神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

小野神社

2017年08月22日 | 滋賀県

滋賀県大津市小野

和邇駅から、緩い上り坂の道を歩く。
新旧の住宅が入り混じった郊外の平凡な風景だけど、道路脇の溝には透明な水が勢いよく流れていて、少しばかりの涼しさを伝えてきた。
それでも、目指す病院が見えてくる頃には、汗が服に纏わり付いて落ち着けなくなっていた。
病院の中に入っても、さして涼しくはない。
小野神社はこの病院の近くにあるから、帰りにでも寄ろうと思っていた。
けれど僕は、叔父の病室に七時間ほどもいたので、立ち寄る時間は無くなってしまった。
会話が弾んだわけではなくて、寧ろ叔父は殆ど眠っていたのだけど、何故だか病室は落ち着けた。
考えてみれば、叔父の家や、叔父と話すことは、昔から落ち着けることではあった。
それは、叔父が眠っていたとしても同じことなのだろう。
ただ、虚ろに目を開いているときに、話しかけるべきなのかは随分と迷った。
話すことは疲れることであろうし、かといって黙っていることは、気疲れさせてしまうのでは、と考えたりした。
それに、話したいことは山ほどあるようでいて、何を話せばいいのか判らなくもなっていた。
同じ姿勢でいるのは辛いらしく、時おりベッドの角度を変えたり、叔父の身体を支えて向きを変えたりした。
少しでも叔父の役に立てるのは、嬉しいことだった。

次の休みの日も、僕は同じ駅に降り立った。
この日は遅い時間に家を出たので、夕暮れ時の小野神社に立ち寄ってから、なんて考えたりもしたけれど、結局は真っ直ぐに病院に向かった。
叔父は先日よりも意識がはっきりしており、途中から叔父の息子さん二人が加わって、夜の十一時前まで楽しく会話することができた。
よし、これからは休日の度にお見舞いに来よう、写真好きの叔父に、小野神社の写真を見せるのもいいかも知れない、そんな風に考えた。
なのに、次の休日の一日前に、叔父は亡くなってしまった。
写真も、音楽も、山にも宇宙にも造詣の深い人で、僕は大好きで尊敬していた。
いつだって穏やかに話すその声を、僕はもう聞けなくなってしまった。

山や自然が好きだ。写真を撮るのも好きだ。
叔父のような知識は無いけれど、星を見るのも好きだし、叔父のようにモーツァルトに傾倒してるわけではなくても音楽は好きだ。
叔父と同じ血が、僕にも流れているんだ。
だから、どうか死なないでと願ったのに。
もっともっと、いろんな話がしたかったのに。


そんなことがあって、少し間が空いてしまったけれど、行けずにいた小野神社に向かうことにする。
湖西線の車窓から、比良山系が見えてくる。
高校生のとき、叔父夫婦と一緒に登った。
ここで掲載したことのある小椋神社は、叔父に連れて行ってもらった場所だ。
───休日が訪れる度に、病院に行かなきゃ、という思いに捉われる。
たぶん、叔父の家族は、叔父のいなくなってしまった日常を実感しているだろうけれど、中途半端な距離にいた僕は、病院や、叔父の家に行けば、また会えるのではないかと思ってしまう。

叔父の最寄り駅を、どこか落ち着かない思いで通過して和邇駅で降りる。
病院への道を右に見送って、初めての道を歩く。
ほどなく小野神社前に辿り着く。
丘陵の懐に抱かれた、鬱蒼とした環境にあるかと思っていたけれど、意外と明るく人家も近い。
少しく残念に思いながら、それでも落ち着いた佇まいに心惹かれる。



人の気配や生活音が感じ取れるような場所ではあるが、鳥居の先は「杜」といっていい気配がある。



真正面に本殿、と思ってしまうが、これは境内社の小野篁神社である。






境内社とはいえ、美しい佇まいだ。



左手に「順路」と書かれた看板が無ければ、このまま真っ直ぐ進んでしまうだろう。



横道に逸れるような感じで小野神社への参道に入る。



全体的に明るめの杜ではあるが、この辺りだけはやや木々が深くなっている。






小野神社の方が少しばかり高い位置にあるし、瑞垣に囲われているとはいえ、境内社の小野篁神社の方が立派な社殿であるのが不思議だ。
そういえば、小椋神社もこれに近い形態かも知れない。



参道横の小道から。






小振りな社殿ではあるけれど、やはり惹かれる気配がある。



小野篁神社の方へ。



ちょっと変わったタイプの建築様式で、重要文化財にも指定されている。






建築物としての価値はともかく、精緻な陰翳を描いて美しいなぁ、と思う。



参道横には神田らしきものもあった。



さて、帰ることにする。
今日はここ以外、どこにも寄るつもりはない。
初めて訪れた場所であるけれど、色んな想いや思い出に浸れる場所だった。


撮影日時 170817 9時10分~9時50分
地図