、今は歩いて楽しむことが出来るようになった。
ハイキングコースとして有名になり、平坦なコースでありながらもトンネルや鉄橋があって変化が楽しめることから平日であっても賑わっていることが多くなった。
それは、ただ消えゆくだけの廃線と比べれば、幸せな余生を過ごしていると言える。
私は鉄道が好きなので、廃線という言葉の響きに何か特別なものを感じてしまうのかも知れないが、枕木に歩幅を合わせてトンネルや鉄橋を歩いてみれば、レールは残っていないものの、往時が偲ばれて心は過去に馳せる。
とまあ、少し当時を懐かしむようなことを書いたが、私自身は旧線時代に乗車したことは無く、廃線になってから何度か歩いたことがあるだけだ。
尤も、歩けるのは武田尾‐生瀬間のみで、道場‐武田尾間はほぼ草木に埋もれてしまっている。

廃線跡はハイカーが多いので、当初は歩くつもりは無かった。
ただ、武田尾付近の山峡なら、遅咲きの山桜が楽しめるかも、という期待があったことと、何か春の草花でも撮れればという思いから訪ねることにした。
それに、自宅の最寄り駅から30分ほどもあれば行けるので、緑に接したくなったとき、とても気軽に行ける場所なのである。

武田尾駅を降りたのは、私以外には一人だけだ。
武田尾は変わった駅で、駅の三分の二はトンネルの中、残りは橋の上という構造になっている。
駅前から暫くは線路跡は車道になっているので廃線の趣は無い。
やがて車道が武庫川から離れ、左の谷間に入っていくところから廃線歩きが始まる。



先日、桜の撮影で武庫川上流部を載せたけれど、中流部であるこの辺りは上流部より深い山峡を流れる。
ただまあ、上流部でも水が濁っていたから、当然、この辺りも水が汚れている。



一つめのトンネル。
辛うじて花を残した桜がある。



桜の木は寂しい状態だが、足下には花びらが沢山落ちている。
この枕木は、いったい何十年ここにあるのだろう。



二つめのトンネル手前も桜は似たような状況だが、強い風が吹くと、僅かばかり残った花びらが散って、トンネルの前でキラキラと輝いた。



トンネル内に照明は無いから、懐中電灯は必携である。
このトンネルを抜けたところは、来る度に緑に包まれるような思いがする。



色彩や光の無い場所から抜け出た目には、色はなんと鮮やかで、光はなんと眩いものであるか。
ここは、紅葉や雪景色、雨の日などにも撮ってみたいところだ。

トンネルを抜けて左手の山は「桜の園」と呼ばれている。
桜博士とも呼ばれた笹部新太郎が、演習林として多くの桜を植えた場所で、今日の一番の目的地はここである。

今から20年以上前、私はよくこの辺りに遊びにきていた。
当時、「桜の園」は整備されておらず、笹部氏の死後、多くの桜は枯死していくような状況だった。
私は「桜の園」という名称は知っていたが、何故そう呼ばれているのかを知らなかった。
さして桜が多いとは思えなかったし、「園」と呼ぶような雰囲気も無かった。
あるとき、水上勉の「櫻守」という小説を読んだ。
そこに、この武田尾の「桜の園」が出てきた。
笹部氏をモデルにした小説だったのである。
以後、長らく放置されてきた演習林は、2000年頃から本格的に整備されるようになり、今は多くの人が廃線跡と共に訪れる場所になっている。
桜も増えてきているようで喜ばしいことではあるが、昔、私が遊んだ頃は廃線跡にハイカーは多くても、ちょっと横道に逸れた「桜の園」は静かで寛げる場所だったので、それがちょっと残念である。



左手の山道に入り、「桜の園」をぐるっと周る。
整備されてから来るのは初めてで、案内板があちこちに立てられ何人もの人とも擦れ違うので、かつての印象とは全く違う場所のようだ。
で、その「桜の園」であるが、やはり来るのが遅すぎたようで、山桜の多いこの辺りも花は残っておらず。
ただ、花が終わっても芽吹いた葉が紅葉のような美しさを見せるのが山桜の良さで、緑の濃淡で覆われた新緑の山に彩を添える。



モミジを主体とした、まさに「緑」といった林もある。
燃えるような紅葉という表現があるが、緑もまた、燃えるような鮮烈さであると思う。



廃線跡に戻る。
「桜の園」で桜と山野草でも撮ろうと思っていたのに、桜は終わっており、山野草はタチツボスミレくらいしか目立ったものが無かったので、さてどうしようかと迷う。
武田尾駅の方へ戻って、どこか山道にでも入って植物を探そうかとも思うが、廃線の先を見れば、緑が滴るようで、ちょっと進んでみたくなる。



ハイカーも増えてきたので、それほど気乗りしなかったのだが、新緑の斜面を見ながら歩くのは気持ち良く、適当なところで引き返すつもりが先へ先へと進んでしまう。



武庫川を鉄橋で渡る。
かなり錆付いているし、補修等は全くされていないから、果たしていつまで持つのだろうか。
体がふらつくほど風も強くて、少しだけスリルがある。



当然のことながら、JR西日本はこのコースを歩くことを推奨しておらず、事故等の責任は一切とらない旨の看板がコースの両端に立っているし、「橋りょう上歩行禁止」の看板があったりする。



またトンネル。



トンネル出口のレンガが、外の光と緑を映していた。
まるで蛇の鱗のようにも見え、金属のような光沢を帯びていた。
こうやって見ると、レンガはかなり波打っており、剥落して頭に落下なんてことも有り得なくは無いなぁ、と思う。



岩肌も反射して綺麗だ。



トンネル?
もうここまで来ると引き返す気にもならないので、生瀬に向かって進む。
道の脇にはアケビが多く、花を付けている。



もう住宅地にかなり近いところまで来たが、対岸の山は最後の険しさを見せる。



地形図に高座岩と記されている岩だろう。
ここからすぐに両岸の山は左右に広がって空は広くなり、高速道路や住宅が見えてくる。
生瀬駅まであと1.5キロほどとはいえ、かなり苦痛な道になりそうだ。
もうちょっと長閑な田畑が広がるようなところで、蓮華草でも撮りたかったなぁ、なんて思う。



と、道からちょっと横に入ったところに蓮華草が咲いていた。
一面に咲いているのもいいが、こういう風にぽつぽつと点在して咲くのもいいものだ。



アップで。



スズメノテッポウの間から。
子供の頃、スズメノテッポウを使って草笛を吹いたことを思い出す。



カラスノエンドウ。

最後にちょっと楽しめたが、この後はひっきりなしに車の行き交う国道を歩くことになる。
都市部にいるより空気が悪く、かなり苦痛な道のりだった。
このコースは、生瀬から武田尾に向かって歩く方がいいかも知れない。


撮影日時 160415 11時~14時40分

桜(草野から南矢代へ)

2016年04月10日 | その他

兵庫県篠山市


以前、武庫川の上流を歩いていると、川沿いにずっと桜が植わっていることに気付いた。
さして大きな木は無いけれど、花が咲けば壮観なのではないかと思っていた。
調べてみると、「ふるさと桜づつみ回廊」として兵庫県が整備したものらしく、武庫川から加古川上流、円山川から日本海への約170kmの河川沿いに、5万本ほどの桜が植えられたようだ。
どの範囲を歩こうか少し迷うが、福知山線の草野駅から南矢代駅までの区間が、比較的民家が少なく、寄り道できる神社もあって距離もお手軽、ということで行ってみることにした。

今年はどういうわけか丹波などの山間部でも桜の開花が早く、いつも大阪より一週間から10日ほど遅い満開が、殆ど変わらない時期になった。
まだ先だとゆっくり構えていたので慌てて計画を立て、さあ行こう、という前日に強い雨が降った。
かなりの花が散ってしまっただろうと、やや気落ちして電車に乗る。

途中、三田辺りから車窓に桜が目立ち始め、まだまだ花を多く残している姿を見てホッとする。
とはいえ、満開というほどの勢いは無いし、青空を期待していたのに曇りがちの空で、あまり条件は良く無さそうだ。



草野駅を降りてすぐに武庫川沿いの道へ。




正面に松尾山を見ながら、車も人も滅多に通らない道をのんびり歩く。
対岸は国道が通っていてやや騒がしいけれど、気持ちよい。



前日に雨さえ降らなければ本当の満開に出逢えたはずだが、路面を埋める花びらに迎えられ、これはこれで良かったかも。






曇りがちではあるが朝の光も射して来て、気温も歩くのにちょうどいい感じ。



古森という集落辺り。
ここから暫くは未舗装の農道を行く。









周囲の民家も減って、目障りな人工物も少なくなるので撮影も楽しい。
青空さえ出てくれたらもっと良かったのだが。



田植えを待つ水田も花びらが彩る。



武庫川の上流といっても、水はかなり汚れているのが残念。
清流と桜、というわけにはいかない。



当野集落付近。



対岸にも小さいながら桜があって、やっぱり針葉樹が背景になると引き立つなぁと思う。



雲雀の囀りが賑やか。



立派な桜に見えるが、これは背後(対岸)にも桜があって、重なっているからだったりする。



ここからは川沿いを離れ、当野の大歳神社と栗栖野の大歳神社に立ち寄る。
どちらも再訪だが、後日掲載しようと思う。



参拝後、川沿いに戻り、この春、閉校になった学校の横を通る。
結局、青空は顔を出さないままで、あまり満足のいく写真は撮れず。



桜だけ、というのも物足りない気がしたので、川辺の草むらでカラシナとモンシロチョウを。



マクロレンズでの撮影は楽しい。
南矢代駅まではあと少しで、電車の時間に合わせてゆっくり歩く。

 
撮影日 160408 


参拝記 (二村神社 大歳神社) 

2016年03月03日 | その他

八柱神社を訪ねた後、結構な距離を歩いて二箇所の神社を参拝したのだが、例によって一つの記事とするにはそれぞれ写真が少なく、道中に適当に撮った写真と併せて「参拝記」として載せようと思う。

八柱神社からは林道を先へと進み、峠を越えることにする。
大した登りではないが、車の通行は困難な道路状況だ。 
特に見るべきものもなく峠を過ぎて下っていくと、やがて里の気配がしてくる。



道は緩い下り坂で快適だ。
薄暗い八柱神社で身体は冷えていたので、太陽の光が心地いい。



田畑が現れ、その先に民家が見えてくると何故かホッとする。



こういう風景の中を、のんびり歩くのもいいものだ。
国道に出て少し西に進むと、向かい側に「二村神社」の社号標が立っているので、そちらへの狭い車道に入る。
途中、民家の間に鳥居があり、そこから100メートルほどで二村神社。
社号標も鳥居も酷い逆光で、まともな写真にならず残念。






拝殿も本殿も立派なもので、ベンチもあって地元の人の憩いの場なのだろうが、どうも明るく開けた境内は落ち着けなくて写真もあまり撮らず。



神社を後にして適当に横道に入ったりすると、隠れるように茅葺の廃屋があったりした。



風が強くなってきて、日の光は真冬のそれではないけれど、やはり寒い。
畑の水も薄氷が張っている。
畑の土の色というのは暖かみがあっていいなぁ、なんて思うのは、寒いからでもあるのだろう。
ビュービューと吹きすさぶ風に、つい俯きながら歩く。
履きなれない靴のせいか、足も痛くなってきた。
何だかまた前回の参拝記のときのように、巡礼者みたいな気分になってきた。

七分咲きの梅の木が一本あったので、その木の下で休憩する。
周囲で梅は殆ど咲いていないから、ここだけ少し春があるかのようだ。
持参したソーセージを一本食べる。
もともと少食だし、出掛けるときの食事はこの程度のことが多い。



早春の小川。



早春の田圃。



早春の農道。
この辺りでけっこう疲れていたので、実際に頭には貧困な語彙しか浮かんでこなかった。

南矢代駅そばの踏切を渡る。
このまま駅に行ってしまおうか、という誘惑を振り払って、もう一頑張りする。
駅から600mほどで大歳神社に着く。
ここに来るのは二度目で、確か「雑多な写真」で載せたことがあると思ったのだが、いま見返してみると見つからない。
もしかしたら初掲載かも知れない。






懐かしさに疲れもちょっと和らぐ。






前回は薄曇りだったので、もう少しひっそりとした印象であったが、今回は陽射しが強く、思い出とは差がある。
ただ、明るくても木々に囲まれた空間は、やっぱり落ち着ける。






スマホで南矢代駅の発車時刻を調べると、今から15分後でちょうど間に合いそうだったけれど、何だかもう少しのんびりしたくなったので、一本遅らせることにした。



道中で咲いていたオウレンの花。
いかにも早春に咲く花らしい清楚な姿。
珍しいものではないけれど、とても小さく目立たないので咲いていても気付かないことが多い。
実のところ、今日の目的の半分は、新しく買ったレンズを使ってみたい、というものだった。
年が明けて暫くした頃、何故か突然、新しいカメラを買うぞ! と意気込んでしまったのだが、不意に冷静になって、いや、カメラを新しくして今ある表現力が1増えたとしても、レンズなら2か3増えるはず、と思い直した。
というわけで、ずっと以前から欲しかったマクロレンズを買ってしまった。
今までのレンズでは、こんなにアップで撮ることは不可能だったし、背景もこんなにボケてはくれない。
使いこなすことが出来たら、表現の幅はぐっと広がるはず。
と、意気揚々として出掛けたものの、神社の写真を撮るのに接写を必要とすることはあまり無いし、時期的に花は殆ど咲いてないし…。
これから徐々に、活躍してくれればいいのだが。


撮影日 160226
地図
 二村神社
 大歳神社


八周年

2016年02月05日 | その他

初めてこのブログに記事を書いたのは、2008年の2月4日のことです。
つまり、この2月で、ブログ開設から八年が経過したことになります。
私個人としては、「おお、八年も続いたのか、スゴイ」などと思ってみたりもするのですが、まあ何だかんだと随分とサボったりしてますし、実際のところ、全然スゴイ訳じゃないので、こういった「八周年記念」みたいな記事を書くのもどうかと思いつつ、最近はどこにも出掛けていないので…。

過去に、気に入った写真を大きめのサイズにして掲載する記事を何度か書きましたが、「三周年」の記事以降、全くやっていません。
多分、節目となったのは2012年の秋に、それまでPCに保存していた画像を全て失ってしまったことで、それ以後、気に入った写真が撮れることがガクンと減ってしまいました。
写真を撮る楽しさは変わらないものの、気合というか、のめり込み具合が違ってしまった感じです。
地形や天気を読んで、最もいいと思える時間帯に行き、時には何時間も粘る、ということは殆どしなくなりました。 
一日に10社以上も周ったり、ということも無くなりました。
今は割と気儘に、割と妥協しつつ、という感じで、別に悪いことばかりでも無いのですが、確率的には気に入った写真は撮れにくいといった状況になっています。
とはいえ、その時から三年以上も経過しましたから、それなりに気に入った写真も溜まってきましたので、この八周年の機会に、久しぶりに大きめ画像を載せてみようと思い立ちました。
ただ、最近はスマホなど、小さな画面で見られている方も多いようで、そういった場合は普段と同じになってしまいます。
もし可能ならば、大きな画面で見てもらえれば。

この八年、随分と沢山の方からコメントを頂きました。
それはブログをやっていく上で一番の喜びであり、もしかしたら撮ってきた写真よりも意味のあるものかも知れません。
かつてコメントを下さった方、お元気でしょうか?
そして、ずっとお付き合い下さっている方、これからもよろしくお願いします。
また、コメントのやり取りは無くとも、見て下さっている方へも感謝です。
気が向けば、何かコメント下さればと思います。

この記事に載せる画像を選んでいると、もっといい写真が撮りたい、もっといい風景に出逢いたい、という思いを強くしました。
次にこういった企画をするとすれば、恐らくは十周年ということになると思いますが、その時にはもっといい写真を掲載出来るようにしたいものです。
これからもきっと、サボり勝ちでマイペースなブログになると思いますが、地道に撮り続けようと思っていますので、ちょくちょく見に来て頂ければ嬉しいです。



































































































































































































































 












以上、この三年間で気に入った画像でした。
何の説明も解説もしませんでしたし、中には暗い中、高感度で撮ってノイズが目立つものもあって見苦しいかも知れませんが、気に入って頂ける画像があれば幸です。
残念なのは、「三周年」の記事で大きい画像を載せてからPCのデータ消失までの間に、結構お気に入りの画像があったことです。
特に海の写真が一枚も無いのは寂しい感じがします。
まあ悔やんでも仕方ないので、これからの写真を頑張ろうと思います。


八幡宮から福島大池へ

2015年06月30日 | その他

八幡宮参拝後は、ちょっと寄り道してから帰ることにする。
前回に書いたが、事前に神社名を調べる際に幾つかのブログやホームページを見た。
その中に、福島大池に至るまでの道の写真が、緑豊かで惹かれるものがあったので、せっかくだからちょっと覗いておこう、という散歩のようなものである。

八幡宮付近では道路から離れていた小川が、再び寄り添うようになるところで、今までの農道のような長閑な雰囲気が一変し、谷間に分け入る林道の気配になる。



空はまだ曇って暗いせいもあるが、想像以上の緑の深さに心躍る。
ただ、残念ながら横を流れる小川の水は綺麗ではない。






水面に緑を映せば、汚れも判らなくなって、森を流れる小川の風情だ。



大木こそ無いものの木々は豊かで、ちょっと覗くだけのつもりが奥へ奥へと誘われてしまう。









深く柔らかな緑は、この天気のお陰でもあるだろう。
晴天だったら、また違った印象になっていたに違いない。
ついでに言うと、20年ほど前の早春にもこの道を歩いている筈だが、やはり全く思い出せない。
昔の写真を引っ張り出してきて確かめてみると、早春の風景は同じ場所とは思えないほど違っていた。
それだけ落葉樹も多いと思われるから、紅葉シーズンにも来てみたいものだ。



福島大池まで行くつもりは無く、適当なところで引き返すつもりが、ずっと気持ちの良い道が続くので、どんどん進んでしまう。
ただ、部分的にはアスファルト舗装されているところもある。






何となく谷間が開けてくる気配がしてくる。



木々が途切れ、坂道を上ると福島大池が現れる。
森の中では曇りの天気が幸いしたが、こういう広がりのある風景は青空でないと栄えない。
有馬富士と茅葺の建物、池に祠と、いい風景なのにつまらない写真にしかならなくて残念。
池の周囲は行楽客がそれなりにいて、あまり落ち着けないので早々に退散する。
満ち足りた思いで来た道を引き返す。


撮影日時 150623 11時~11半


参拝記(愛宕神社 三十番神社 八幡神社 新田神社)

2015年06月16日 | その他

二年ほど前に、「参拝記?」という記事を書いている。
普段、載せている神社の記事が参拝記といえば参拝記なのだが、あまりいい風景に出逢えなかったり、いい写真が撮れなかったりして、一つの神社記事として掲載するには物足りなかった場合に、「参拝記」として掲載しておこう、という主旨である。
尤も、前回の「参拝記」は「参拝記?」としていて、撮影が上手くいかなかったのも確かだが、一応は撮った写真を全部ボツにするのも勿体無いし、更新の繋ぎの意味もあって、あまりタイトルに相応しい内容ではなかったから「?」を付けたように記憶している。

今回は、大龍神社の後に訪れた複数の神社を、ここに纏めて掲載しておこうと思う。
車での探訪と違い、惹かれなかったら直ぐ次へ、というわけにもいかないし、てくてくとぼとぼと歩いて回れば、気に入った風景が無くとも何かしらの思い入れや愛着が湧く。 
ちょっと大袈裟に言えば巡礼者のような気分もあって、その足取りを記すのは、前回より「参拝記」らしくなったのではと思う。


数年前、相野駅の西側周辺を地図で見ていて気になる神社を見つけた。
付近の地形は、曖昧というか漫然としていて、山や自然が好きな人間でも凡そ惹かれない。
かといって住宅が多いわけでもなく、 やはり中途半端というか、取り留めの無い印象の地域であるのだが、三十番神社という名前が地図に載っていて、そのちょっと変わった名前は印象に残った。
更にもう少し西に目を転じると、山の中に新田神社というのもある。 
気になったので、当時、車で近くに行ってみた。 
車道を走ってみて、鳥居や神社の入り口らしきものが見えたら寄ってみようという程度の軽いドライブで、結局のところそういったものは見えず、風景も平凡でつまらないドライブという印象しか残らなかった。
今回、ふとその存在を思い出し、駅から歩いて行けない距離でもないので目指してみることにした。
というわけで、前回掲載した大龍神社は、久しぶりに相野まで来たから寄らせてもらおう、という「ついで」みたいなもので、実のところは今回の記事の内容が主目的であった。

大龍神社から南西方向を目指し、三角形に近い形をした比較的大きな池のそばを通る。
いつも思うが、どの地図も池の名称は重要視されていないようで、名称は判らない。



草刈をされていたおばさんに出逢う。
先ほどにも述べたように、何の特徴も無いような地域だからハイカーが来るわけでもないし、民家が多いわけでもないから余所者は稀なのであろう、おばさんは目を逸らす。
何も無かったかのように通り過ぎるか、挨拶をすべきか、私は人見知りをする小心者なので、いつもそんなことを考える。
更に、時刻は10時半なので、仮に挨拶をするとすれば、「おはようございます」と言うべきか、それとも「こんにちは」と言うべきか、なんてことで逡巡してしまうのだ。
とりあえず今回は後者で。
「こんにちは」
「こんにちは」
いつもそうなのだが、挨拶を交わせば嬉しいもので、躊躇ったことが馬鹿らしくなるのだけど、こういった性質はもう変えられそうに無い。
付近は特徴の無いところとはいえ、田植えが始まって、いいなと思える風景が広がる。
舞鶴若狭自動車道の下をくぐり、味気ない車道の坂道を上る。
炎天下、というほどの気温ではないけれど、晴天で陽射しは強く、上り坂は苦痛ではある。
低い峠を越えて下り坂になれば、随分と楽になる。
ここからは三木市になる。



車はたまにしか通らない。
人の姿は皆無だ。
前方左手に杜のようなものが見える。



杜の袂に民家のようなものがあったが、近寄ってみると野呂谷公会堂とあって、その背後にお堂のようなものが見える。
通り過ぎようとすると、さらに奥に神社の気配を感じたので、ちょっと立ち寄ってみることにする。
公会堂の背後に回ると石段があって、小さな社殿が見えてきた。






愛宕神社と書かれていたが、どの地図にも神社記号は記載されていない。
ここからはまた上り坂になって、二つ目の低い峠を越える。






暑いのだけど、日陰に入れば爽やかだし、都市部のような嫌な湿度も無い。
特徴は無いが日本的な風景で、稲が青く伸びた夏の風景が似合いそうだ。

更にもう一つ低い峠を越えると養鶏場があって、山の方に入っていく林道が分岐している。
そのすぐ近くに三十番神社がある。
短いながらも参道があると思っていたが、林道脇に広場があって、そこに神社があるという感じだ。
しかも神社はこちらを向いておらず、裏側から入っていくような建ち方をしている。

養鶏場の臭気が強く、また、こういった施設、養豚場や牧場のそばは虫が多い。
木漏れ日に無数の虫が舞っているのが見えて辟易する。
ただまあ、臭気のほうは直に慣れる。



社殿と社務所のような建物の間を通って正面に回ると、鳥居が来た方向とは無関係に立っている。
鳥居の先は斜面で、ただ木々が緑豊かに繁っているだけだ。
しかし、ここから一番近い集落の位置は、この鳥居の向いている方向の先にある。
もしかしたら昔は、集落から坂を登って仰ぎ見た正面にこの鳥居が見える、というような道があったのかも知れない。



あまり人が訪ねている様子は無い。






元々は茅葺の覆屋であったようだ。
傷みは激しく、寂びれ、廃れていく気配を湛えている。



社務所らしき建物は、公会堂の看板が掲げられていたが、使われている様子は無い。



ただまあ、人が来ないせいか、境内は苔がフカフカの状態だった。
因みに三十番神社とは、一ヶ月間(三十日間)を毎日交代で守護する三十柱の神々を祀っているもので、神仏習合の信仰であるらしい。
変わった名前の神社だと思ったが、他の地方にもあるようだ。

三十番神社からは、車道に戻らず尾根上(というほど明確な地形でもないが)を通る林道を進む。
手入れのされていない薄暗く貧弱な杉林の中を行くが、殆ど使われていないらしく、いずれ廃道化しそうな道だ。
やがて左にカーブして日当たりの良い墓地に出る。
ここで道は行き止まりになっていたので地形図を見ると、カーブの手前で道が分岐しているようだ。
少し引き返して分岐を確認すると、ほぼ廃道と化した道らしきものが茂みの中に続いていた。
どうやら墓地に行くためだけに機能している道だったようで、分岐より先は用済みなのだろう。
引き返すのも面倒なので、茂みの中を突き進むことにする。
藪漕ぎというほどではないし、道跡自体は消えていないからどうってことは無いのだが、こんなことなら最初から車道を進めば良かった。



車道に出ると、すぐにまた道が分かれる。
写真には写っていないが、右への道を進む。
というか、この風景は一眼で撮ればよかった。 

分岐から少し進むと吉川町北部浄水場が見えてくるのでそちらに入る。
当然、門は閉じられていて立ち入り禁止だが、その施設の横、フェンスに沿って道がある。
施設の敷地が途切れたところから、竹と雑木が茂る道になる。



予想外に「いい道」だ。



右に道が分岐して、八幡神社が見える。
小さな祠があるのみだが、緑が気持ちいいところだ。
ところが、ここからは道が少し荒れてくる。
気持ちが良いのは浄水場から八幡神社辺りまでの、僅か30メートルほどだけだった。
この様子だと、新田神社も荒れているかも知れない。



八幡神社から百数十メートルで新田神社。



荒れているというほどでは無いものの、あまり人は来ないようではある。
地形図に、ここから先へ集落まで記されている道は、ほぼ木々に埋もれて消えているようだ。



何も無いところだが、何も無いところもそれなりに好きである。

帰りは養鶏場のところから違うルートをとった。
ずっと車道歩きだが、車は滅多に通らない。
特に見るべきものも無く、黙々と、淡々と歩く。
つい足下ばかり見てしまいがちになるが、ふと顔を上げると、ちょっと面白い風景があった。



このブログでも緑のトンネルという表現を何度か使ってきたけれど、ここは本当にトンネルのようだ。
これも一眼で撮ればよかった…。

ここから先は、更に退屈になった道を、相野駅までとぼとぼと歩いた。


撮影日 150526
地図
 愛宕神社
 三十番神社
 八幡神社
 新田神社


2014年09月19日 | その他

お久しぶりです。
十年ほど乗ってきた車が、とうとう動かなくなってしまいました。
ずっと不調だったので、最近は撮影も行かず、近所の移動に使う程度。
だましだまし乗っていて、いつ壊れても仕方ないな、と思っていたのですが、いざ路上で動かなくなると焦ります。
レッカーを呼んで、取りあえず自宅駐車場へ。
10月が来たら車検だったので、もともとその時に廃車にしようと思っていました。
だからまあ、修理に出すつもりも無いのですが、最後にどこか遠出をしようと考えていたので、ちょっとツイてないなあ、という感じです。
走行距離は16万キロ以上、地球4周ほど走ってくれたことになります。

この車は私にとって四台目の車で、今までで一番長い期間、長い距離を乗った車でもあります。
このブログに掲載した写真は、全てこの車に乗って撮影に行ったものばかりです。
物というのはいつかは壊れてしまうし、それなりに生きていれば、そんなことは当たり前のことであって、まあ何というか割とサバサバしていたのですが、ふと夜中に目覚めたときに、「星でも見に行きたいなぁ」なんて思って、そうか、もう車が使えないんだ、ということを実感してションボリしたりします。
 
とりあえず、私は車が無くても日常生活に支障は無いので、暫くは車無しの生活を過ごそうかなと考えています。
とはいえ、公共交通機関だけで行きたい場所に行くのは困難だし、いずれはまた買うことになると思いますが、それまでの当分の間は撮影、更新はお休みすると思います。
もしかしたら、どうでもいい日常の戯言的な雑文を書き込むことはあるかも知れませんが。

更新はしなくてもブログは定期的にチェックしますので、ご意見でも神社のお話でも何でもコメントに書いて頂ければお返事は致します。

そういうわけで、更新を待っていてくださった方、すみません。
またいつか、神社や自然の美しい風景を写真にして再会できればと思っています。 


吉村家跡防風林

2014年05月16日 | その他

奈良県吉野郡十津川村三浦


十津川村を訪ねるのは久しぶりだ。
山里だとか、廃村、廃校、滝や渓谷、山岳と豊かな自然、そういった、私が反応してしまう言葉が全て当て嵌まる地域である。
吉村家跡防風林は、山里と廃村、巨木といったカテゴリに入るだろうか。
名称から想像すれば、民家跡に残る防風のための植栽林といった感じで、あまり食指は動かないのだが、実際は、潰えた人の営みと自然の不思議さが融合したかのような、何か感じずにはいられない場所だ。

十津川村に入れば、数年前の台風の傷跡があちこちに見られる。
圧倒されるような大規模な崩落場所もあって、今も復旧工事が行われており、自然の力をまざまざと見せつけてくる。
風屋貯水池に沿うようになって暫くで右折し、神納川沿いの県道に入る。
思っていたよりも狭い道で、小さな落石が道に転がってる。
紀伊半島の山中では小さな落石が日常茶飯事で、往きには無かった石が、帰りには転がっていたりする。
今回も、この県道の帰り道では三ヶ所ほどで新たな石が転がっているのを見た。
いちばん大きいものでレンガくらいの大きさではあるけれど、それでも走行中にフロントガラスに飛び込んできたらと恐ろしくなる。



県道沿いにこういった滝があるのは、さすが十津川村といった感じ。
段瀑で20メートル以上の落差があるが、地図に名称も無ければ滝記号も無い。
地図に記載されていないどころか、実際に名称すら無いのかも知れない。

災害復旧の迂回路があって、防風林へはその辺りが近いのだが、熊野古道小辺路駐車場の看板が見えたので、そこまで進むことにする。
駐車場は五百瀬小学校跡を利用したもので、今も何かの施設として活用されているようだ。



歩いて県道を引き返す。
途中に商店があって、庇がまるで暖簾のようなエライ状態になっていたが、営業中ではあるようだ。 
ゆうパックの幟も、もはや無意味かも。
そういえば昔、山登りの帰りの山里で、こういった商店に立ち寄って菓子などを買ったことがあったが、最も定番と思えるポテトチップスが賞味期限切れだった。
パリッとした食感は失われていたけれど、笑い話でもあり、或いは逆に寂しくなるような、そんな思いに浸ったものだ。
もしクレームをつける人がいるなら、野暮な人だと思う。



「三浦峠」と書かれた看板に従って小道に入ると吊り橋が現れる。
向こう岸から渡って来られた女性と「おはようございます」と挨拶。
橋から川の風景も撮りたかったが、ここは災害復旧中なので、ダンプやショベルカーが稼動する殺風景な姿を晒していた。



対岸に渡って直ぐに庚申さん。



供えられた花は瑞々しく、地域の方に大切にされていることが判る。



道端にはシャガが花盛り。






シャガの花を初めて見たのは小学校高学年の頃だ。
なんて美しい花なのだろうと感動した記憶があるが、あまりに有り触れている花なので、やがて関心を失ってしまっていた。
だが、改めて見ると、やっぱり美しいなぁと思う。



こんな感じの気持ちのいい小道を進む。



途中、何軒かの民家があるが、車道は無く、徒歩でしか辿り着けない場所だ。
果たして住んでいる人はいるのかと思ったが、日向ぼっこをされているお爺さんがいらっしゃった。



とはいえ、棚田の水入れは行われていないし、人の営みもいつまで続くか判らない。



熊野古道らしく、荒い石畳になっている部分もある。



道の横に廃屋があったりもする。



廃屋の軒先ではシダが日を浴びていた。



マムシグサがあちこちに咲いている。



こんなふうに光を浴びると、有り触れたマムシグサも美しく見える。
が、基本的には植林された単調な風景の中を登るので、あまり楽しくはない。



その単調な杉林に、不協和音のように防風林が見えてきた。



異形、威容、畏怖といった言葉が思い浮かぶ。



これはアシウスギの類だろうか?
アシウスギは日本海側で見られる杉の一種で、多雪地帯に適応し、枝が雪の重みで地に接したりすればそこから発根する。
ウラスギ、ダイスギとも呼ばれ、有名な北山杉もこの系統らしいから、手入れさえすれば真っ直ぐ伸びるのだろう。
樹齢500年前後とのことだが、植えられた時に、この姿は想像されたのだろうか。
ただ、防風すべき対象は、もうこの地には無いのだけど。

付近にあった立看板によると、この辺りは小規模な宿場的機能を果たしていたらしく、旅籠も営んでいた吉村家の屋敷があって昭和23年頃まで居住していたという。
地形図には建物記号が記されているが、今はもう残っていない。



枯死したものもあるかも知れないが、残っているのは5、6本なので、ここに写っているものがほぼ全てだ。



上部の幹は真っ直ぐなので、やはり台杉の形態とよく似ている。



こちら側は斜面ばかりなので、向こう側が屋敷跡になるのだが、まるで結界のようでもあり、ちょっと不思議な世界へと続いていそうな気がする。






似たような写真ばかりだけど、歩み寄ることのワクワク感が伝わるだろうか。



通り抜けた先は何の変哲も無い杉林ではあるが、平坦地になっており、一部に石垣と複数のお墓が残っている。



雲一つ無い晴天で撮影条件は厳しい。
実を言うと、最初は撮影を諦めかけたのだが、そうそう来られる場所でも無いし、これらの木々の存在感を全く写せずに帰るのはあまりに口惜しい。
カメラの設定を弄り倒して、何とかこの条件でもまともに撮れるように四苦八苦した。
結果はともかく、いろんな角度から撮ってみた。















複雑な形状故に、いろんなところから他の植物が芽を出して育っている。
ここにもマムシグサが咲いていた。



斜面の一番低いところにあるものが最大だろう。






たった5、6本とはいえ、森のような存在感。



本当は雨上がりの靄が立ち込めるような中で撮りたかったけれど、それでも素敵な姿を見られて満足。
ちょっと元気の無い木もあったが、いつまでも残っていてほしいと思う。


撮影日時 140513 10時20分~13時40分
地図