神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

滝神社

2017年07月04日 | 再訪

三重県熊野市神川町柳谷


十津川村は日本一広い村である。
奈良県の面積の六分の一、と言われてもピンとこないが、琵琶湖が滋賀県の面積の六分の一だから、それと大差ない大きさだろう。
そう考えると、幼い頃から琵琶湖に慣れ親しんできた私には、その広さが大雑把にではあるが掴むことができる。
それは、主な見所だけを拾っても、とても一日で周れる面積ではない。
下手をすれば、車の移動だけで一日が終わってしまう。
行く前から、そういう危惧は抱いていた筈なのに、果無集落の時点で16時。
日が長い季節とはいえ、山深い場所だから、そこはかとなく夕暮れの気配が迫っているのを感じる。
どこかに立ち寄るとして、せいぜいあと一、二箇所。
来た道を引返すとすれば、寄りたい場所が幾つか頭に浮かぶ。
が、往きと帰りに同じ道を使うのはつまらない、という意見はT君と一致した。

国道168号線を更に南下して、多少、後ろ髪を引かれつつ、観光客で賑わう本宮大社を素通りする。
既に十津川村ではないが、ここまで来れば北山川沿いの道を辿り、国道169号線を使って帰ることが確定する。
この時点で、立ち寄る場所は瀞峡か滝神社、ということも確定する。
だが、T君に意見を求めるまでもなく、私は滝神社を再訪したいと思っていた。



国道から柳谷集落への道に入り、集落入り口付近、石灯籠の近くにある広場に駐車。
谷川沿いに下る小道を辿る。
すぐに、神社名の由来であろう滝と注連縄があるが、もう薄暗いのと、水量がかなり少ないため撮らずに進む。
これは、参道を振り返って撮ったもの。



右上に白っぽい鳥居が見えてくる。
が、どこか前回よりすっきりしているような印象を受ける。
帰ってから前回の記事を確認すると、石灯籠の両脇にあった木が伐られてしまったようだ。
特徴的で魅力的な木であったので残念だが、倒れそうな気配はあったし、台風などの影響もあったのかも知れない。



石段付近はすっきりしてしまったが、鳥居の奥の濃密な緑は健在だ。
白い神明鳥居もそうだが、この緑を見ると、ああ、南紀の神社だ、と思う。



時刻は18時を過ぎており、実際はもっと薄暗い。
鬱蒼として、静かで、心地よい。
約七年ぶりに訪れる懐かしさを噛み締めるように進む。



前回の参拝は雨の降りしきる中のことで、境内は殆ど水溜り状態だった。
本殿覆屋の左にあった社務所らしき建物は取り壊されたようだ。



3月終わり頃の参拝だった前回は、まだこんな風に落葉樹は芽吹いてなかったと思う。
杉が主体の杜のなかで、秋にこのモミジが色付けば、さぞかし美しいだろうと思う。



鳥居方向を振り返る。
どこか前回と雰囲気が違うのは何故かと考えて、落葉樹が芽吹いたからや、社務所の取り壊し、水溜りの有無ではなく、砂利が敷き詰められているからだと気付く。



杜が豊かでなければ、砂利の敷かれた境内は明るすぎる観があって、やや殺風景にも感じられるものだが、ここは、静謐や清澄といったものを、より強く感じさせるようになった。
規模は全く違うが、瀧原宮や大馬神社を思い出した。
どちらも三重県の神社であるし、同じ神明鳥居ではあるけれど、そういった表面上のことではない、何か繋がりのようなものを感じる。



帰り際、振り返って社殿を見ると、淡くなった光にひっそりと浮かび上がり、身を委ねるようにその雰囲気に浸ることができた。

地表を覆う緑は苔のように見えるが、その殆どがバイカオウレンである。
早春に、梅に似た花を慎ましく咲かせる。
南紀はバイカオウレンの自生が多いところではあるけれど、ここは地元の方々が丹精込めてお世話されているようで、他に類を見ない大群生となっている。
好きだった場所が、更に好きになる再訪であった。


撮影日時 170620 18時20分~18時50分
地図